報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

投票は食料配給券のため?

2005年02月02日 22時51分18秒 | ■イラク関連
 イラクでは、1月30日の国民議会選挙が近づいてくると、こんなウワサが広がったようだ。
「投票に行かない者には、月々の食糧配給券が停止される」と。
 複数のメディアが、この件についてレポートしている。

 このウワサが本当かどうかは、あまり重要ではない。
 アメリカ占領軍は、イラクの人々の生きる糧をさえ握っている。
 その事実こそがもっとも重要だ。
 占領軍がどんな無理難題をふっかけても、イラクの人々には選択肢などないということだ。
 さからえば、食料は途絶える。
 もちろん、空から爆弾も降ってくる。

 何万という子供や女性、老人をさえ殺戮してきたアメリカ占領軍にとって、食糧配給券を停止することなど、良心の呵責もなく簡単に行える。実際にするしないではなく、イラクの人々にとって、それは空から爆弾が降ってくるのと同様に現実味を帯びた脅威なのだ。ある意味、アメリカ占領軍は、ウワサを流すだけでイラク国民をコントロールできることになる。

 アメリカ占領軍は、イラクの農園の多くを戦車で踏み潰していると、かねてからイスラムのメディアが伝えていたが、それはイラク国民から食糧生産の手段を奪い、占領軍の配給食糧なしでは、生きていけなくするためだった。占領軍は銃火の脅威と飢えの脅威をイラク国民に突きつけている。実に抜かりがないというしかない。

 イラクの食料自給率は30~40%あったようだが、いまは畑作業など危険でできないのではないだろうか。そういえば昨年、アメリカの攻撃ヘリが、明らかに非武装の農民とわかるイラク人三人を、撃ち殺す映像がメディアで流れた。同じことがイラク全土の農園で行われていた可能性は高い。占領軍はイラク人の食料自給率を低下させ、配給食糧に依存する体制を作りたいのだ。

 今後、発足するであろうイラクの傀儡政府は、間違いなくアメリカ占領軍の政策を受け継ぎ、イラクの食料自給率低下に励むだろう。

参考資料
●食べる物のために投票を(1月30日の記事参照)
http://raedinthejapaneselang.blogspot.com/
●暗いイード・・・(1月22日の記事参照)
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
●Will Vote for Food? (英文)
http://antiwar.com/jamail/?articleid=4659
●農民を殺戮するアパッチヘリ(動画)
http://www.globalresearch.ca/audiovideo/apachehit.mpg

イラク国民議会選の茶番(2)

2005年02月01日 15時41分41秒 | ■イラク関連
 世界の主要メディアによると、イラクの国民議会選挙は大成功のうちにめでたく終了したらしい。
 世界は諸手を上げてこの茶番を「民主主義」への第一歩と賞賛している。このすばらしき「自由選挙」を統括管理しているのは、10 万人とも20万人とも言われるイラク国民を殺戮し、イラク国土を破壊してきたアメリカ占領軍だ。このような占領軍によって実施された選挙に、はたして正当性や公正さがあるのだろうか。

 イラク占領軍の最高司令官ジョージ・W・ブッシュは、2000年の大統領選挙でインチキをして、それでもやっと537票差で大統領になった男だ。昨年の米大統領選挙でも、信頼性に疑問のある「電子投票」とやらを導入して、集計結果が形として残らないようにした。ディスプレイ上の数字があるだけで、もはや票の数えなおしすら不可能な選挙にしてしまった。そしてめでたく二期連続の大統領となった。自分の選挙に不正を働いた男が、莫大な石油利権の存在する占領下のイラクで、まともな選挙を実施すると考えられるだろうか。

 この選挙に正当性があると主張するのは、かつて中国に存在した「満州国」を完全な主権を持った独立国だったと言うようなものだ。その国の国民が参加する政府だからといって、それが主権を意味するわけではない。たとえ直接選挙が行われたとしても、他国に占領された状態で行われる選挙によって選ばれる人物が、はたして国民の利益を代表する存在となるだろうか。歴史はこのようにしてできた体制を「傀儡政権」と呼んでいる。

 アメリカは世界の警察として、世界の独裁を倒し、世界に「民主主義」をもたらす救世主なのだろうか。
 たまたま、独裁者フセインのイラクに石油があっただけなのか。
 たまたま、ブッシュは、石油産業界出身だったのか。
 たまたま、チェイニー副大統領は、石油関連会社ハリバートンの元CEOだったのか。
 たまたま、チェイニー夫人は、世界最大の軍需企業ロッキード・マーチン社の元取締役だったのか。
 たまたま、ライス国務長官は、大手石油会社シェブロンの元取締役だったのか。
 たまたま、現アフガニスタン大統領カルザイは、石油会社ユノカルの最高顧問だったのか。
 たまたま・・・

