報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

被災地復興とは

2005年07月04日 22時47分01秒 | ●津波後のピピ島
 津波以後、被災地域の観光業の状況は少しずつ好転していた。
 ほんの少しずつではあるが。
 4月3日、ハジャイ国際空港で爆弾事件が発生した。
 そして、すべてを白紙に戻してしまった。

 プーケット、パンガー、クラビ(ピピ島含む)の三地域を合わせた収益は60%減少している。プーケットのホテル業の客室の稼動率は年間を通して70~80%だったが、いまでは20%ほどだ。
 観光業者にとっては、何とか観光客に戻ってきて欲しい、と祈る思いに違いない。しかし、地域行政当局は冷静に事態を分析している。

 プーケットの行政機関は、当分は観光客は戻ってこないと推測している。その理由として「観光客、特にアジアの観光客は、観光気分を損なう被災地域を訪れることを好まない。また、そうした被災地域を訪れると、後に不幸に見舞われると信じている」と分析している。観光とはすなわち、日常生活から離れ、心を開放し、晴れ晴れとした気分を楽しむためのものだ。「観光に来ることが、一番の復興援助」と言われても、アタマで理解しても、ココロは到底着いてこない。

 行政機関は、地域経済が観光業にだけ依存していたために、経済的打撃を深刻化させたことを反省している。プーケットの雇用の80%が観光業に従事していた。モノカルチャーは、順調なときは大きな利益をもたらすが、不測の事態が発生すると大打撃を受ける。コーヒー生産にだけ依存していたかつてのブラジルは、コーヒー豆の価格が低落しただけで国家的経済危機に陥った。プーケットの行政当局は、今後は、様々なビジネスモデルを開発することを検討している。

 現在、検討されているのが、プーケットを東南アジアにおける国際的な教育研究のハブにするという案だ。観光マネジメント、海洋科学、IT、音楽などだ。特に観光マネジメントに関しては、すでに多くのノウハウが蓄積されている。様々なマネジメントに習熟したワーカーも豊富だ。
 こうしたプランの実現には、時間を必要とする。しかし、いつ戻ってくるとも知れない観光客を待っているような余裕もないのだ。観光業とはある意味で、夢を売るビジネスだ。観光客はもはや戻らないかもしれない。ならば出来るだけ早く方向転換することこそが、地元住民の生活を復興することになる。
 タイ行政当局は、被災から多くのものを学び、それを未来に生かす理知を備えていると感じる。プーケットを東南アジアの教育研究のハブにするという案は、観光復建よりも、はるかに夢があるのではないだろうか。

 タイのビーチリゾートは、莫大な収益を地元にもたらしていたことは事実だ。しかし、大きな収益をもたらしていた大観光地だからといって、もとに戻すことが必ずしも正しい選択とは言えない。観光開発には必然的に自然環境の破壊が伴う。水質汚染による生態系への影響なども発生する。観光開発が進めば進むほど、破壊と汚染も進む。そして、いつしか観光客からそっぽを向かれるかもしれない。観光地の復興、開発とは、様々な矛盾を含んでいる。
 いま、タイの津波被災地域の海は、汚染の原因(観光客)が減少し、昔の姿を取り戻し始めている。

 被災地域が、新たな姿で早急に復興することを心から祈りたい。

Return to Paradise

2005年07月03日 14時19分32秒 | ●津波後のピピ島
僕がピピ島に着いた日は、"Return to Paradise"という復興促進の催し物が開催されていた。
タイで津波被害に遭ったのは、ほとんどがリゾート地であったため、
ピピ島に限らず、各地で復興に向けた催し物が行われている。


ピピのメインビーチであるローダラム湾では、
ツーリストが数十人ほどいるだけだった。
かつて、ローダラム湾は世界有数の賑やかなビーチだった。
ビーチの人口密度もかなり高かった。
「ピピも寂しくなったもんだ」
それがピピ島第一歩の感想だった。
しかし、実はこれでも特別大賑わいだったのだ。



















































