報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

東ティモール: レイナド元少佐逮捕に新事実

2006年07月28日 18時08分13秒 | ■東ティモール暴動
おとついの26日に、”反乱兵士のリーダー”アルフレド・レイナド元少佐が、オーストラリア軍に逮捕された、というニュースを紹介したが、メディアの報道内容は意図的にゆがめられていた可能性が高い。

レイナドと彼の部下を逮捕したのは、オーストラリア軍ではなく、武器弾薬の不法所持を取締まっていたポルトガルのGNR(準軍事的警察隊)だった。通報を受けたGNRが、ある家屋を急襲し、逮捕してみたら、レイナドとその部下だったのだ。

そして、ポルトガルのメディア”LUSA”は非常に興味深い事実を報じている。

レイナドと彼の14名の部下は、武器弾薬取締りのGNRによって急襲された。

レイナドと彼の部下がいた敷地内の三つの家屋は、多量の武器弾薬と、その他の軍用品であふれていた。
そして、その家屋とオーストラリア軍の本部とは、たった10メートルしか離れていないのだ。
Major Alfredo Reinado fica em prisao preventiva
Lusa 27-07-2006
http://www.lusa.pt/service.asp?service_id=Servi%E7o+Timor-Leste&template=default&datestr=27-07-2006&topic=Todos

ある未確認の情報では、レイナドの隠れ家とオーストラリア軍の本部とは、道路を挟んだ向い合わせだという。

オーストラリア軍は、完璧にレイナドとその部下を保護下に置いていたということだ。それが、通報によって逮捕されてしまった。”辻褄合わせ”の逮捕ではなく、まったく予想外のアクシデントによる逮捕だったのだろう。

ここで、重要なのは、ポルトガルを除く欧米豪のメディアは、レイナドの隠れ家とオーストラリア軍の本部とが、たったの10メートルしか離れていなかった事実を、一切報じていないことだ。

欧米豪のメディアは、報じてはいけないことを、実によくわきまえている。




※今日から、二週間ほどブログの更新をお休みいたします。
調子の悪いPCのメンテナンスや、資料の整理など、やまもりです。
それから、国内を少し移動。
要するに、夏休みです。

東ティモール: ロバト前内務大臣、襲撃隊武装の供述を撤回

2006年07月27日 13時58分58秒 | ■東ティモール暴動
マリ・アルカティリ首相追い落としの決定的要因となった「アルカティリの襲撃隊」の生き証人ロバト前国務大臣が、その供述を撤回していたことが、昨日豪紙で報じられた。

ロバト前内務大臣の弁護士三名は、ロバト氏の告白は、オーストラリア軍に強要されたものである、と7月の最初に主張していた。

しかし、メディアはこの撤回発言を報じなかった。その目的は、アルカティリ首相を法廷に引きずり出し、罪人の烙印を押すためだ。

欧米のメディアは、誰かが、どこかで描いたシナリオに全面協力してきた”共犯”だ。


ロバト、襲撃隊武装の告白を撤回
The Sydney Morning Herald
July 26, 2006
東ティモールの前国務大臣ロジェリオ・ロバトは、与党フレティリンの敵を殺害するために民間人を武装したことを、非公開の法廷審問において二回に渡って認めたことを、法廷の傍聴人が明らかにしていた。

6月22日と7月1日のディリでの審問の間、その告発に対してロバトは有罪を認めたと、司法制度監視機関は述べた。

しかし、伝えられるところによれば、ロバトの弁護士は、告発を否定し、そして、法廷でウソの証言をするようオーストラリア軍の兵士に強制されたことを主張するための書類を、7月1日の審問の5日後に準備していた。

(オーストラリアの)国防省スポークスマンは、この主張を否定。

ロバトは、先月、自宅軟禁に置かれた。

”ライロス”として知られる元ゲリラ闘士ビンセント・ダ・コンセイソンの証言に基ずく告発を、7月1日の法廷でロバトが認めたとき、ロバトの三人の弁護士はそこにいた、と監視機関は発言している。

(”監視機関”は、東ティモールの司法制度の構築を援助するために2001年に設立された。)

法廷に提出されたダ・コンセイソン氏の供述によると、ロバトが彼に武器を与え、そして与党フレティリンの政敵と軍の不満分子を殺害するよう命令した、となっている。

彼は、ロバトはマリ・アルカティリ(すでに辞任し、先週、検察官の尋問を受けた)の完全な影響下で行動していた、と言った。検察は、アルカティリ氏が容疑者として扱われつつあることを示唆している。

ロバトは、有罪になれば最高15年の懲役になる。
Lobato retracts admission he armed hit squad
The Sydney Morning Herald
July 26, 2006
http://www.smh.com.au/news/world/lobato-retracts-admission-he-armed-hit-squad/2006/07/25/1153816182507.html?from=rss

ここで重要なのは、メディアがいままでこの「告白撤回」の事実を隠蔽してきたことだ。

メディア上では「アルカティリの襲撃隊」は、紛れもない事実として描かれてきた。「告白撤回」には見て見ぬフリをし、メディアは何の裏付けもないまま「襲撃隊」を既成事実として一斉に報じてきた。メディアの世界も”赤信号みんなで渡れば恐くない”のだ。証拠がなくても、他のメディアが報じていれば、平気で右にならう。

なぜか?それが大国の利益にかなう限り、誤報・虚報・隠蔽はいくらでも許されるからだ。

アルカティリを首相の座から追い落とし、次に法廷に引きずり出し、罪人に仕立て上げる。そうしてようやく”南太平洋の副保安官”は枕を高くして眠れる。そのための協力を世界のメディアは決して惜しまない。

今回、The Sydney Morning Herald(SMH)が、この事実を報じたことは評価したいが、手放しでは喜べない。こうした報道にも、メディアの打算や狡知が含まれているからだ。つまり、すべてが手遅れなるのを見計らって、したり顔で報じるのだ。メディアは保身のために少しづつこうした事実の断片を小出しにする。

このSMHの記事も、結局、筋を曖昧なままにしている。こういう記述方法は、あとでどっちにでも言い逃れができる。

反乱兵士リーダー、レイナド元少佐逮捕の意味

2006年07月26日 16時15分29秒 | ■東ティモール暴動
反乱兵士のリーダー、アルフレド・レイナド元少佐が逮捕された。理由は、火器所持違反だ。

なにをいまさら、という感じだ。
”反乱兵士”のリーダーが、何ヶ月も堂々と自由に生活をしていたこと自体がおかしい。今回の逮捕は、役目を終えて、一応、辻褄を合わせるために逮捕したのだろう。

アルフレド・レイナドは、インドネシア支配時代はオーストラリアで避難生活をし、東ティモール独立後、国防軍に入隊し、オーストラリアで訓練を受けた。非常にオーストラリアと縁の深い人物であることが当初から指摘されている。