 石油産業と軍需産業の利益代表で構成されてきたブッシュ政権は、15兆円もかけてイラクを占領した。それは純粋にイラクの「民主主義」を実現し、主権をイラク国民に譲り渡すためだったのだろうか。ブッシュ政権は、イラクの莫大な石油の埋蔵量なんぞには何の興味もなかったのだろうか。問うだけ馬鹿げている。

 このようなアホくさい選挙の実施を、世界中の政府、メディアが賞賛しているようでは、人類の未来は相当に暗い。しかし、世界中の人々がこんなまやかし選挙やまやかし報道を信じているとは、僕は思っていない。抑圧され、殺戮され、略奪され続けてきた何十億という人々には真実が見えているはずだ。こんな茶番を無邪気に信じられるのは、茶番による恩恵を享受してきた少数の富める国の人間だけだろう。

 投票所に足を運んだ者も、このイラク国民議会選挙の茶番を理解している。
 では、なぜ彼らは投票所に足を運んだのか。
 投票しなければ、また容赦なく殺戮されるからだ。
 またひとつこの地上にアメリカの傀儡政権が誕生する。
 我々は、それをこの眼で目撃するわけだ。

イラク国民議会選の茶番(1)

2005年01月30日 18時26分24秒 | ■イラク関連
イラク国民議会選の茶番

 本日、イラクで国民議会選の投票が行われた。
 日本のメディアは「独裁体制から脱したイラクは、自由選挙に基づく民主的な国造りへ一歩を踏み出した」と伝えている。

「自由選挙」?
「民主的な国造り」?

 日本のメディアにとっては、誰が当選するかが最初から決まっている選挙を「自由選挙」と呼び、アメリカの利益を最優先する議会を「民主的」と呼ぶようだ。
 日本のメディアは、単独覇権国アメリカにゴマをする以外に何の能もない存在だ。いまさら、怒る気にもならない。こんな報道を平気でたれ流すメディアは、いつか歴史の制裁を受けなければならないだろう。

 イラクに先立って昨年10月にアフガニスタンでも「自由選挙」が行われ、ハミド・カルザイがアフガニスタンの大統領に就任した。このハミド・カルザイという人物は、アメリカの石油メジャー・ユノカル社の最高顧問を務めていた人物だ。
 ユノカル社は、カスピ海の石油をアフガニスタン経由でアラビア海へ送るパイプライン敷設計画を立て、タリバーン政権と交渉をおこなっていた。このときの交渉役がハミド・カルザイだ。当時アメリカ政府はタリバーン政権に最恵国待遇を与えていた。

 しかしタリバーン政権は、このパイプライン計画を拒絶した。その後アフガニスタン戦争によってタリバーンは、アメリカによって地上から抹殺された。替わってユノカル社顧問のハミド・カルザイがアメリカ占領下の暫定行政機構議長に据えられた。議長時代早くもカルザイは、パキスタン政府とパイプライン敷設に関する調印を行っている。
 そして、昨年の「自由選挙」によってハミド・カルザイはめでたくアフガニスタン大統領になった。実によくできた話だ。

 アフガニスタンの例が物語っているように、アメリカ占領下で行われる「自由選挙」とは、アメリカの利益に都合のよい人物を「自由に選んでよい」という意味である。

 こんな茶番が、この21世紀に我々の目の前で堂々と行われているとは・・・。

アウシュビッツ解放60周年で、イラクに言及しない世界の首脳

2005年01月27日 21時18分36秒 | ■イラク関連
 この数日間、アウシュビッツ強制収容所解放60周年を記念して、ポーランド各地やニューヨーク(国連本部)で式典が行われた。
 ワルシャワの式典には、欧米首脳約40人が出席した。
 しかし、誰一人として、現在イラクで行われている虐殺について言及した者はいない。

 24日の国連の特別総会で、アナン事務総長は、
「この記念すべき日は過去の犠牲者だけでなく現在、これからも犠牲者になりうる人のためのものだ。私たちは二度と同じ失敗をしてはならない」
 と訴えた。
 アナン事務総長は、カンボジアやルワンダ、旧ユーゴスラビアでの大量虐殺、スーダンのダルフールでの人道危機については言及したが、アメリカによるイラク市民の虐殺についてはまったく触れていない。

 ブッシュ大統領は、
「ホロコーストの歴史は、邪悪が実在するが、希望が耐え抜くことを示した」
「それは悪の力を思い出させ、悪が存在するところではどこでも悪に対抗する必要性を思い起こさせる。われわれが反ユダヤ主義を目にする時、ともに闘う必要があることが思い起こされる」
 と発言し、すべての米国民に対し、アウシュビッツとホロコーストの犠牲者に敬意を払うことを求めた。

