報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

近郊の村

2006年02月28日 22時33分05秒 | ●パキスタン地震
ムザファラバード滞在中に、近郊の村々を訪ねた。
市に隣接する村でも、56km離れたインドとの境界地帯の村でも、状況は変わらなかった。
村は壊滅的に破壊され、そして援助の手はほとんど届いていない。

ある村では、「地震以来、村外の人が訪ねてきたのは、あなたがはじめてです」と言われた。
行政の調査さえ入っていない地域は無数にあるに違いない。
被害状況も、現在の生活状況も把握されていない。
村人がまとめた報告書を持っていくべき官庁も定かでない。
援助の手が届かないのは当たり前というべきだろう。

ムザファラバード郊外のダニマイサイバ。川を渡り、崖を登ると村がある。

崖の上は台地になっており、農地が広がっている。










対岸へはボートで渡る。











仮設の橋もあるが、遠回りなので、あまり利用されていない。












ダニマイサイバの家屋のほぼすべてが全壊。
死者は200人を越えている。








































お墓も崖下に崩れ落ちた。

崖下には、流された家屋の屋根も見える。









崖の縁はかなり危険な状態にある。










川も土砂で完全に埋まってしまった。


























市の目の前であるにもかかわらず、行政の手は来ていない。
後まわしであるのか、無視されているのかもわからず、
それを問いただしに行くべき場所さえわからない。


ランドスライド 

2006年02月27日 19時13分51秒 | ●パキスタン地震
「昨日、ランドスライドがあったよ」
16才のジャファーが情報を届けてくれた。
ランドスライドと聞いて、道路沿いの崖が崩れたのだと思った。
山岳部へ通じる幹線路には無数の危険箇所がある。
崖道を車で走っていると、いまにも頭の上に崩れ落ちてきそうな地層に恐怖を感じる。
しかし、ランドスライドがあったのは、誰も予想もしなかった場所だった。
ムザファラバード市内だ。

1月31日、ムザファラバード市内のSama Bandi地区の斜面がゆっくり移動し20家屋を呑み込んだ。
強い余震があったわけではない。
雨が降ったわけでもない。

現場を訪れると、特に急な斜面でもなかった。
そんなところが、突然移動しはじめたのだ。
大地はゆっくり移動し、3日かけて家屋を飲み込んでいった。
異常を感じた住民は事前に避難していた。

おなじような危険地域は他にもあるに違いない。
しかし、どこがスライドするかは誰にも予測できないだろう。
ムザファラバード市や山岳部の村の再建の困難さを感じてしまう。

ランドスライドの基点部。幅約100m、長さ約300mに渡って大地が移動し、すり鉢状に窪んでしまった。






















斜面は窪み、波打ち、ひび割れ、元がどのような状態だったのか想像できない。









もはやまともに歩くことができない。
雨が染み込むと大地は重みを増し、さらに下流へ押し流されるのではないだろうか。











































画面左端がスライドの先端部。ひとまずここで停止したが、安心はできない。

ランドスライドの先端部によって押しつぶされたファルーク氏の家屋。








ランドスライドの境界線。
隣家は倒壊。かろうじて難を逃れたものの恐怖が去ったわけではない。














この地域一体は危険地帯とされている。さらなるスライドの恐怖を抱えたまま住み続けるしかないハジさん。








ランドスライドで家屋を失った人々。20家屋が押しつぶされた。










かろうじて難を逃れたテント。
しかし、この地域一体150戸がスライドの危険を抱えている。

配給

2006年02月25日 19時19分29秒 | ●パキスタン地震
被災者には生命線と言えるWFPによる小麦粉の配給。
小麦粉は主食チャパティとなる。
この日は、一家族に25kgの小麦を三袋と植物油一缶が配給された。
別の日に、紅茶、ビスケット、ドライフルーツなどの嗜好品と石鹸、歯磨き粉などが配られた。
野菜や肉類などの配給はほとんどない。
各家庭でやりくりしなければならない。
昼にWFPから小麦粉が運ばれてきた。





