反乱軍のリーダー、アルフレド・レイナド少佐は、オーストラリアの国防軍事アカデミーで訓練された。シドニー大学講師ティム・アンダーソンによれば、「彼は、少なくともカトリック教会、オーストラリア、アメリカによって支援されている」ということだ。
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/6bec4585bcd9081bf24875fc4ae18dd2

2000名の部隊とともに到着した、あるオーストラリア軍准将は、ヘリコプターで反乱軍のリーダー、アルフレド・レイナドの本営へ直行した。しかしそれは、民主的に選出された首相を転覆しようとした罪によってレイナドを捕らえるためではなかった。彼と友好的なあいさつをするためだった。他の反乱兵と同様に、レイナドもキャンベラで訓練されたのだ。
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/380071a383cba22fe0ba2c7dc00b0421

ちょっと想像してほしい。たとえば(豪の)北部地区で訓練中のオーストラリアの兵士たちが無断外出をして、彼らを追跡中してくる兵士を銃撃したら、どうなるだろうか。彼らは、タクティカル・レスポンス部隊に撃ち殺されるだろう。よくて軍刑務所行きだ。

しかし今回、レイナドの部下にはオーストラリアのSASのボディガードがつき、彼らが持ち出した若干の武器を返還したあとは、自由のままでいるのだ。
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/d/20060711


反乱兵士のリーダー、レイナド少佐の登場は少し不可解である。

当初、約600名の反乱兵士を率いていたのは、ガスタンゥ・サウシーニャ(Gastao Salsinha)元大尉だ。彼が、”反乱兵士のリーダー”という肩書きを得ていた。

しかし、ある日突然、アルフレド・レイナド少佐がメディアに登場する。最初は、レイナドの部隊がパトロール中に行方不明になったと報じられた。その後、レイナドは山中で、軍からの離脱を宣言。アルカティリ首相の辞任を要求する。同時に、”オーストラリアは友人だ”とも発言している。

以後、レイナドが反乱兵士のリーダーとして報じられるようになった。突然、サウシーニャと入れ代わったのだ。

レイナドが、サウシーニャの部隊と合流したのか、それとも別個なのかさえ、よくわからない。しかし、以後、今日までメディアでは、”反乱兵士のリーダー”という肩書きがレイナドにつくようになった。

なぜメディアは、レイナドとサウシーニャがスイッチしたと知ったのだろうか。何の迷いも混乱もなく、申し合わせたかのように一斉に、反乱兵士のリーダーの称号がレイナドに移行した。

600名の反乱兵士を率いていたサウシーニャ元大尉は、メディアから跡形もなく消えた。彼らは、今どこで何をしているのだろうか。

今回逮捕された”反乱兵士リーダー”アルフレド・レイナド元少佐は、いずれもっとりっぱな公的肩書きを得て復活するだろう。



East Timorese rebel leader arrested
http://www.abc.net.au/news/newsitems/200607/s1697196.htm
East Timor police surrender weapons
http://www.theaustralian.news.com.au/story/0,20867,19904180-1702,00.html

東ティモール いまだ暴力が続く理由

2006年07月24日 18時59分54秒 | ■東ティモール暴動
<ラモス・ホルタ首相、外遊へ>
ラモス・ホルタ東ティモール首相は、就任後はじめての外遊へ。

インドネシアのユドヨノ大統領と会見し、そのあと、ASEANの外相会議にオブザーバー出席する。将来的にASEAN正式加盟をめざす模様だ。

今回の外遊で、ラモス・ホルタ首相は、資源開発に関して、インドネシアのビジネスマンと会う予定をしているようだ。

どのような内容なのかは、いまのところ分らないが、ホルタ首相は、資源開発に積極的であることは確かなようだ。今後の動向に注目しなければならない。

<暴力の主体が10代の若者へ>
ディリでは、いまだに7万人以上の避難民が、暴力の脅威に晒されている。襲撃を担っているのは、ローカルワインで酔っ払った非常に若い十代のグループと報告されている。

ローカルワインとは、パーム椰子で造った粗悪な安酒だ。白く濁ったドブロクで、ペットボトルに入れて通りで売られている。

十代の若者(12歳くらいとも表記されている)が、ドブロクを飲んで酔っ払って、難民キャンプを襲撃する理由があるとは思えない。誰かに酒を飲まされ、そして報酬をもらい、酔った勢いを借りて襲撃をしていると考えるのが妥当だ。

ティーンエージャーなら安くかつ容易に操作できる。20代や30代になると報酬も高くなる。かつ、暴動が沈静化したいま、襲撃を行うことのリスクを考えるだろう。すでに一定の報酬を得て満足し、再度、アクションに駆り立てるのは難しかったのかもしれない。そこで思慮の足りない10代前半の子供を襲撃者に選んだのだろう。

7万人もの避難民をキャンプに釘付けにし、家に帰れなくすることで、危機は去っていないとアピールすることができる。

そして、オーストラリア軍は東ティモールに居座り続けることができる。

”マチェテ(大型のナタ)や棒で武装した暴徒の鎮圧に、オーストラリア軍を派遣することは過剰である”との見解に対して、前豪国防軍司令官ピーター・コスグローブ将軍は、これを否定した。
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/d/20060706

東ティモールでの危機が去ってしまうと困る人がいるということだ。そのために、7万人もの人々がいまだに不自由な生活を強いられている。



Timor teens terrorise camps of displaced
http://www.theage.com.au/news/world/timor-teens-terrorise-camps-of-displaced/2006/07/23/1153593211534.html

アルカティリ前首相を事情聴取

2006年07月22日 16時34分13秒 | ■東ティモール暴動
20日にアルカティリ前首相は事情聴取に応じたようだ。特にこれといった内容はなく、いまのところ形式的なものだ。

前首相は、15日間ディリ外へ出ることを禁じられた。自宅を出るときも、当局に報告しなければならない。かなり、屈辱的な通達だ。

事情聴取に付随するcnn.co.jpの記載は典型的なステレオタイプだ。

今春から表面化した東ティモールの権力闘争は、前首相が冷遇改善、昇進差別を訴える軍兵士の要求に耳を傾けず、除隊処分に訴えたのが大きな理由。東西地域の住民の対立感情も噴き出て、首都ディリなどで略奪、銃撃戦や放火などが頻発していた。多数の死者も出ている。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200607200032.html

今回の事態は、あくまで東ティモール国内の「権力闘争」であり、その責任は「アルカティリ前首相」にあると。「東西対立」も既成事実として忘れずに記載している。

こうした記載が繰り返されて「歴史」になっていく。


メディアは、前首相を小さく弱々しく写るようにしている。
そして、傍らにいるオーストラリア兵士は、強く逞しい印象を与えるように。

http://www.topix.net/content/reuters/3151074587106192220028187844873514154150














http://www.cbsnews.com/stories/2006/07/20/ap/world/mainD8IVKGG81.shtml


ティモール海の石油とガスの価値

2006年07月21日 17時39分51秒 | ■東ティモール暴動
まず、おさらいをしておきたい。
東ティモールとオーストラリアの海上境界はどこかという問題だ。

国連海洋法条約(UNCLOS)
第57条  排他的経済水域の幅
 排他的経済水域は、領海の幅を測定するための基線から200海里を超えて拡張してはならない。

第83条  向かい合っているか又は隣接している海岸を有する国の間における大陸棚の境界画定
 1   向かい合つているか又は隣接している海岸を有する国の間における大陸棚の境界画定は、衡平な解決を達成するために、国際司法裁判所規程第38条に規定する国際法に基づいて合意により行う。