 米軍によるファルージャでの徹底した破壊と殺戮は「悪に対抗する必要性」として許されるようだ。そして「半ユダヤ主義」のイスラム教徒であるイラク市民の犠牲者には、「敬意」を払う必要はないということなのだろう。

 イラクでは大勢の市民が犠牲となっている真っ最中だ。
 世界の首脳は、そろって健忘症にでも罹っているのだろうか。

 世界の首脳が「二度とおなじ失敗をしてはならない」と誓うなら、いままさにできることが目の前にあるではないか。

【権力に屈するマスメディアと香田証生君の死】

2004年12月12日 17時13分27秒 | ■イラク関連
いま世界で最も危険な場所は、間違いなくイラクだ。
そんなイラクに好きで滞在している外国人はほとんどいないだろう。
外交官もビジネスマンもジャーナリストも米軍兵士も、
できればイラクから逃げ出したいと思っている。
危険な任務に服従しない兵士も急増している。
在イラク米大使館のスッタッフの給料を1.5倍にしても、希望者が足りない。
グリーンゾーン(安全地域)の外に出る者はほとんどいない。
イラクとはそういうところだ。
そんなイラクに香田証生君は、なぜ行ったのだろうか。
イラクが危険な場所であるという認識は当然あったはずだ。

─「軽装」─

彼は、ヨルダンのアンマンに着いた翌日に、早くもバグダッド行きのバスに乗っている。所持金はたったの100ドル。パスポートにはイスラエルのスタンプ。バグダッドでの宿泊は、”バスに乗り合わせた乗客に頼む”つもりだったという。まるで、ほんの寄道のような感じだ。

僕なら、一万ドルの現金と、まっさらのパスポート、最も安全なホテルの予約に、防弾ジャケットがあったとしても、イラクへ入国する前には、極度の緊張を強いられるだろう。へたをすると国境を越える決意を固めるのに、何週間もかかるかも知れない。怪我をしたり、死ぬ危険があれば、当然そうなる。勇気の問題ではない。

彼は、不測の事態をまったく想定していなかったように思う。すべてが順調にいくという前提で行動していたとしか思えない。でなければ、あのような「軽装」でイラクには入れない。

─自発的報道管制─

今回のイラク戦争に限らず、アフガニスタン戦争や湾岸戦争では、厳しい報道管制が敷かれた。ベトナム戦争と、それ以後の戦争報道とは天と地ほどの違いがある。ベトナム戦争には「報道管制」などなかった。メディアには、自由な取材どころか、あらゆる便宜が与えられた。すべてが取材され、世界のメディアで流された。戦争の真実があますところなく報道された最後の時代だ。戦争では、市民までが、どれだけ無慈悲に殺されるか、そしてその無惨な殺され方まで人々は理解した。

ベトナム戦争の敗因の半分は、自由な報道にあったと言えるだろう。以後、戦争報道は一変し、完璧な報道管制が敷かれた。果敢に戦う米軍兵士の姿ばかりが映され、戦死者や市民の犠牲者は幽霊のように消えた。報道は、作りものの映画となんら変わりなくなった。ピンポイント爆撃の映像はテレビゲームのようだ。そんな映像からは、本当にそこで人が殺されているという実感など持ちようがない。

911テロの報道でも、まったく遺体が放映されていない。撮影されていないはずはない。遺体の映像は、敵に対する憎悪よりも、戦争を忌避する感情をこそ生む。国民を戦争に駆り立てたいアメリカ政府は、遺体の映像を極度に規制した。マスメディアはそれを忠実に守った。というより、自発的に自己規制した。メディアのたゆまぬ努力の結果、戦争報道からおぞましい血の臭いが消えた。マスメディアは、間違いなく戦争の共犯だ。

映画的、テレビゲーム的戦争報道から、人々の苦痛や死を実感することは難しい。死がイメージできなければ、死への恐怖もない。死への恐怖がなければ、それこそ戦場へでも行ける。香田証生君の信じがたい「軽装」は、死への不感症によるのではないだろうか。その不感症は、意図的に真実を遮断する報道の歴史が生んだのではないか。

─インターネット・メディア─

アンマンの、バッグパッカーが集まるクリフホテルには「イラクへの行き方」を書き込んだ情報ノートがあるらしい。イラクへ入国した旅行者は、実際に何人もいるという。

危険な地帯に吸い寄せられていく若者は多い。そうした若者に、僕自身何人も出会ってきた。彼らの、動機や目的は様々であり、一概には語れない。動機や目的がどうあれ、基本的には当該国が拒まない限り、誰がどこへ行くのも自由だ。渡航の自由は憲法が保障している。だが、マスメディアにのるような事件が発生したとき、それは無謀な行為、迷惑な行為、人騒がせとして、非難の集中砲火をあびる。しかし、危険な地帯へ吸い込まれる若者と、それを批判する者たちの間に、何か違いがあるだろうか。