翌日からは、数組がビーチにいる程度だった。
これが、現在のピピの本当の姿だった。




























瓦礫は、まだいたるところにある。












































観光業に必要な基本インフラは、ほぼ揃っている。
ピピを訪れても不便を感じることはない。







































しかし、本格的な復旧はまだまだこれからになる。










































そして、自然はあくまでも美しい。










































津波の破壊力

2005年07月02日 17時26分49秒 | ●津波後のピピ島

津波被害は、ローダラム湾とトンサイ湾に挟まれた、くびれた部分に集中した。
この部分だけが平野部をなしている。
ピピ島のその他の地域は、山岳部をなしている。

津波は、南西の方角、つまり地図上で左下から押し寄せたと思われる。
そのため”ひょうたんの底”の部分が津波の勢いを、ある程度かわしたのではないかと考えられる。
トンサイ湾側の海岸線は大きな被害は受けなかった。

津波の力は、明らかにローダラム湾からトンサイ湾に向かって抜けた。
ただし、トンサイ湾側からもある程度の力を持った波はきたようだ。
”両側から、津波の挟みうちに遭った”という報告もある。

トンサイ湾からローダラム湾側をのぞむ。
このくびれの部分は、海抜ゼロメートルの平地である。


平野部は、ほとんどが更地と化した。






残骸がなければ、もともとそういう風景であったように見える。


砂地に点在するタイル面で、かつてそこに建物があったことがわかる。


トンサイ湾の波打ち際に建つ建物。
トンサイ湾側からの波は、それほど大きな破壊力は持っていなかった。


ピピ島に押し寄せた津波は、3mから6mと推測されている。ここでは二階の天井までとどいている。


きゃしゃな建物だが、なんとか持ちこたえた。


逆に、鉄筋コンクリートであるにもかかわらず、梁まで崩れた建物。


内部の壁も、打ち抜かれている。


前部は完全に剥ぎ取られた。



津波の流れをかたどっているようにも思える。


平野部のほぼ中心位置。


長屋式の建物の壁がすべて打ち抜かれている。
ローダラム湾に正対しているため、まともに津波の圧力を受けた。
この建物の右側半分は、完全になくなっていた。


二階屋根の破壊は、おそらく倒れてきた椰子の木によるものと思われる。


おそらく椰子の倒壊による屋根の穴。


壁を打ち抜き、反対側に突き抜けている。


内部の仕切り壁も、破壊されている。


これが水の力による結果とは、にわかには信じられない。
あとから人の手によって、壁は撤去されたのではないかとさえ思った。
津波の破壊力というのは、瞬間的なものではなく、持続的で強力である。


高級ホテル「PhiPhi Marina Resort」。
ローダラム湾の波打ち際に建っている。
一階はほぼ全滅。ところによっては、二階の部屋まで津波が突き抜けている。



鉄筋コンクリートの頑丈な建物だが、いくつかの部屋は津波が突き抜けている。


ホテルの裏には、高床式の高級バンガロー群が建っていたが、いまは何もない。


きゃしゃな造りの民家だが、ある程度の高さがあったため、
津波の力にかろうじて持ち堪えた。
背後の山の斜面のバンガロー群はほぼ無傷だ。

ピピ島は壊滅などしていなかった②

2005年07月01日 16時50分49秒 | ●津波後のピピ島
クラビからピピ島への定期便。
案外、ツーリストが乗っている。


船着場から海岸線沿いに1キロほど離れたところにあるバンガロー。
海岸線の目の前だが、津波被害はほとんど受けていない。
芝生が流されただけだ。
背後の山が津波の破壊力を防いだ。