国連海洋法条約は、両国間の距離が400海里以内の場合の明確な境界画定の基準を定めていない。判定は国際司法裁判所に委ねているが、こうした場合、判例は両国間の中間線を境界と示しているようだ。それを恐れてオーストラリア政府は、2002年4月に領海問題に関する国際司法裁判所の管轄権から離脱してしまった。


オーストラリアの共謀について、海洋法の権威ロジャー・クラーク教授はこう書いている。
「それは、泥棒から手に入れた盗品のようなものだ。彼らは歴史的にも、法的にも、道義的にも、東ティモールにその資源を要求する権利はない、それはまぎれもない真実だ」
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/380071a383cba22fe0ba2c7dc00b0421


http://www.laohamutuk.org/Bulletin/2003/Aug/bulletinv4n34.html#g-boe

図の青い点線が、両国の中間線であり、本来ここが境界でなければならない。しかし、オーストラリア政府は、赤い実線を主張している。これは1972年にオーストラリアとインドネシアとの間で結ばれた協定だ。それを独立国に対して主張するのは横暴としか言いようがない。中間線から東ティモールの間の資源に対して、オーストラリアは一切の権利を持っていないことは明白である。

ちなみに、図中のLaminaria-Corallina油田はすでにほとんどがオーストラリアによって「盗掘」され、枯渇間近である。約2兆円分が「盗掘」された。

しかし、小国東ティモールは、これまでかなりの譲歩をしている。オーストラリアの援助なしには資源を早期開発できないからだ。しかし、オーストラリアはそれで満足する気はなく、アルカティリ前首相もそれ以上、譲歩する気はなかった。その間に、原油価格が急上昇してきた。

東ティモール独立当時は、原油1バレルが10米ドル前後だった。しかし、いまや70米ドルを越えている。7倍に跳ね上がった。これまでは採算ベースに合わなかった北極圏の油田さえ開発がはじまっている。オーストラリアにとっては、目の前の大陸棚の石油が日増しに価値を増しているのだ。

では、ティモール海にはどれくらいの資源があり、それはどのくらいの価値を持つのか。単純計算してみた。中間線から東ティモールよりにある石油とガス資源の埋蔵総量は33億BOE。BOE(barrels of oil equivalent)は「石油等価物」という意味であり、天然ガスを原油の価値に換算して合算したものだ。

33億バレル×70米ドル=2310億ドル(約26兆8000億円)

本来、これだけの資源がすべて東ティモールのものなのだ。
しかし、現時点ではどうなっているかと言えば、東ティモールの取り分が、約11兆円分(13.46億BOE)。オーストラリアは本来は何の権利もない15兆8000億円分(19.54億BOE)の資源を強引に押さえている。しかも、ティモール海のオーストラリア側の海域には、これら総量の4倍の資源を持っているのだ。

オーストラリアはエネルギー自給率が200%を越えるエネルギー大国だ。
1バレル100米ドルを越える日もそう遠くはなさそうだ。
すでにピークオイルが来たと観察されているいま、それは現実的だ。
石油とガス資源は、いまや放っておいても価値を増している。
そして問題は、いまのうちに誰がいかに多く持つか、だ。


<参考サイト>
The La'o Hamutuk Bulletin Vol. 4, No. 3-4: August 2003
http://www.laohamutuk.org/Bulletin/2003/Aug/bulletinv4n34.html#g-boe
海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/m0008330.htm
【オーストラリア】「エネルギー超大国になる」首相が主張
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060719-00000001-nna-int
手つかず北極圏石油大手が狙う 埋蔵量サウジの4割 原油高騰でコスト吸収
http://www.business-i.jp/news/world-page/news/200607150010a.nwc
原油価格は1バレル100ドル超に上昇へ=米著名投資家
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060706-00000103-reu-bus_all

東ティモール:アルカティリ前首相、逮捕まぢかか

2006年07月20日 17時21分21秒 | ■東ティモール暴動
マリ・アルカティリ前首相が、いよいよ逮捕されそうな雲行きだ。東ティモールのモンテロイ検事総長は、逮捕の可能性を排除できない、と発言している。

東ティモールを支配しようとしている者は、マリ・アルカティリという政治家を心底恐れているのだろう。彼の政治生命を完璧に絶たなければ、落ち着いて眠れないに違いない。

アルカティリ前首相は、事情聴取に応じる構えだが、そうなれば彼の運命は決定するだろう。

前首相への嫌疑は「私的襲撃隊の編成と武器供与」だ。そして、逮捕済みの前内務大臣ロジェリオ・ロバトは、「アルカティリの指示で、自分が襲撃隊を編成し武器を渡した」と供述している。また、ロバトから武器を受け取ったという民兵の証言もある。

この報道の時点で、アルカティリ前首相は国際社会から「有罪」を宣告されたようなものだろう。あとは、実際に彼を逮捕し、公判の被告席に立たせれば、ほぼすべては終了だ。

「アルカティリの襲撃隊」の存在に疑問を投げかける、オーストラリアの”The Age"紙の記事では、すでに紹介した。
※当初「襲撃隊」と表記されていたものが、後に「暗殺隊」と表記されるようになった。

この「アルカティリの襲撃隊」のニュース・ソースは豪ABCテレビの”Four Corners"という番組だ。そして襲撃隊の存在はろくに検証もされず、他のメディアによって”既定の事実”として瞬く間に世界を駆け巡った。そしてこのレポートを機に一気にアルカティリ首相辞任要求は加速していった。

”Four Corners"のレポートが6月17日で、翌18日、グスマン大統領は、首相に辞任を要求している。そして、反アルカティリ暴動は激化。23日、大統領は、首相が辞任しないのなら自分が辞任すると発表。翌24日、それを撤回。25日、ラモス・ホルタ外相兼国防相が辞任。そして、26日、ついにマリ・アルカティリ首相は辞任した。”Four Corners"のレポートから9日後だ。

あらゆる状況を考慮すれば、ロバト前内務大臣の供述の信憑性には、個人的には大きな疑問を感じる。ただし”不自然だ””できすぎている”という主観的なものだが。

大国オーストラリアを向こうに回して、一歩も引けをとらなかった屈強なアルカティリ首相を放置しておけば、必ず再起するであろうことは誰にでも予想できる。必要なときに、都合の良いことが必ず起こるのが”歴史”というものだ。

