報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

写真:東ティモール

2005年03月30日 15時39分09秒 | ●東ティモール
東ティモール:ディリ

独立(主権回復)を果たしてもうすぐ三年。
しかし、明るい話題はとても少ない。
内憂外患そのものだ。
国内の反政府勢力は拡大している。
西ティモールから、かつての武装民兵が国境を脅かしている。

「独立」とは、その言葉の印象ほど、ロマンチックなものではない。
なぜなら「独立」とは、大国の都合で与えられるものだからだ。
第二次大戦以降、独立した国家で、豊かになった国家を見たことがあるだろうか。
東ティモールは石油や天然ガスがあるにもかかわらず、
なぜ世界最貧国20の中に名を連ねているのか。

写真:東ティモール

2005年03月25日 15時20分57秒 | ●東ティモール

東ティモール:ディリ

小雨の日曜日、サッカーを見物する人々と、お菓子を売る少女。
小さな島だが、サッカーチームはたくさんある。
国際試合もするようになったが、ものすごく弱い。
いまのところスポーツ育成にまわせる余裕などない。



※書く時間が取れなくなってきましたが、出発までせめて写真の一枚でも。

写真:東ティモール

2005年03月23日 03時09分06秒 | ●東ティモール
東ティモール:ディリ

東ティモールには、奇妙な二重経済が存在する。
国内には消費財の生産設備がないため、
消費財のほぼすべては外国から入ってくる。
インドネシア、シンガポール、オーストラリアなどだ。
東ティモールの庶民が手にできるのは、主にインドネシア製の安い商品だ。
シンガポールやオーストラリアから入ってくる洗練された商品は、
庶民には高くて手が届かない。
では、これらの商品は誰が買うのか。
国連、PKF、NGOなどの外国人と一部の国内富裕層だ。
庶民は、外資系スーパーには行けないし、
外国人は、町の市場で買い物はしない。
国際機関の潤沢な資金は外資系へ。
東ティモール人のわずかなお金は、
東ティモール人の間をグルグルまわるだけだ。
誰のふところも潤わない。
国連、PKF、NGOの規模縮小とともに、
外資はビッグマネーを抱えて去っていく。

写真:東ティモール

2005年03月22日 17時16分25秒 | ●東ティモール
東ティモール:ディリ

ひところに比べれば、
成すこともなく海を眺めてすごす人の数は格段に減った。
それでも、失業率はおよそ60~70%(推定)。
労働力を吸収できるような産業はいまのところない。
コーヒー栽培農家は多いが、
コーヒー豆の国際価格は不安定で、
収入もかんばしくない。

東ティモール政府は観光開発に期待をかけているのだが、
東ティモールへ至る主要なルートは、
悲しいかな世界的な観光地バリ島経由となる。
バリに降り立った人の足を、
東ティモールに向かわせるのは、至難の技かもしれない。

ラモス・ホルタ外務大臣は、
東ティモールの観光客は、ノーベル平和賞受賞者と会食ができる、
という案を出したことがある。
つまり、自分が観光客と食事をすればいいというわけだ。
身を挺しての涙ぐましい観光開発案である。


写真:東ティモール

2005年03月21日 22時05分59秒 | ●東ティモール
東ティモール:ディリ

東ティモールの公用語は、ポルトガル語。
独立に際して議会でそのように決定された。
しかし、ポルトガル語の識字率は、推定4%から8%だ。

東ティモールにはテトゥン語という国語があるが、
これは、地方言語のひとつであり、
他に30あまりの地方言語がある。
テトゥン語を理解しない人もいる。

おそらく東ティモールでもっとも普及率の高い言語はインドネシア語だろう。
24年間のインドネシアの武力支配時代、
あらゆる公的機関でインドネシア語が使用された。
教育もすべてインドネシア語で行われた。

いま、東ティモールの教育機関では、
科目によりポルトガル語、インドネシア語、テトゥン語を使い分けている。
児童への負担は大きく、教育の効率はすこぶる悪い。

写真:東ティモール

2005年03月20日 18時48分49秒 | ●東ティモール
東ティモール:ディリ

東ティモール。
人口約80万人。
面積は、日本の四国ほど。
特産品、コーヒー、白檀。
オーストラリアとの間のティモール海には石油が眠っている。油田は国際法上、東ティモールの領海内にあるのだが、お向かいのオーストラリア政府は石油の領有を主張。石油開発は進まず、東ティモールは石油があるにもかかわらず、現在、世界最貧国20のひとつに数えられている。

写真:東ティモール

2005年03月20日 00時40分22秒 | ●東ティモール
東ティモール:ディリ

東ティモール。
16世紀から1974年までポルトガルの植民地。
1975年から1999年まで、インドネシアによる武力支配。
この間、20万人が命を落とす。
1999年から2002年まで、国連の暫定統治。
2002年5月20日、独立(主権回復)。
21世紀最初の国家となる。

ブログくらべ

2005年03月18日 20時07分42秒 | 軽い読み物

ブログをはじめて、三ヶ月。
ようやく、そこそこ慣れ、ブログというものの特性も分かってきた。
ブログには、まだまだ難点もある。無料サービスではあるが、これは今後、サーバーと利用者が持ちつ持たれつの関係になってくると思われるので、改善点は大いに主張した方がいいだろう。
ブログサービスは、いまのところサーバーにとってまったく利益を生んでいない。にもかかわらず、各サーバーがかなりの設備投資をしているのは、将来的に大きな利益を生むという確信があるからだろう。いま各ブログサーバーは、いかにこれで利益をあげるかを模索中だ。いまは、とにかく、少しでも利用者を獲得して、将来の利益に備えているところだ。

