この間の選挙とその後の民主党の党首選などを通じて、民主党という政党の姿がはっきりした。結局、自民党の代わりに政権を取って、自民党と変わらない従米路線を歩み、米国政府の寵愛を受けたいというだけだ。民主党は、自民党の党外派閥といっていいだろう。あるいは、外様自民とでもいうべきか。
民主党は一日もはやく自民党に全面的に降伏し、自民党に吸収されたほうが国民の為にもわかりやすい。
共産党や社民党に厳しく迫りたい。いつまで勘違いをしているのか。何度選挙を繰り返しても大衆の支持を広げられないあなたたちこそ、自民党を助けているのだ。国民の為を思うなら潔く消滅してしまえ。心配はいらない。その後に必ず国民の幅広い支持を得る真の野党が生まれるはずだ。その時こそこの国の政治が活性化される時だ。政治的盛り上がりがこの国に生まれる時だ。
10月24日天木直人のHP「参院神奈川補選に見るこの国の政治の惨状」より
かつての野党第一党社会党も、蓋を開けてみれば、ニセ野党だった。日本に議会制民主主義があるかのように装うための、ダミー政党だったと言える。それが国民にバレたために、分解整理された。民主党と名前を変えてからは、自民党に代わって保守党として政権を取ることしか考えていない。旧社会党の本質が変化したのではなく、もともと自民党の衛星政党だったのだ。結局のところ、日本に本当の野党はない。すべて、自民党の衛星政党にすぎないと言える。自民党がなければ、宇宙のかなたに飛んでしまうのだ。
天木氏の言うように、共産党や社民党の存在は自民党を助けていると言える。冷戦が終了し、世界のほとんどの共産国が消滅した今、いったいいつまで「共産主義」の看板をかかげているのだろうか。それでは、国民の支持を得られるはずがない。翻って言えば、国民の支持を得なくてもいいということだ。ヘタに勢力を拡大すれば、かえってバッシングされ共産党は消滅する。共産党は単に日本の政界で生き残ることだけを目的として「共産党」を続けているのだろう。共産党は勢力を拡大できないのではなく、その気がないのだ。
共産党や社民党も、まったく国民不在の政党だが、自民党には票を入れたくない有権者の票で生き残っているわけだ。両党はそれを良く理解している。ただし両党が生き残れるのは、野党としての本来の機能を”果たさない”ことが絶対条件だ。国会での追求が常に中途半端で甘いのはこのためだ。確かにそんな政党は消えてなくなったほうが国民のためだ。
野党議員としての役目をきちんと果たすとどうなるかは、辻元清美議員(社民党)の例が如実に物語っている。政界から葬り去られるのだ。もちろん、秘書給与詐取という行為自体は責められなければならない。しかし国会議員でホコリのでない者はまずいないだろう。必要があれば元総理でも橋本龍太郎氏のように葬り去られる。こうした意味でも、全議員は完全に飼いならされている。なぜ辻本議員が”ルール”を逸脱したかは本人に訊くしかない。
結局のところ、強い与党の存在が、やる気のない野党の生存を約束している。自民党が弱体化し、連立政権を取らざるを得なくなったとき社会党は消滅した。その轍を踏まえて、民主党(新社会党)は保守党に変身したわけだ。また、一定の票田を自在にコントロールできる公明党は自民党と一体化した。他の政党は、いままでどおり、やる気のない野党でいることによって生存を約束される。すべての政党は、自民党の引力のおかげでくるくる回って生き延びているのだ。日本の議会制民主主義というのは形だけの幻想にすぎない。
もちろん、議員個々人には志も高く、信念を持った方々がいることは十分承知している。しかし、こうした政治のメカニズムの中で、個人の志は掻き消され霧消していく。
日本に信頼にたる政治政党などない、というのが結論だ。
次の選挙ではどうするべきか、ほとほと迷っている。
それまでに信頼に足る政党が現れる可能性は非常に低い。