この事態に、アルカティリ前首相には策があるのだろうか。



<参考記事>
東ティモール報道:小出しにされる真実
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/65dcf520483615b130483052528c2eb3
アルカティリ前首相、オーストラリアを激しく非難
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/26b664ffd3f0b01629d427d25fc07093


東ティモール:大合唱の中で鳴く蚊

2006年07月19日 22時54分43秒 | ■東ティモール暴動
東ティモールのことを書き続けているが、僕はここで証拠を提示しようとか、あるいは、何かを証明しようなどとは思っていない。証拠を提示したり、証明できればいいが、現実はそんなに甘くはない。永遠に現れない証拠を探しそうとするのは徒労だ。強引に証明と称したりするのは欺瞞だ。

東ティモールで暴動が発生し、オーストラリア政府に軍隊の派遣が要請された瞬間、すべては明らかになったも同然なのだ。東ティモールはミニミニ・イラクであり、オーストラリアはミニミニ・アメリカなのだ。

しかし、それを証明する証拠や手立てはどこにもない。では、黙っているのか。そういう人もいるかもしれない。証拠がないんじゃあ、どうしようもないじゃないか、と。はたして、そうだろうか。証明ごっこというゲームをしているわけではないのだ。そこにいるのは、われわれとまったく同じ人間なのだ。

われわれには、一定の条件付けがある。”証拠を見るまでは信じない”という条件づけだ。

僕は、”すべてを疑え”といつも言っている。だが”証拠を見るまで信じるな”と言ったことはない。”すべてを疑え”とは”証拠さえも疑え”ということだ。世界が「大量破壊兵器の証拠」を信じたために、何十万というイラク市民の命が奪われた。

では、証拠のないものは、もっと疑えということになる。いや、そうではないのだ。別にレトリックで遊んでいるわけではない。

僕は、証拠や証明を軽んじているわけではない。しかし、いままさに、多くの人々の生活や命が脅かされているときに、そうした証拠の探査などという優雅な行為は、敵を益するだけなのだ。

僕を含め、これまで記事を引用してきた人々は、決して「決定的証拠」を握っているわけではない。にもかかわらず、彼らは書いた。世界の有力メディアが反アルカティリの大合唱をし、オーストラリアを救世主と称えているこの時期に、まったく相反することを述べるのは、とても危険なことだ。

デマゴーグだ、陰謀論者だ、とレッテルを張られかねない。そうなればその後の活動に支障をきたすかもしれない。それでも彼らが書いたのは、僕と同じ気持ちだからだと思う。

いままさに、人々の生活や命や未来が脅かされているからだ。いま書かなければいつ書くのか、と。

われわれが艱難辛苦の後”やっと証拠をつかんだぞ!”と高らかに叫んだとき、すでに未来は奪われたあとかもしれないのだ。

では、証拠もないのに、何を頼りに信じればいいのか。残念ながら、普遍的な指針はどこにも存在しない。しかし、こう言うことはできる。指針などないところで、指針になるものを求めようとするから、いとも簡単に操作されてしまうのだ、と。

メディアの大合唱を信じるか、蚊の鳴くようなわれわれの言葉を信じるかは、自由だ。

最後に、もうひとつだけ。大手メディアは、マリ・アルカティリ前首相が「独裁者である」という証拠はいっさい提示していない。そのように大合唱しているにすぎないのだ。

東ティモール:世界が見逃したクーデター

2006年07月18日 18時26分17秒 | ■東ティモール暴動
東ティモールでいままさに進行している事態について、真摯に伝えようとする報告が、わずかではあるが存在している。

僕が捉え切れていないものもあるに違いない。すべてを網羅できればとも思うが、それだけにエネルギーを傾注するわけにもいかない。

これまでに紹介してきた海外の記述だけでも、すでに多くの示唆を与えてくれている。

僕はここで、何かを証明したいとは思っていない。連日、東ティモールのことしか書いていないが、東ティモールのことだけに注目して欲しいわけではない。

世界の構造の縮図がここで展開されている。東ティモール独自の問題ではない。ここは、イラクであり、アフガニスタンであり、パレスチナであり、アフリカであり、ラテン・アメリカなのだ。


東ティモール:世界が見逃したクーデター
ANTIWAR.COM June 22, 2006
by John Pilger
1994年製作の私のフィルム「Death of Nation」には、北オーストラリアとティモール島の間を飛行する機内のシーンがある。
パーティが進行中だ。;二人のスーツの男がシャンペンで乾杯をしている。
「これは、歴史上、類を見ない瞬間だ」
と、ガレス・エバンス豪外務大臣(当時)は感情を露にした。
「これはまことに比類のない歴史的出来事だ」
エバンスと彼のインドネシアの相棒アリ・アタラスは、ティモール・ギャップ条約(Timor Gap Treaty)の調印を祝っていた。これによって、オーストラリアは、ティモール沖の大陸棚に眠る石油とガスの開発に着手できる。エバンスの手柄である究極の戦利品は”無尽蔵の”ドルだ。

オーストラリアの共謀について、海洋法の権威ロジャー・クラーク教授はこう書いている。
「それは、泥棒から手に入れた盗品のようなものだ。彼らは歴史的にも、法的にも、道義的にも、東ティモールにその資源を要求する権利はない、それはまぎれもない真実だ」
小さな国が彼らの支配下に置かれ、そして、20世紀でもっとも暴力的な占領を受けたのだ。
人為的な飢餓と殺戮によって、人口の四分の一である18万人もの人々が亡くなった。これは比率にすれば、ポルポト政権下のカンボジアの大虐殺よりも大きいのだ。国連真実委員会は、1000以上の公式文書を調査し、西欧政府は虐殺の責任を負っていると、一月に報告した。
オーストラリアが訓練したインドネシアのゲシュタポというべきコパスス、そして政治家、それから独裁者スハルト以前には遊びほうけていた主要なジャーナリストが、その一部を成す。これらはCIAによって大量殺戮者と記述されている。

6年前、世論はジョン・ハワード政権が国連平和維持軍を主導するよう求めた。それ以後、オーストラリアは有益で気前のよい、東ティモールの隣人として描かれたがっている。
東ティモールはいま、独立国家となった。それは住民の勇気とフレティリンの粘り強い抵抗によって導かれた解放運動によって成し遂げられた。フレティリンは2001年の最初の民主的選挙で大勝した。そして昨年行われた地方選挙でも、投票の80%を獲得した。
フレティリンは、世界銀行による民営化と干渉に抵抗する、信念を持った経済ナショナリストのマリ・アルカティリ首相に導かれた。
アルカティリは、ロマンカトリックが体勢を占める国での世俗的なイスラム教徒だ。しかし彼は、筋金入りの反帝国主義者だ。ティモール・ギャップの石油とガスを略奪するために、不当な分配を高圧的に要求するハワード政権に立ち向かってきた。