上の写真に隣接するバンガロー。同じく、被害は受けていない。


高台にあるバンガローは、水位上昇による影響さえ受けることなく、
完璧に無傷で残っている。
営業はしているが、ここまで足を運ぶツーリストはほとんどいない。


高台のあちこちにバンガロー群が建っている。
被害を受けなかった建物は、かなりあるはずだ。


山を越えたところにあるロングビーチ。
海岸線にあり、海抜ゼロメートルだが、ここでは膝までしか水位は上昇しなかった。
したがって、ロングビーチのすべての建物は無傷だ。
島全体で多くの建物が被害を免れたにもかかわらず、
メディアは「ピピ島壊滅」という印象を与える報道しかしない。


ピピ島のメインストリート。
復旧され、以前とそれほど変わらない光景だ。
メインストリートを行きかうツーリストは少なく、かなりさびしい。
しかし、毎日何十人かはツーリストが来ている。
今年のオンシーズンには、もう少し賑やかになるかも知れない。


ピピ島のメインビーチ、ローダラム湾。
かつては、世界中から来た観光客で、海もビーチも大賑わいだったが、
いまは静寂そのものだ。
津波はこの海の向こうからトンサイ湾を襲った。


湾の平野部は、いまは荒れた更地となっている。


かつてそこに何があったのかをイメージすることは難しい。

ピピ島は壊滅などしていなかった

2005年06月30日 21時46分00秒 | ●津波後のピピ島
< 津波被害から半年 >

 サイトで「ピピ島 津波被害」で検索してみると、「ピピ島は壊滅」とはっきり表記しているものがある。半年前の日本のメディアによる津波報道でも、ピピ島はまるで全滅したかのような印象を受けた。

 しかし今回、ピピ島を訪れてみて、こうした表記や報道は事実を反映していないことがわかった。ピピ島は壊滅などしていない。津波の破壊力は、ピピ島の特定の地域にしか集中しなかった。そこは確かに「壊滅」し、多くの犠牲者を出した。しかし、そこから離れた地域はごくわずかな損傷しか受けていない。犠牲者もほとんど出ていない。また、ある地域では、水位の上昇は「膝まで」くらいしかなかった。全島が津波に呑まれ、破壊されたわけではないのだ。

 6月26日は、津波被害から、ちょうど半年ということで、海外からのメディアも少しピピに来ていた。日本の某放送局も来ていたので、放送をご覧になった方もいるだろう。その放送を観たある友人は、いまでもピピ島は壊滅状態であるという印象を受けたという。バンコクで同じ放送局の番組を観た友人も、同じ感想を持っていた。「ピピ島は壊滅」した、と。

 しかし、いま述べたように事実は違う。
 ピピ島はもともと壊滅などしていない。
 経済的には、確かに壊滅状態だが。
 物理的には壊滅などしていない。
 損傷を受けなかった多くのバンガロー群が存在し、それらはすでに営業を再開している。
 なぜ、日本の某放送局は、そうした事実を報道しないのか。
 視聴者の眼を釘付けにするセンセーショナリズムばかりを追いかけ、事実と異なる内容、あるいは事実の一部だけを報じる姿勢には異議を唱えざるを得ない。

 ピピ島に着くまでは、僕自身がメディアの報道しか知らなかったので、ピピは壊滅状態だと思っていた。だから、船着場から宿に至るまでの道中、ある意味、眼を疑った。たった半年でここまで復旧したのか!と。
 宿に着き、従業員に話を聞くと、その地域はほとんど被害を受けていないのだ。復旧したのではなく、もとのままなのだ。その地域に建つバンガロー群(200棟くらいだろうか)は、浸水しただけで無傷のまま残った。したがって犠牲者も出ていない。唯一の被害は、芝生が洗い流されたことくらいだ。その地域には、破壊力を持った波は押し寄せてこなかった。そこはほぼ海抜ゼロメートルの位置なのにだ。