各サーバーのサービス内容や機能は、似たり寄ったりで特に差別化はできない。ただ、写真掲載に関しては、エキサイトブログが抜きんでている。掲載のしやすさ、表示の多様性、簡便さは、文句がない。写真専門のブログは90%以上がエキサイトだ。

僕のこのgooはといえば、写真掲載がかなり不便だ。そのままでは、複数枚の写真掲載ができない。gooブログをはじめたころは、写真を一枚一枚、別投稿として掲載していた。いまは、フリーのツール「エディタはじめますた」を使って、投稿画面を作成しているが、それでも、写真掲載に関しては、エキサイトには遠くおよばない。

この三ヶ月、エキサイトとgooのブログを、作り比べてきたのだが、エキサイトの無料版は容量が30メガしかなく、先ごろ画像容量がほぼいっぱいになってしまった。gooブログの無料版は、画像容量が2ギガあり、まあ、当分はパンクすることはない。gooは機能的な劣勢を、単に容量でごまかしたと言えなくもない。
そのほかの、DoブログとYahooブログも、一投稿だけ実際に作ってみた。写真掲載はどちらも、おまけのようなものだった。

gooブログも、ツールなしで簡単に複数の写真掲載ができるようになってほしいものだ。エキサイトには、かなり未練が残っている。

ニュースも商品

2005年03月17日 18時42分54秒 | ■メディア・リテラシー
 僕は、メディアが取材する現場と、それがその日実際にニュースとして流されるのを見ることがある。昼にCNNと同じ現場で取材し、夜CNNのニュースを見るという具合だ。しかし、ニュースというのは事実のごく断片しか反映されないというのが実感だった。
 航空機を作っている現場を見ると、飛行機に乗れなくなるという話を聞いたことがある。メディアの取材の現場と出来上がったニュースを見比べてしまうと、あらゆるニュースが何か空々しく感じられるようになってしまう。

 通信社だろうが、新聞社だろうが、放送局だろうが、メディアは所詮は営利企業だ。他の企業とまったく同じように、お金儲けがまず第一の企業目的だ。製造業は、売れない商品は作らない。当たり前の話だ。メディアも、商品価値のないニュースは載せない。これも当たり前の話だ。何を伝えるべきかの前に、商品価値があるかないかが大事なのだ。

 あくまで僕個人の実感でしかないが、あえて言えば、特派員の取材とは、最終的な読者や視聴者に向いているのではなく、会社の上司に向いているように感じられる。何を伝えるべきかではなく、何を送れば上司が気に入ってくれるか、評価してもらえるか、そんな風に見えてしまう。結局、上司の評価を気にする企業の社員のようだ。

 価値の高い商品を社に提供するために、極端な例では、ヤラセや盗作もある。古い話だが、朝日新聞のカメラマンが、珊瑚礁につけられた無残な傷を撮影して、大きく報じたことがある。心無いダイバーが珊瑚礁に傷をつけたのは確かに事実だったが、その傷はごく薄っすらしたものだった。しかし、なぜか新聞に掲載されたときは、くっきりした傷になっていた。水中の現場で、おそらくカメラマンはがっかりしたにちがいない。これではインパクトがない。インパクトのないものは、商品価値がない。商品価値のないものを会社に持って帰っても、評価は得られない。水中の無重力の中で、彼の思考も重心を失ったのか。彼は、勝手に商品価値を高めてしまった。

 これは決して例外的な事例ではないと思っている。報道の世界では、「事実」に対する「加工」はごく当たり前のことだと思ったほうがいい。スーパーの生鮮食品の不当表示や産地偽装を報じるメディアも、実は同じことを日常的にしているのだ。ニュースもあくまで商品にすぎない。珊瑚礁の傷は、朝日のカメラマンの個人的な資質もあったかもしれないが、「加工」が当たり前の世界にいて、彼の倫理観も麻痺していたのだと思う。

 通信社や新聞社で、ジャーナリズムの使命に燃える人材は、だいたいが窓際へ追いやられると、そういう話を内部の人から耳にしたことがある。結局、メディアの世界でも、出世していくのは単に社内政治に長けた資質の持ち主ということなのだろう。僕が現場で接してきた個々人は優秀な志のある人が多い。僕などが足元にも及ばない豊富な経験と知識を持った方がほとんどだ。しかし、営利を追求する組織の中では、そうした個々人の能力や志が反映されることはほとんどない。理想と現実とはかなりかけ離れたものだ。
 
 東ティモールでの武装襲撃事件のあと、僕は、現地で何人かの日本のジャーナリストに事件の話をした。ジャカルタへ脱出したあと、某新聞社の紹介で、とある日本の放送局のジャカルタ支局へ行った。そこでひととおり武装襲撃事件について説明した。話を聞き終えた支局員は、
「死者一人かあ、インパクトねぇなあ」
 と一言おっしゃった。
 また、ある新聞編集者は、
「戦争で人が死ぬのは、あたりまえで・・・」
 と言った。あんた人一人が殺されただけで何を騒いでいるんだ、とそんなニュアンスだった。
 そして、またある通信社特派員は、パソコンを打ちながら、
「時間があったら聞きたいんだけどね」
 と一瞬だけ首をこちらに向けた。

 僕の話も、爪楊枝のような事件を大木に見せようとしていると思われたのかも知れない。
 そんな気がした。