4月28日、東ティモール軍のある勢力は、表面上は、不当な扱いに対する暴動を起こした。ある目撃者─オーストラリアのラジオリポーター、マリアン・ケアディは、そこにアメリカとオーストラリアの将校たちが含まれていたことを暴露した。
5月7日、アルカティリはこの暴動はクーデターの企てであると表現した。そして、”外国人とアウトサイダー”が国を分裂させようとしていると言った。
リークされたオーストラリア国防軍の文書によって、東ティモールにおけるオーストラリアの”第一の目的”は、オーストラリア軍が”東ティモールの意志決定に対する影響力”を行使するための”通路を捜すこと”だと暴露されている。
だが、ブッシュ崇拝の”ネオコン”はそれをうまく遂行することができなかった。

しかし、5月31日、その”影響力”の機会がやってきた。つまり、アルカティリのナショナリズムに反対する東ティモールの大統領シャナナ・グスマンと外務大臣ジョゼ・ラモス・ホルタの”招待状”を、ハワード政権が受け入れ、部隊を首都ディリに送った時だ。
オーストラリアの部隊は、”救援するわれらの少年たち”というオーストラリアのプレスの報道に伴われてやってきた。同時に、アルカティリを”腐敗した独裁者”として中傷するためのキャンペーンも一緒にやってきた。
ルーパート・マードックの「オーストラリアン紙」の前編集長ポール・ケリーは書いている:「これは非常に政治的な干渉である・・・オーストラリアは安全保障と政治的成果を形成する地域権力、または、政治的覇権として作戦している」と。
翻訳すると:オーストラリアは、ワシントンのよき指導者のように、他国の政府を転覆する神権を持っている、ということだ。
前首相ポール・キーティングの演説立案者であるドン・ワトソン(最も悪名高いスハルトの擁護者)は信じられないことを書いている。:「誤った国家での生活よりも、残忍な占領下での暮らしの方が、はるかによいだろう」と。

2000名の部隊とともに到着した、あるオーストラリア軍准将は、ヘリコプターで反乱軍のリーダー、アルフレド・レイナドの本営へ直行した。しかしそれは、民主的に選出された首相を転覆しようとした罪によってレイナドを捕らえるためではなかった。彼と友好的なあいさつをするためだった。他の反乱兵と同様に、レイナドもキャンベラで訓練されたのだ。

ジョン・ハワードは、南太平洋における、ジョージ・W・ブッシュの”副保安官”という彼の称号を喜んでいると言われている。彼は、最近、ソロモン諸島の反乱に部隊を送った。パプア・ニューギニアやギネア、その他の小さな島国で、帝国への機会が彼に手招きをしている。
かの保安官殿は、それを承認することだろう。
" East Timor: The Coup the World Missed "
ANTIWAR.COM June 22, 2006
by John Pilger
http://www.antiwar.com/orig/pilger.php



東ティモール: マーシャルアーツ・グループ

2006年07月17日 18時20分56秒 | ■東ティモール暴動
2001年頃には、数多くのマーシャルアーツ・グループが東ティモール全土に存在した。人口80万の島にしては、異様に格闘グループが多いのが少し不思議だった。でも、格闘好きなんだろうぐらいにしか思っていなかった。

その構成員は、どこの世界にもいるチンピラ然とした若者だ。力を誇示するグループ間の抗争は頻繁に行われていた。グループの暴力に対抗して、住民がグループのメンバーを襲撃することもあった。

国連文民警察やPKFは、抗争があれば出動するが、それだけだ。見えるところに居ても、深追いすることはなかった。

どんな田舎の村にも、マーシャルアーツ・グループは存在し、暴力と抗争を担っていた。ほんの些細なもめごとでも、自動小銃と手榴弾まで持ち出された。抗争相手の家は焼き払われ、死者が出る事もあった。

インドネシアの支配と暴力が終わったばかりだというのに、それはあまりにも理解しがたい現象だった。





































[写真は、すべて2001年撮影]


今回の、東ティモールで、暴動や放火の主力を担ったのは、これらマーシャルアーツ・グループだと推測できる。15万人の避難民が即座に生まれたのも、常日頃から地域や地区で暴力を働いていた惨忍なグループに急き立てられたからだ。

グループは、暴動中も抗争をする有様だったが、外国部隊や外国メディアにはいっさい手出しをしていない。外国部隊も、グループの武器を取上げるだけで、それ以上のことはしていない。キャッチ・アンド・リリースなのだ。これでは、どうぞ暴動を続けてくださいと言うようなものだ。まるで暗黙の合意でもあるかのようだ。しかし、特にそうした合意があるわけではないだろう。

グループを養成しコントロールしている勢力と、治安維持部隊を派遣した勢力とは、同一というだけだ。

東ティモール: ギャング団を操る勢力

2006年07月15日 18時52分07秒 | ■東ティモール暴動
東ティモールのディリ周辺では、いまだ7万人が非難生活を送っている。

僕が住んでいる町の人口が約8万人だ。その人口がまるまる難民となるところを想像するのはかなり難しい。8万人が難民になるだけでも、それは大事業だ。しかし、東ティモールでは、ほんの短期間の間に15万人が家を追われたのだ。

メディア上では、いともあっさり、東ティモールでは15万人が家を追われた、と表記されるが、そこには大変なエネルギーが投入されているはずだ。

恐怖に駆られた人々が、自主的に家から出てきたのではない。住民は、ギャング団の脅迫によって家を追いたてられたのだ。このギャング団なるものの組織力、統率力は並大抵ではないはずだ。言って見れば、準軍事組織的というべきか。

「明確なグループ群だった。それをギャング群と呼ぼう。彼らは、明らかにギャングの世界以外の人物によって、操られコーディネイトされていた。それは絶対に真実であると私は強く感じる」と将軍は言った。
The Age
"East Timor: the story we weren't told"
http://www.theage.com.au/news/opinion/the-story-we-werent-told/2006/07/09/1152383608905.html

ギャング団が、15万の住民を家から追い出しても何のメリットもないことは明らかだ。つまり、ギャング団は、報酬を得て、他者の命令に従って、住民を追いたてたと考えるのが合理的だ。ギャング団が法務省から、インドネシア国軍高官の訴追資料を略奪して何のメリットがある?また、オーストラリア軍は法務省から連絡を受けても何のアクションも起こしていない。

「東西対立」というのは、暴動をおこし、難民を発生させるために捏造されたダミーにしかすぎない。首相に就任したラモス・ホルタ氏は、「東西対立は、ディリ市内にあるだけだ」と発言した。実に都合のよい発言だ。自分が首相になったとたん、「東西対立」は些細な問題だと言い出した。彼も、この対立など最初からないことを知っていながら、アルカティリ首相追い落としに利用したのだ。

では、どういう勢力が、何の目的で、ギャング団を操縦して、住民を難民化させたのだろうか。まだ、それに対してはっきり記述されたものはない。

しかし、これまでの経緯から、導き出される答えはたったひとつだ。一番得をしたのは誰か。今回の東ティモールの出来事で、誰が得をするかは、もはや聞き飽きたと思う。

オーストラリアだ。

国際社会の大部分は、マリ・アルカティリとフレティリン政府にこの危機の責任を、素早く負わせた。国際メディアの中には、「政権の交代」を求める声さえある。外国勢力は、東ティモールの国内の争いと失敗を、操作し利用する強い位置を占めていることは明らかだ。
"STANDING BY EAST TIMOR"
Focus on the Global South
http://www.focusweb.org/content/view/939/


