laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

通しの功罪

2011-12-09 | kabuki a Tokio

中村座昼の部二回目見てきました。感想は二度目につきごくカンタン。

車引

正面で見なかったので、黒衣の動きを中心に。
座ったまま見得をする梅王の高引を支える黒衣の全身を使ったばねに驚嘆。
表に見せる芸の裏にはこういう見えない芸(とあえて呼ぶ)が隠れているのだな、と。
勘太郎がほんのちょっとした後ろをむいた隙にものどスプレーをしていたのが気になった。
今日は声がそんなに気になる状態ではなかったので、予防あるいは癖だといいのですが。

芝居そのものは初日より勘太郎の元気が出てたような。
杉王(虎之介)が、甲の声を出すのをやめていて、発声は安定してきたけど、ちょっとつまらなくなった。
松王と時平はやっぱり役違いという印象は変わらず。時平なんてよさそうに思うんだけどね、脳内キャスティングだとw

 

賀の祝

よくも悪くも初日の印象とほぼ変わらず。手抜きですんません。


寺子屋

特に前半、勘三郎がお疲れ気味なのが気になった。
力がはいってないというより、どことなく台詞が流れ気味で、なんというか「早く終わらせたい」感が。
後半はさすがに見せてくれたが。
まだまだ本調子じゃないなあ、という感じと、本調子じゃなくてもこれだけやれるってすごいなあ、という感じが半々。
逆に菊之助はちょっと入れ込みすぎ?特に前半。勘三郎の力を抜いてるのとのバランスがちょっと・・・
生まれて初めて菊之助の芝居を「ちょっとうざい、くさい」と思ってしまったw
どちらも後半はよくて、千代の扇雀のぼたぼた汗もやや後方だったためそれほど気にならず。
亀蔵の玄蕃、こういう役は本当にいいよなあ。


ってことで、あとは楽に見ます。さて、またどう変わってるかな?

 

と、果てしなくいい加減に締めたあとで、タイトルに気づいたw

またどなたかに突っ込まれる前にタイトルがらみの駄文を追加。

通しで見ると、たとえば、いつも寺子屋で「ここに居ないやつのことなに言ってんだか」みたいな感じだった「桜丸が哀れでござる、桜丸、桜丸・・・」の台詞が実感を持って涙で聞ける。その代わり、桜丸(やってた役者)そこにいるじゃん、みたいな別の興ざめがあるけど。通しといっても、全部やれるわけじゃないので、結局話がつながらなかったり、あれだけ若様と奥様を探しに行くって意気込んでた梅王はどうなっちゃったんだよ、結局全部松王がやってるじゃん、とか。まあ勉強すればつながるのかもしれませんが、何せ日本で二番目に勉強嫌いな歌舞伎ファンなものでwww
見取りでやったときは個々の芝居として、重い役を幹部がやって、軽い役(賀の祝いでいうと、松王はさほど重要ではない)は脇の役者が、みたいな予定調和が不自然には感じないのだが、通しで見せられると、歌舞伎の配役のご都合主義みたいなものが透けて見えちゃうのもちょっといやだ。こっちのほうは、たとえ予定調和な配役でも、有無を言わさぬいい芝居が見られればなんでもないんだろうけどね。
同じく通しで演じられた国立ではほとんどそういう不満は感じなかったしさあ。まあ座組が厚くて不自然な二役や入れ代わりがなかったってこともあるかもしれませんが。

今回、車引きの松王・時平、寺子屋の千代に特にそういった「なんだかなな」感があったので。タイトルは即日つけてるんで、たぶん鑑賞直後はその感想が強かったのだと思います。


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2 Comments

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Unknown (きょん。)
2011-12-11 00:39:19
日本で一番勉強嫌いなので
杉王が誰だったか思い出せずに
モヤモヤしておりました。

虎之介くんはポーズを決めるところは
きれいに決まっていたようでしたが、
普通に立っているときなどの視線が
定まっていないようでした。
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Unknown (laviedure)
2011-12-11 09:28:39
初日は挙動不審の誘拐された子供状態でした。
この日はほぼ後姿しか見えなかったのですが、まだ治ってませんでしたか・・・
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