箱の中身は植物油。USAIDから。

配給の準備が整ったのはすでに夜。名簿と登録カードを照合し、配給券が渡される。














合計75kgの小麦粉を担ぐ。













別の日に、紅茶やビスケットなども配られた。

こちらの袋は、「スイート」だそうだが、中身は分からず。








テント学校・青空学校

2006年02月24日 20時02分44秒 | ●パキスタン地震
地震で学校もほとんどすべてが破壊された。
多くの児童学生、教師が犠牲になった。

ほとんどの親が子供の教育が途絶えてしまうのではないかと危惧している。
教育に関しては、Unicefと多くの地元の教師の努力によってかろうじて維持されている。
しかし学校の数も教師の数も圧倒的に足りない。
もちろん、机椅子、黒板などの備品は無きにひとしい。

校舎はUnicefによって大型テントが贈られているが、
テントの外で授業をすることも多い。
テント内のスペースの問題もあれば、
震災の後遺症の場合もある。









































































































テント生活:雨

2006年02月23日 15時21分24秒 | ●パキスタン地震
ある朝、テントを打つパラパラという音がした。
雨だ。
誰もが恐れている雨。
支給された防水シート一枚でどこまで防げるのか。
外に出られない強さだった雨は、しだいに弱くなり数時間で止んだ。
昼には太陽が出て、強い日差しが大地を乾かした。

ムザファラバード滞在中に経験した雨はその程度だったが、
土砂降りの雨が一日中続けばどうなるかは明らかだ。
「ウォータープルーフ・テントが欲しい」、誰もがそう願っている。


































































テント生活:サニタリー

2006年02月22日 16時08分47秒 | ●パキスタン地震
大集団による共同生活で問題になるのが公衆衛生だ。
衛生設備は各国政府、国連機関、NGOなどによって作られている。
パキスタンの一般的な水洗様式が用いられている。
テント・ビレッジの人口に比べ、サニタリー設備の足りているところは少ないだろう。
中にはまったく設備のないテント・ビレッジさえある。
女性にとっては由々しき問題だ。

また、寒い季節に冷たい水を浴びることは、
体調を崩す恐れもあるため、
この時期ほとんど水浴びはなされていないようだ。
頭髪に虱のわいている子供もいる。
衛生環境はよいとは言えず、今後悪化することも考えられる。


白く点在しているのがサニタリー。ここは随所に設備があり、充実しているようだ。

敷地の問題もあり、十分な数が作れないところは不便を強いられる。
女性には辛い環境だ。

テント生活:炊事洗濯

2006年02月21日 18時02分39秒 | ●パキスタン地震
炊事は各家庭で行う。
たいていはテントの外に簡単な釜戸が作られている。

テントが密集しているので火元が多少不安である。
















燃料も各家庭で枯れ木や古着を拾ってくる。














テントの中で炊事をしている家庭もある。
炊事と暖房を兼ねているわけだが、少し不安である。








             テントの中は煙と湯気でかなりむせ返っている。

火の粉や灰が舞うこともある。










テント火災も発生しておりパキスタン軍が消火器を配布した。














主食のチャパティ。
















チャパティ用の小麦粉はWFP(世界食料計画)によってなんとか配給されているが、野菜や肉類などは配給されない。












飲料水はMSF(国境なき医師団)やOxfamなどのNGOの努力によって十分確保されている。









洗濯やトイレ用の水は水道がひかれている。これはオーストリア軍によって建設された水道。






























テント生活

2006年02月20日 19時31分59秒 | ●パキスタン地震

狭く不便なテントだが、中は何とか居住性を良くしようとそれぞれ工夫している。







防水シートの上に布団をひき、荷物や毛布が背もたれになる。居心地はかなりよい。








しかし、3m四方ほどの三角テントの中は狭い。中央部しか立てない。









ジッパーはないので気密性はない。外気も砂埃も舞い込んでくる。だいたい布団の上は常にざらざらである。






















どこも大家族なので、全員がテントに入るとかなり狭い。










日が落ちると急速に気温が下がる。機密性のないテント内は外気と同じ気温になる。






































徐々に電線を張る工事はなされているが、電気のないテントは多い。
























電気が来て、いくら居住性をよくしても、所詮は三角テントである。
いつまでも住みたいと思う人はいない。
ましてや、防水加工もほどこされていない隙間だらけのテントである。
誰もが雨が降ることを恐れている。

破壊された街

2006年02月18日 23時13分41秒 | ●パキスタン地震
ムザファラバードの街を遠くから望むと一見何事もないかのごとく見える。
しかし、破壊の程度に差はあるものの、街の全域が被害を受けている。
倒壊していないだけで、すでに居住するには危険すぎる建物が多い。