(暗殺隊に関する)以上の疑問点は、危機が始まって以降、首相を追い詰めようとしていたオーストラリアのメディアによって検証されることはなかった。それは、特に驚くべきことではない。彼ら特派員は、アルカティリを非難する(報道の)大合唱に圧倒され、(報道の)隊列を乱すことを恐れたのだ。
The Age
"East Timor: the story we weren't told"
http://www.theage.com.au/news/opinion/the-story-we-werent-told/2006/07/09/1152383608905.html

東ティモールで発生したあらゆる問題の責任は、欧米のメディアによって、すべてがアルカティリ首相にあるとされた。

しかもそれは、”非常に迅速に”、つまりろくに検証もされず、”非常に統率の取れた形で”、つまりメディアの一糸乱れぬ大合唱によって、行われた。あらかじめ、すべてのシナリオが書かれていたから、こういうことができるのだ。

オーストラリアは、このときのために、何年も前から大規模ギャング団を養成していたに違いない。15万人を家から追い出す作業というのは、急にそこらへんのギャング団を寄せ集めてできる仕事とは思えない。十分な構成員と確実な命令系統、そして十分な養成期間が必要だ。

僕が東ティモールを何年にもわたって取材して、毎回、とても不思議に思う集団がいくつもあった。全国規模の反政府団体、元ゲリラ兵士の団体、大規模な窃盗団、無数のマーシャルアーツ・グループの存在だ。2001年にはすでに存在していた。それは、時とともに規模を拡大し、数を増やしていった。

世界最貧国20の中に入る東ティモールで、構成員を食べさせることができるのだろうか。窃盗団が成立つほど盗むものがあるのだろうか。まだ、そこらじゅうに焼け跡が残る東ティモールでそんなことを考えた。

こうした団体は地方の住民を脅し、カネを巻き挙げ、恐怖をもってメンバーに引き入れていた。しかし、焼け跡の東ティモールで、恐喝や窃盗だけで、組織を維持するコストを賄うことはできないだろう。当時から、このコストを負担する勢力が存在すると考えていた。おおよその見当はついていたが、確信はなかった。

しかし、今回の不自然な暴動や15万の避難民の発生の過程を考えると、外国勢力に操作されている”ギャング団”と総称される統率のとれたグループは、かつて僕が見た反政府団体や窃盗団、マーシャルアーツ・グループに違いない。

そして、彼らを養成し操縦しているのは、オーストラリア以外に考えられない。
ただし、証拠はどこにもない。だから、誰もはっきりとは書かないのだ。
”外国の勢力”それが精一杯だ。
しかし、東ティモールを支配して誰が一番得をする?
オーストラリアと石油メジャーだ。

原油価格は、いずれ1バレル100ドルを越えるとも言われている。
いままで採算コストに見合わなかった北極圏でさえ、開発計画が始動した。
目の前のダーウィン沖に横たわる石油とガスの価値は日々上昇しているのだ。

東ティモールは「失敗国家」ではない!

2006年07月14日 22時47分41秒 | ■東ティモール暴動
東ティモールに関する1ヵ月ほど前の記事をいまごろになって見つけた。まだ、概要の部分だけしか読んでいないのだが、紹介しておきたい。この記事でも、東ティモールの今回の事態には、外国勢力の操作が働いていた可能性を示唆している。

『東ティモール報道:小出しにされる真実』で、紹介した記事のように、東ティモールで起こっていることは不自然なことだらけなのだ。

それが、大手メディアで報じられないのは、大国の巨大な利害や利権がこの小さな国にかかっているからだ。

何度でも、繰り返したい。
第一に、石油とガスの略奪だ。


東ティモールを救え
Saturday, 17 June 2006
By Shalmali Guttal
東ティモールでは深刻な政治的人道的危機が進行している。国内の治安は崩壊し、30人を越える人が命を落し、それ以上の人が負傷した。そして、15万人以上が家を追われた。対立する武装ギャング団がディリの路上で恐怖を巻き起こし、反乱分子は丘に基地を設営した。現在、4ヶ国からの平和維持部隊が法と秩序を回復するために東ティモールに駐留している。反乱分子、そして反政府リーダーたちは、武装解除の条件として、アルカティリ首相の辞職を要求している。

国内の政治的な相違が、外国の勢力によって巧みに操作されたかもしれない兆候がある。石油とガスの埋蔵と地政学的位置によって、東ティモールは、隣国(そしていくつかの離れた強国)にとっての利害国である。東ティモールに対する支配権をめぐる最も大きな競争者は、豪とポルトガルである。両国は、法と秩序の回復のため部隊を送っている。インドネシアは時をうかがいながら、近い将来、アセアンを通して干渉しそうだ。アメリカは、あらゆる地域に平和維持部隊を展開する余裕はないので、オーストラリアを通して行動することに満足しているように見える。

UNと援助国は、200年以上の植民地主義と(インドネシアの)武力支配からの脱出に乗じて行った「国家建設」と「紛争後の再建」モデルに失敗したのだと判断したくないようだ。しかしながら、外国のニュース・メディアによって、現在の危機は「失敗国家」として描かれている。「再建援助」の30億ドルの50%は、外国のコンサルタントや調達費、外国事業者の給料へと消えた。再建産業の巨大な外国人コミュニティが引き起こしたバブル経済は、UNミッションが撤退しはじめると崩壊した。再建産業の興隆と衰退のあと、何が残されたかを見るのは簡単だ。失業、空腹、憤りだ。

国際社会の大部分は、マリ・アルカティリとフレティリン政府にこの危機の責任を、素早く負わせた。国際メディアの中には、「政権の交代」を求める声さえある。外国勢力は、東ティモールの国内の争いと失敗を、操作し利用する強い位置を占めていることは明らかだ。

東ティモールの指導者層は、この重大事に一致団結して、この危機の打開にあたらなければならない。誰が東ティモールを統治し指導するかは、東ティモール人自身が決定しなければならない。決して、オーストラリアやUN、US、ニュージーランド、インドネシア、日本、アセアン、世界銀行、あるいは、資源を切望している民間企業にハイジャックされてはならない。現在のもっとも緊急の優先事項は、東ティモールの人々が、主権と平和の獲得、そして経済的政治的公正のために、集結することである。
"STANDING BY EAST TIMOR"
Focus on the Global South
http://www.focusweb.org/content/view/939/


1ヵ月以上にわたって、しつこく東ティモールのことを書き続けている。
なぜなら、大手メディアが、いかに真実から人の眼を遠ざけているかという典型的な見本がここに展開されているからだ。
そして、ほとんど誰もそのことを書いていない。
英文の記事に少しだけ発見できるだけだ。
僕一人くらいが書き続けなければ、東ティモールはすぐに記憶から消し去られてしまうだろう。

