セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「忍ぶ川」

2014-11-03 23:33:16 | 邦画
 見直して良かった!

  
 「忍ぶ川」(1972年・日本)
   監督 熊井啓
   原作 三浦哲郎
   脚本 長谷部慶治 熊井啓
   撮影 黒田清巳
   美術 木村威夫
   照明 岡本健一
   音楽 松村禎三
   出演 加藤剛
       栗原小巻
       信欣三
       永田靖 滝花久子
       岩崎加根子 井川比佐志

 昭和30年頃、27歳の大学3年生・哲郎は料亭「忍ぶ川」で働く看板娘・志乃
と出会った。

 邦画が誇る純愛映画の傑作。
 モノクロ・スタンダード画面に違和感を感じない「昭和」の世界。
 だから、今の人達には皮膚感覚で解らないかもしれない、あの時代(昭和中
期)を身体の何処かで憶えてる人達の映画なのかもしれない。
 でも、この世界の美しい日本語を若い人達にも是非聞いてもらいたいと再見
して強く思いました。
 (下町、赤線・洲崎の生まれで、北区王子辺りの料亭で住み込み働きをして
る志乃の言葉使いが「山の手」言葉なのは違和感がありますが(笑))
 この作品、原作は1960年(S35年)だけど制作されたのは1972年(S47
年)なんですよね。
 僕が高2の頃の感覚はそれ程現代と変わらなかったと思います、あの時代
にアイドルの純愛映画じゃない大人の「純愛映画」(あの時でさえ殆ど過去の
日本語)を作って大ヒット。
 「清く正しく美しく」なんて宝塚以外、普通、鼻で笑ってしまう感覚、それは今
がそうであるように、あの時代だってそうだったんです。
 でもそれが胸を打つ感動作に仕上がってる。
 それこそ多少の時代を超える普遍性が有る証拠になっていると思います。

 今の人や、ある種の人達には違和感や反発があるかもしれない志乃の最
後の台詞、
 (車窓から雪に埋もれる村を見て)
 「見えるわ!見えるわ!家(うち)が」、
 「ね、見えるでしょう、私の家(うち)が」
 苦労を重ね浮き草のような10年を経て、漸く新しい故郷を得た志乃の初々
しさと歓びを見た時、僕は画面が滲んで見えなくなってしいました。(汗)
 「そうか、この話は純愛物語で新しい出発の話なんだけど、志乃が戦争で失
った故郷を見つける物語だったんだ」

 純愛物語は通常「純潔物語」だから儀式を結末に持ってくるのは王道。
 その朝、長い宿痾に頸木を打った二人に聞こえてくる祝祭のような鈴の音。
  雪明りの中見守る二人、これ程美しいシーンも、そう有るものじゃない。
 モノクロだからこその世界、一見の価値が有ると思います。

 役者は皆、好演。
 小巻さん以外では、志乃の父親・信欣三、哲郎の妹・岩崎加根子、母親・滝
花久子が特に良かったです。
 松村禎三の音楽も良。

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 以下、感じた事をツラツラ(支離滅裂なので系統立てて書けない)。

・まさに時間的に滑り込みセーフだった作品。
 2,3年後には殆ど制作不可能だったでしょう。
 都内に都電が走ってたのも、木場があの地に残ってたのも、下町に木造家屋が沢山残ってたのも・・・。
 数年すれば殆ど無くなってしまう世界だった。
・僕が「コマキスト」確定した作品。
 今見ても、これ程、彼女が輝いてる作品は思い浮かびません。
 (台詞を上手く言えなかったのかマイクと相性が悪かったのか、彼女のシーン、アテレコが多い気がするけど)
 記事にも書いた台詞の時の声、表情、本当に素晴らしかった。 
 この役は栗原小巻さんで大正解だと思います。

 この作品、有名な話だけど元々志乃は吉永小百合さんが演る予定だったのが彼女の周囲の反対で小巻さんに回ってきた。
 今回、その点にも留意して見直したのですが、ホント、当時の小百合さんにピッタリな役。
 清純派から本格的女優に脱皮しようとしてた彼女にとって打って付けの役で、当人も覚悟を決めて演るつもりだったと噂でした。
 あの頃、「小百合さんの(取り巻きを押しきれなかった)決断」に若い僕は結構反感を持ってました。
 この作品で志乃を演じれば、その後の女優人生が随分変わった事は間違いない、でも40年経ってみると、どっちが良かったか解りませんね。
 演らなかったのも正解だったような気がしました。

・ホントにどうでもいい事(考証について)
 哲郎の青森の実家は息子の不始末で村に居られなくなり引っ越した、となっています。
 哲郎の住んでる場所は県の学生寮と思われ会話にも大間のマグロが出てくるから青森県内に在住してる設定なのでしょう。
 でも両親の訛りが、どうも津軽弁にも南部訛りにも聞こえなくて困る(当時の本当の津軽弁なら殆ど外国語だから解り易くしてあるのは承知)、何か越後訛りに近いんですよね。
 越後言葉の「だすけ(だから)」という単語が何回も出てきて、ホンマに青森?と思っちゃう。
 僕の記憶では、この作品の舞台は山形・米沢地方だと思い込んでたから余計にこんがらかって・・。(笑)
 これ終幕の雪の実家シーンは山形・米沢と新潟・坂町を結ぶ米坂線沿線なんですよね、元鉄チャンの僕は初見の時から機関車と車窓の風景で確信してて(今回、米沢市協力と出てたのでヤッパリ)、ずっと青森出身なのを忘れてました。(汗)
 ついでに書けば二人が降りた駅は西米沢だけど、家はもっともっと先の手の子~萩生辺りかと。
 (西米沢は平地、実家は宇津峠から平地に降りてく途中ですね)
 米坂線を選んだ理由は解る気がします。
 撮影当時、東京から近い豪雪地帯のローカル線といえば飯山線か米坂線だけど蒸気機関車が客車を引いてたのは米坂線の方が多かったので決まったんじゃないかな、雪深い寒村、純愛物語の白=雪のイメージにピッタリだし。

・「忍ぶ川」の設定は多分王子、飛鳥山辺り。
 一回だけだけど早稲田~大塚駅~王子~荒川車庫を結ぶ都電32番線が出てきた(飛鳥山~滝野川1丁目間)
 哲郎の大学は立教(池袋)か早稲田。
 デートした公園は飛鳥山から2Kmの「六義園」
 待ち合わせの陸橋は飛鳥山に似た場所があるけど、あれは日暮里あたりの陸橋のような気がする、階段も日暮里の階段に似ています。
 でも昭和30年頃、飛鳥山から深川へ行くのは大変だったと思うよ、都電を乗り継いで一時間半くらい。(笑)
 
コメント (4)
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