都市としての機能は、ひとまず維持されている。
電力も飲料水も供給されている。
商業活動も行われ、食料品や日常雑貨は問題なく手に入る。
ただし産業と言えるものはない。













































































































テント・ビレッジ

2006年02月17日 19時27分46秒 | ●パキスタン地震
かの地で移動中に目にするのは無数のテント・ビレッジだ。
ムザファラバードの市内、郊外、山間部を問わず、いたるところにテントの集落がある。
テント・ビレッジの住人は、山間部の被災者だ。
都市部の被災者は、自宅脇や自宅の上にテントを張って生活している。
狭く不衛生なテント生活はいつまでも続けられるものではない。
しかし、山間部の村は、いまも土砂崩れの危険にさらされている。





































































被災地をあとに

2006年02月16日 19時39分27秒 | 軽い読み物
14日パキスタンを出ました。
ビザを延長して四週間ほどの滞在でした。
ただいまバンコクにいます。
フィルムの現像と写真の整理をして帰国します。

さて、いったい何から書き出せばいいのか迷います。
膨大な被災者を取り巻く環境はあまりにも複雑です。
被災者の窮状は、援助金や援助物資が増えれば解決するというものではありません。
援助金や援助物資が被災者に届くまでの過程も複雑で流れはスムーズではありません。
被災者には、一家族一律25000ルピー(約400ドル)の一時金が支給されることになっていますが、それを受け取っていない人は大勢います。
この四ヶ月間で被災者が受け取ったものは、驚くほど僅かなものです。
被災者同士が助け合って生きている、というのも現実の一面です。

もちろん、さまざまな国際機関や国内外のNGOなど諸団体が努力しています。
被災の範囲があまりにも広く、被災者の数も膨大なので、
隅々まで行き渡るには時間がかかるというのも現実だと思います。
しかし、すでに被災から四ヶ月が経っています。
被災の範囲と被災者の数だけが障壁だとは思えません。

巨額の資金が動く救援・援助はそれ自体が利権を生みます。
援助金や物資が被災者に向って流れるうちに、途中で地中深く吸い込まれていくのでしょう。
したがって援助金や援助物資がいくら増えても、被災者の実際の生活はほとんど変わらないと言えます。
こうした利権を生んでしまう環境こそが最大の障壁です。
しかし、その実態は誰にもわかりません。
また、誰も口にしません。

被災者は、ないよりはマシという援助物資を受け、互いに助け合いながら、今日を耐えて生きています。
しかし、被災者がもっとも望んでいるのは、おカネでも、物資でもありません。
未来に対する展望です。
その展望がどこにも見当たりません。







































被災地ムザファラバードから

2006年02月09日 18時56分04秒 | ●パキスタン地震
ムザファラバードからお送りします。

この地にきて三週間が経ちます。
ビザを延長し、あと一週間滞在できます。
この間、あるテント・ビレッジで寝起きしています。

この地の被災者の現状を手短にお伝えするのは難しいです。
想像以上に環境は悪いと言えます。
しかし、今日明日生きる死ぬという状況ではありません。
長期的な問題です。
三ヶ月後、半年後、一年後のことが被災者にはまったく分からない。
好転しているかもしれないし、悪化しているかもしれない。
不便なテント生活をしながら、ひとまず今日を生きるしかありません。
未来に対して何の希望も見出せない、それが被災者の現在の気持ちです。

食料は足りているとは言えないです。
シャワーを浴びることもできないので、衛生環境も非常に悪いです。
日中は暑いといっていいくらいの陽気ですが、日が落ちると極端に気温が下がります。
テントの中はかなり冷え込みます。
粗末なテントでは寒さを防ぐことはできません。

数字的には莫大な国際援助金が、届いているはずですが、実際に被災者の手元に届いているのは、驚くほどわずかなものです。

テント生活をする被災者にとってさらに不幸なのは、「被災者救援」が国内外の政治宗教団体の宣伝や勢力の拡大に利用されていることです。
その詳しい実態は僕には窺い知ることができませんが、かなり「過激」な団体が運営するテント・ビレッジもあるようです。

被災地からレポートできるのは今回だけだと思います。
明日からパキスタン・インドの国境地帯の被災地へ行きます。

中司達也
ムザファラバードにて