東ティモールは南海の「失敗国家」ではない。
「失敗国家」に仕立て上げられ、新たな侵略を受けているのだ。

東ティモール報道:小出しにされる真実

2006年07月11日 20時18分13秒 | ■東ティモール暴動
いま、小さな東ティモールで起こっていることは世界の縮図だ。それが非常に分りやすい形で進行している。

東ティモールで起こっていることは、決して東ティモール固有の内的な事件ではない。しかし、そうした観点からはほとんど検証されていない。

ただ、面白いのは、当のオーストラリアのメディアが散発的に東ティモールの出来事の裏事情を報じていることだ。それはまるで、豪メディアのまわり持ちのようだ。もちろん、まわり持ちなどではない。

メディア同士というのは、常にまわりのメディアの報道を気にしている。それは、”トクオチ”を心配しているからではない。自分のところだけがうっかり”真実”を報じてしまったら、大変なことになるからだ。

どこまで書いていいのかを、互いの報道を見ながら判断しているのだ。その中で、一社が物事の真実の一端を報じたら、すかさず他社も別の側面を報じる。

そうしたメディア間の力学を理解していれば、報道内容ではなく、報道の姿勢からいろいろなことを読み取ることができる。ただし、何があっても真実の全容が報じられることだけはない。


オーストラリアの”The Age"紙が、昨日、東ティモール暴動にまつわる、真実のほんの一端を報じた。含みの多い内容なので、僕自身、何を指しているのか理解しづらい部分もある。しかし、記事の内容そのものよりも、豪紙がこうしたことを報じはじめている姿勢に、様々な情報が詰まっている。

『東ティモール : 我々が告げられなかったストーリー 』
The Age
July 10, 2006
前首相アルカティリは、自国の混沌に対して非難されてきた。しかし、アルカティリへの告発者たちは、誰が暴力をはじめたかについては説明してこなかった、とジョン・マルティンクスは書いている。

三週間前、私は東ティモールにいたが、失脚した首相、アルカティリが当初からずっと言い続けていたことを、東ティモール国防軍の上級将校が裏付けた。: 昨年の4月から、軍の上級指揮官たちによって政府に対するクーデターが三回企てられていた。

以後、何が起こったかを考慮すれば、それは明らかだ。
政府を打倒するための組織化されたキャンペーンが行われたのだ。

内部ではよく知られたその動機は、指揮官との関係を絶ち、武器を取る国防軍内の下士官のグループの支援を、反アルカティリ派が募ったのだ。

彼らは、5月23-24に国防軍を攻撃した。ディリでの、突然の広範な政情不安によって、国際軍が要請されることになった。そのあと、西部からのギャング団は、フレティリン政府を支持する東部出身者だと思われている人々の資産に対する破壊行為を行った。そして、海外メディア(主にオーストラリアの)によって、最終的に首相の辞任につながる継続的な内容の報道が行われた。

この作戦の背後にいる黒幕は、その正体の痕跡を残さないだろう。したがって、恐怖で家に帰れなくなった15万人の難民を出した破壊行為と、彼らとの関係を解明するのは難しい。
こうした難民の窮状は、アルカティリの退陣を求めるグループ(難民を出した最初の暴動を起こしたのと同じグループだが)によって利用された。それは、控えめに言っても、卑劣で皮肉な政治工作だった。

ほとんど全メディア共通のフレティリン党批判にもかかわらず、その政党が(好きか嫌いかは別にして)、来年の5月までの広範な統治権を保持している。こうしたいつくかの明白な疑問が存在するにもかかわらず、いまだにオーストラリアのメディアはその問いに答えようとしていない。国連が自由で公平と宣言する選挙の統括権を(メディアがこぞって批判する)フレティリン党が獲得したのにだ。

まず第一に、いったい誰が暴動をはじめたのだろうか?
他の国では、もし、政治に不満な一群の兵士が、つまりアルフレド・レイナドの部下が5月にしたように、武器を取り、そして軍に攻撃をしかけたら、間違いなく逮捕されているだろう。

ちょっと想像してほしい。たとえば(豪の)北部地区で訓練中のオーストラリアの兵士たちが無断外出をして、彼らを追跡中してくる兵士を銃撃したら、どうなるだろうか。彼らは、タクティカル・レスポンス部隊に撃ち殺されるだろう。よくて軍刑務所行きだ。

しかし今回、レイナドの部下にはオーストラリアのSASのボディガードがつき、彼らが持ち出した若干の武器を返還したあとは、自由のままでいるのだ。

第二に、フレティリン政府を支持しているとみなされる東部出身者の家を広範囲に襲撃した、ギャング団はいったい何者なのか?私は、東ティモール駐留オーストラリア軍の指揮官、ミック・スレイター将軍に訊いてみた。

「明確なグループ群だった。それをギャング群と呼ぼう。彼らは、明らかにギャングの世界以外の人物によって、操られコーディネイトされていた。それは絶対に真実であると私は強く感じる」と将軍は言った。

アルカティリの辞任後も、フレティリン党メンバーや東部出身者の家は、いまだ標的にされている。難民も脅迫されている。そのことが、この暴動の背後に潜む者の正体を如実に物語っている。

三番目に、誰によって、アルカティリに対する非難が行われたのか。そして、彼らは立ち上がったのか?暴動が鎮まった後は、反アルカティリ派は、違った作戦を取ったように見える。

アルカティリの指示による虐殺の犠牲者が、60、70、80人、あるいは500人以上も、集団埋葬されているという主張と噂だ。噂とは、その連鎖が深いほど効果的だ。

ディリに滞在する我々と、あといくつかのメディアはこの噂の検証を試みた。死亡者のリストと思われるものを聖職者が持っていた。しかし、それは犠牲者のリストではなかった。そして、この説はうやむやになった。

次ぎは、”For Corners”によってリポートされた、アルカティリの暗殺隊と呼ばれるものの説だ。他のリポーターたちは、このグループを探しに行ったことがあった。しかし、そのうち何人かはリポートしないことにした。

彼ら(暗殺隊)は、カラスカラン一家の家にいる、というリポーターたちの説は真実とは思えなかった。

カラスカランは、東ティモールの由緒ある家柄で、1975年にフレティリン党とともに短い市民戦争を戦ったUDT党を設立した。要するに、これらの人物は打ち砕いておくべき有力者なのだ。

意味を成さなかった他の暗殺隊説もあった。5月24日に、国防軍の基地が攻撃されたとき、レイナド・グループの兵士と一緒に、暗殺隊の者が、国防軍攻撃の一翼を担ったというのだ。
これはアルカティリが、ディリにいた私に直接指摘した矛盾点だ。「どういった類のフレティリンの秘密グループなのか。彼らは、国防軍とも戦うのか?まったく矛盾している」と。
(注:レイナドは反アルカティリである。そのレイナドがアルカティリの組織したとされる「暗殺隊」と行動をともにするのは矛盾する、ということだ。)