共産党が一度大勝して従米保守党に変身してみるとか、エジプトのように投票率が20%に落ちるとか、なにか劇的な変化があれば別だが、どちらも日本ではあり得ないだろう。
劇的なものがない以上、諦めずコツコツ歩むしかない。
民主党は一日もはやく自民党に全面的に降伏し、自民党に吸収されたほうが国民の為にもわかりやすい。
共産党や社民党に厳しく迫りたい。いつまで勘違いをしているのか。何度選挙を繰り返しても大衆の支持を広げられないあなたたちこそ、自民党を助けているのだ。国民の為を思うなら潔く消滅してしまえ。心配はいらない。その後に必ず国民の幅広い支持を得る真の野党が生まれるはずだ。その時こそこの国の政治が活性化される時だ。政治的盛り上がりがこの国に生まれる時だ。
10月24日天木直人のHP「参院神奈川補選に見るこの国の政治の惨状」より
かつての野党第一党社会党も、蓋を開けてみれば、ニセ野党だった。日本に議会制民主主義があるかのように装うための、ダミー政党だったと言える。それが国民にバレたために、分解整理された。民主党と名前を変えてからは、自民党に代わって保守党として政権を取ることしか考えていない。旧社会党の本質が変化したのではなく、もともと自民党の衛星政党だったのだ。結局のところ、日本に本当の野党はない。すべて、自民党の衛星政党にすぎないと言える。自民党がなければ、宇宙のかなたに飛んでしまうのだ。
天木氏の言うように、共産党や社民党の存在は自民党を助けていると言える。冷戦が終了し、世界のほとんどの共産国が消滅した今、いったいいつまで「共産主義」の看板をかかげているのだろうか。それでは、国民の支持を得られるはずがない。翻って言えば、国民の支持を得なくてもいいということだ。ヘタに勢力を拡大すれば、かえってバッシングされ共産党は消滅する。共産党は単に日本の政界で生き残ることだけを目的として「共産党」を続けているのだろう。共産党は勢力を拡大できないのではなく、その気がないのだ。
共産党や社民党も、まったく国民不在の政党だが、自民党には票を入れたくない有権者の票で生き残っているわけだ。両党はそれを良く理解している。ただし両党が生き残れるのは、野党としての本来の機能を”果たさない”ことが絶対条件だ。国会での追求が常に中途半端で甘いのはこのためだ。確かにそんな政党は消えてなくなったほうが国民のためだ。
野党議員としての役目をきちんと果たすとどうなるかは、辻元清美議員(社民党)の例が如実に物語っている。政界から葬り去られるのだ。もちろん、秘書給与詐取という行為自体は責められなければならない。しかし国会議員でホコリのでない者はまずいないだろう。必要があれば元総理でも橋本龍太郎氏のように葬り去られる。こうした意味でも、全議員は完全に飼いならされている。なぜ辻本議員が”ルール”を逸脱したかは本人に訊くしかない。
結局のところ、強い与党の存在が、やる気のない野党の生存を約束している。自民党が弱体化し、連立政権を取らざるを得なくなったとき社会党は消滅した。その轍を踏まえて、民主党(新社会党)は保守党に変身したわけだ。また、一定の票田を自在にコントロールできる公明党は自民党と一体化した。他の政党は、いままでどおり、やる気のない野党でいることによって生存を約束される。すべての政党は、自民党の引力のおかげでくるくる回って生き延びているのだ。日本の議会制民主主義というのは形だけの幻想にすぎない。
もちろん、議員個々人には志も高く、信念を持った方々がいることは十分承知している。しかし、こうした政治のメカニズムの中で、個人の志は掻き消され霧消していく。
日本に信頼にたる政治政党などない、というのが結論だ。
次の選挙ではどうするべきか、ほとほと迷っている。
それまでに信頼に足る政党が現れる可能性は非常に低い。
共産党が一度大勝して従米保守党に変身してみるとか、エジプトのように投票率が20%に落ちるとか、なにか劇的な変化があれば別だが、どちらも日本ではあり得ないだろう。
劇的なものがない以上、諦めずコツコツ歩むしかない。