 そして、海抜10メートル以上の位置に建っていたバンガローは、当然浸水さえしていない。こうしたバンガローも何百棟と(特に数は数えてはいないが)あるはずだ。
 しかし、メディアの手にかかると、「ピピ島は壊滅」となるようだ。人目を引くセンセーショナルな対象(商品)だけを選んで放映するメディアの姿勢には、ほとほと呆れてしまう。読者や視聴者を根本的に馬鹿にしていなければ、こんなマネはできない。

< Tsunamiの破壊力 >

 ピピ島が壊滅していないからといって、津波の破壊力はたいしたことはなかった、と言っているのではない。
 その破壊力は、想像をはるかに超えるものだった。
 津波の力が集中した地域は、ほぼ完璧に破壊された。
 しかし、津波の破壊力は、一様ではない。海底の地形や陸上の地形、あるいは建物群の密度、配置、構造などによっても破壊力は異なるはずだ。そこのところは、素人なので安易なことは言えない。でも、ピピ島は山岳島であり、地形の起伏が、多くの建物群を津波から守ったことくらいは少し歩けばわかる。
 津波の破壊力は、島で唯一の平野部に集中したのだ。

 平野部に建っていたバンガロー群は、すべてなくなっていた。バンガローは一戸建ての高床式の構造であるため、圧力に弱い。瓦礫を撤去したあとの平野部分は、ほぼ更地になった。かつてそこに建物群があったと説明されても、以前の姿を知らない人には、イメージすることは難しいだろう。もともと何もない風景だったように見えるのだ。
 今回、ピピ島を選んだのは、5年ほど前に訪れたことがあるからだ。以前の状態を知っている方が、被害の実態を具体的にイメージしやすい。記憶の定かでない部分もあるが、はっきり覚えている場所もある。そして、そこにはいまは何もないのだ。
 しかし、平野部でも、建物の密集していたところは、建物同士が支え合い倒壊せずに残っている。また、鉄筋コンクリート構造なら、建物が倒壊する危険はない。ただし、規模の大きなホテルは電気、上下水道などの設備が破壊され、復旧するには時間と費用がかかりそうだ。

< 観光客は10% >

 ピピ島では観光業が復旧し始めているが、観光客数はかつての10%程度という話だ。しかし、僕の印象ではもっと少なく感じた。島のメインストリートでは、通りを歩く観光客より、地元の人の数の方がはるかに多い。
 かつて、日光浴をする人で埋め尽くされていたトンサイ湾のビーチには、数人から10数人ほどがいるだけだ。湾を走るジェットスキーもなければ、急ターンを繰り返しながら子供たちを振り落としていたバナナボートもない。遠浅の静かな湾が広がっているだけだ。
 おそらくバンガローやレストラン、タクシーボートは、営業するだけ赤字をだしているだろう。僕が泊まったロッジは30棟ほどのバンガローが建っていたが、夜、五つほど明かりが点いているだけだった。レストランもそれぞれちらほら客がいるという感じだ。
 かつては、ピピ島一島だけでも、年間計り知れない外貨が落ちていたはずだ。
 それでも、クラビから日に二回来る定期便(かつては四回)で毎回数十人のツーリストがきている。プーケットからも日に二回定期便がある(こちらの方は日帰り客が多いようだ)。

 タイ政府は、一年半でピピやプーケット、カオラックなどのリゾートを復旧する計画だが、地元の人々は3年はかかると覚悟している。
 数年前にピピ島を訪れたことのある友人は、
「大勢の命が失われた海では、とても泳げない」
 と言う。
 もちろん、泳ぐ泳がないの問題ではなく、そういうところにはとても観光気分としては行けない、ということだ。
 ハードの復旧は簡単なことだ。
 しかし、人の心はそうはいかない。
 ”Tsunami”の文字が人のこころから消えることがあるだろうか。
 また、消し去るべき記憶でもないはずだ。
 ピピやプーケットにかつての賑わいが戻るのかどうか、僕にはわからない。
 一年半で戻るかもしれない。
 あるいは、数十年、静かな眠りにつくのかもしれない。