ムザファラバードから56km。
かつて、外国人が立ち入ることのできなかった停戦ライン地区。
ジェーラム川を隔てたすぐ向こう側にインド支配地域の家屋が見える。
「川の向こうはインドだよ」と言われてもピンとこない。
カシミールの人々は”インド”とは呼ばず”オキュパイド・カシミール”と呼ぶ。
まだまだ奥地まで被災地は広がっているが、僕がたどり着けるのはここが限界だろう。
カタ・チュグリ村。村の歴史はおよそ千年。
ムザファラバードで常に行動を共にしてくれたサディク氏とアヌエル氏の故郷である。
村人のほとんどはムザファラバードでテント生活をしている。
急峻な斜面に家屋の立っている山岳地帯は、落石や地滑りの危険が高く、安全な地域は少ない。
家畜など財産の残っている人が、世話のために村に留まっている。
地震以来、村外の者がこの村を訪れたのは、僕が最初らしい。
行政や軍、国連、NGOの手もいまだ届いていない。

カタ・チュグリ村の入り口。幹線道路を離れると、村へのアクセスは徒歩だけとなる。
背景の山の左半分はパキスタン支配地域、右半分はインド支配地域。
両国の支配地域は非常に複雑に入り組んでいる。

途中何ヶ所か崖崩れがある。
案内のサディク氏の兄弟は、10月8日の地震で、この土砂に呑み込まれた。遺体の捜索は不能。

村まで二時間ほどの登り道。途中、休息をとる親子。

村の家屋は一見無事のように見えるが、単に倒壊しなかったというだけで、もはや人が住める状態ではなかった。落石や地滑りの危険も高い。
ひとまず倒壊しないように支えてある家屋。

いつ倒壊してもおかしくないであろう。住むためには、一度解体して組み直すしかない。

建物が倒壊したあと、巨石に直撃された家屋。住人はかろうじて避難。

応急処置をほどこして人が住んでいる家屋。はたして安全なのかどうか。