「ファルージャで市民多数が犠牲になっている模様」とマスメディアが100万回繰り返したところで、誰もその死を実感することはできない。マスメディアの「自発的報道管制」により、世界中が真実から遮断されている。そんな状況で、イラク市民の死や苦痛や恐怖や悲しみを、理解しろという方が無理だ。人の死を脳の表面で認識することと、こころの奥深くで理解することとは別物だ。危険な地帯に赴く若者も、それを批判する大人も、死や苦痛への不感症という点では、何ら変わりないように思う。

マスメディアが、戦争の真実を伝えることは、もはやありえない。しかし、イスラム系メディアや多くのインターネット・メディアが、戦争の真の姿を伝えようと努力している。

後頭部を吹き飛ばされた少女の、まるで寝ているような表情を見て、何も感じない人はいないだろう。
生きたまま、両腕が灰になるまで焼かれた少年の姿を見て、それが現実の映像だと信じられる人はいないだろう。
治療も受けられず、肉体をえぐられたまま横たわる少女の、カメラに向けられた視線に耐えられる人はいないだろう。

もし、香田証生君が、クリフホテルの情報ノートを読む前に、インターネット・メディアのひとつでも閲覧し、写真の一枚でも見ていたら、もっと慎重に行動していたのではないだろうか。あるいは、イラク入国を思い止まっていたかもしれない。

情報は、自然に与えられるものではなく、こちらから勝ち取るものなのだ。


【アブグレイブ収容所虐待写真はニセモノだ】

2004年12月11日 23時04分44秒 | ■イラク関連
アブグレイブ収容所の衝撃的な虐待は、はやくも過去の事件となってしまった。
しかし、若干なりとも写真を撮っている者として、一言、あの一連の写真について触れておきたい。

あれは、ニセモノだ。

正確に言うと、虐待はホンモノだが、「記念写真」はニセモノだ。

【ブッシュの罠】で少し触れたように、あれは、政治的な目的で意図的に撮影されたものだ。そして、「意図的に流出」させたものだ。
虐待写真の「暴露」は、ブッシュ政権から米国選挙民に対するメッセージ(罠)だ。
「わが軍隊はこんな非道な虐待もしています。いやならケリーに投票してください。私を再選させたら、今後も起こります。そしてその責任は、私を選んだアメリカ国民にあります」と。
もちろん、ブッシュは大統領選挙に勝つための、あらゆる対策ができあがっていたから、こういう離れ業ができた。(評論【ブッシュの罠】参照)
また、アラブやイスラム教徒の憎悪を煽るのにも、たいへん効果的だ。怒りを増幅させ、どんどんテロを広げて欲しい。そういうブッシュ政権の計略もこもっている。

あの「記念写真」のどこがニセモノなのかを、はっきり証拠を示すことは無理だ。あくまで僕個人の直感だ。

ただ、あのような「記念写真」には、ベトナム戦争で数多く接してきた。
アブグレイブの写真は、衝撃的だが「臨場感」がない。虐待をしている人間の、荒んだ腐臭が写っていない。抽象的だが、そう言うしかない。
いわば素人モデルを使った、にわか写真だ。非道な虐待があったことは、まぎれもない事実だが、一連の写真は虐待の現場写真ではない。全体があまりにもちぐはぐな印象を受ける。虐待を受けるイラク市民の極度の緊張感にくらべ、虐待する兵士に余裕がありすぎる。確かに、虐待する側は余裕だろう。しかし、人間が他者に虐待や拷問を加える時は、少なからず異常心理状態になっているはずだ。あの虐待兵士二人は、どう見ても「平常心」だ。
事実、あの一連の写真に写っている二人の兵士は、『命令されて、そこに立った』と証言している。
訳も分からず、ただ単に命令に従っただけだから、あのような表情になるのだ。

徹底的な「報道管制」を敷いてきた米軍内部から、虐待写真が流出するなど、絶対にありえないことだ。
暴露したつもりが、実は暴露させられていたに過ぎず、「ブッシュの罠」のお手伝いをしただけの結果になってしまったのだ。
ブッシュの足をすくったつもりが、実はこちらがころころ手玉に取られていたにすぎない。一事が万事そんな調子だ。ブッシュ政権のメディアコントロールは実にきめ細かい。

セイモア・ハーシュにCD-ROMを渡した兵士は一体誰なのか。
軍内部で問題にされたのかどうかも、伝わってこない。
ジョージ・W・ブッシュと彼の政権を侮ってはいけない。