以上の疑問点は、危機が始まって以降、首相を追い詰めようとしていたオーストラリアのメディアによって検証されることはなかった。それは、特に驚くべきことではない。彼ら特派員は、アルカティリを非難する(報道の)大合唱に圧倒され、(報道の)隊列を乱すことを恐れたのだ。

端的に言って、東ティモールの公職者を反政府へと向わせようとした者の試みは成功したように見える。しかし、それは、15万人ものティモール人を犠牲にすることになった。それならば、単に来年の選挙を待った方が、はるかに容易で確実だったはずだ。

ジョン・マルティンクスは、1995年以来、東ティモールをリポートしてきた。彼の本、” A Dirty Little War: An eyewitness account of East Timor's descent into hell 1997-2000”は、NSWプレミアズ賞の最終選考まで残った。
The Age
"East Timor: the story we weren't told"

http://www.theage.com.au/news/opinion/the-story-we-werent-told/2006/07/09/1152383608905.html

※訳出には正確さを欠く部分もあるかもしれません。
 素人の訳出であることをご了承ください。

東ティモール新首相にラモス・ホルタ氏

2006年07月10日 23時18分38秒 | ■東ティモール暴動
世界のメディアは、ノーベル平和賞受賞者の、
ジョゼ・ラモス・ホルタ氏が、
東ティモールの新首相に就任したと報じた。

しかし、ホルタ氏はオーケストラの、
ほんの一パートを担っているにすぎない。
コンダクターを振るっているのは、
東ティモールの政治家でもなければ、
東ティモールの国民でもない。

このままでは、東ティモールの未来は奪われることになる。
不思議とオーストラリアのメディアが、
このカラクリを少しづつではあるが報じはじめている。


ジョゼ・ラモス・ホルタ氏  2003年撮影

アルカティリ前首相、オーストラリアを激しく非難

2006年07月08日 17時18分03秒 | ■東ティモール暴動
東ティモールでの反乱や暴動などの事態は、オーストラリアによって計画されたものであると、この1ヵ月ほど主張してきた。

オーストラリアの目的はティモール海の石油と天然ガスを略奪することだ。そのためには、東ティモールの政治を掌握する必要があり、その最初の段階が、マリ・アルカティリ首相の追い落としだ。そして、それは成功した。

この事態に対して、ほとんどすべてのメディアは、東ティモールの出来事は自然発生であり、内的な要因によって引き起こされたという見解を保っている。

いま、アルカティリ首相自身が、今回の彼の失脚は、オーストラリアによって計画されたものだと、オーストラリアの「シドニー・モーニング・ヘラルド紙」とのインタビューで語った。


私はタフがゆえに悪者にされた:アルカティリ
Lindsay Murdoch in Dili
July 6, 2006
東ティモールの辞任した首相、マリ・アルカティリは昨夜、オーストラリアを激しく非難した。メディアと「私を好まない」オーストラリア政府の何人かの大臣や役人が、彼を悪者にする企てをした、と発言した。

アルカティリ氏は「ヘラルド紙」対して、彼がティモール海に埋蔵された石油とガスに関して、頑強な交渉を行ったためにオーストラリアの標的にされたのだと信じている、と語った。

「オーストラリアの全てのメディアが、私を悪者にしようとしていたということに疑いの余地はない。それが真実だ」。先週、辞任することを強いられて以降、アルカティリ氏が、オーストラリアのジャーナリストのインタビューに答えるのはこれが最初だ。

「(標的にされたのは)なぜかって? 私は、タフな交渉者として彼らに知られていたからだ。オーストラリアの何人かの大臣と役人が私を嫌っているということに疑念の余地はない」

アルカティリ氏は、オーストラリアと東ティモール双方が彼の失脚で損をしたと言った。なぜなら、彼は、ティモール海のグレーターサンライズ鉱区の石油とガスの開発において、双方が当分の権益を得る交渉をキャンベラと行ってきたが、彼はこの410億ドルの契約を批准する議案を議会に提案するつもりだったからだ。

「すべてが元の木阿弥になった」、と彼は言った。

アルカティリ氏は彼の失脚を「(オーケストラのように)調和のとれた計略」だと描写した。

その計略の背後には誰がいると信じているのか、と問われて、彼は言った。誰かを告発する前に、まだしなければならないことが少しある、と。「いつかすべての真実が明らかになると、私は信じている」

彼の政治的意向について、彼ははじめて口を開いた。アルカティリ氏は、フレティリン党の事務総長に留まり、来年に予定された選挙を指導すると宣言した。フレティリン党は議会の過半数を保持し、全国的に最も党員が多い。

「選挙に勝つことが今の私の主任務である」、と彼は言った。「しかし、これは治安情勢のために非常に困難なものになるだろう。特に国の西部地域では、フレティリンのメンバーが、武装した者によって、いまだに脅迫されているからだ」

治安情勢が改善されなければ、「選挙を実施することは難しいかもしれない」とアルカティリ氏は言った。

もしフレティリンが勝つなら、彼が首相に再任されることがあるかどうかと尋ねられて、彼は言った:「それは党が決定することだ。私は党が私に依頼しないことを望んでいる。他の人物がなるべきだろう。我々がすべきことは、過去ではなく未来について考えることだ」

数日内に、ノーベル賞受賞者ジョゼ・ラモス・ホルタが、彼の代わりに指名されるという広範な推測について尋ねられると、アルカティリ氏は、コメントできないと言った。「フレティリンは、三つの違った宛名を書かれた三つの異なった荷物を梱包している・・・」と彼は言った。「いまこの国に必要なのは、選挙に至る和解である」

外務及び防衛大臣のラモス・オルタ氏はもはやフレティリンのメンバーではないが、この党を創設したメンバーである。

憲法によって、多数党であるフレティリンは首相を指名する権利を持っている。しかし被指名人は大統領によって承認されなくてはならない。ラモス・オルタ氏はシャナナ・グスマン大統領にごく近い同盟者である。

アルカティリ氏は、選挙の前に政治的ライバルを排除するために襲撃隊を編成しようとしたという主張について、この質問に答えることを断わった。彼は、襲撃隊に関するあらゆる情報を否定した。

前内務大臣ロジェリオ・ロバトは法廷において、国家警察の武器庫から略奪された高性能武器を与えられたと証言する襲撃隊に関する「完全な知識」を、アルカティリ氏は持っている、と主張した。ロバト氏はディリで自宅拘禁中である。

ディリに多少の安定が戻りつつあるので、ラモス・オルタ氏は”緑の廃棄物”からエネルギーを作り出すための1億ドルのプロジェクトについて、昨日アジアの投資家と会った。
I was demonised for being tough: Alkatiri
http://www.smh.com.au/news/world/i-was-demonised-for-being-tough-alkatiri/2006/07/05/1151779013612.html?from=rss



21世紀最初の国家の初内閣     2002年5月21日撮影