laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

やっぱりケラが好き

2012-04-25 | spectacles

百年の秘密見てきました。

長い。長すぎるといってもいい。一度の幕間をはさんで3時間半近く。歌舞伎かw

舞台は外国だし、登場人物はガイジンだし(当たり前か)、その上、始まってしばらくは、時間軸はおろか、空間までどこがどうなってるのか、よくわからんことになっていて、かなり戸惑う。難解とすらいってもいいかもしれない。

時間軸は、一応女中メアリーが、○○年前のお話、といってくれるのでいいのだが、、空間軸は、ひとつの舞台平面が、役者の演技と、ドアの存在によって、いつの間にかガーデンになったり、リビングになったり、あるときは両方だったり、とめまぐるしく変わるので、それに慣れるまでに少し客の側にも努力を必要とする感じ。

だけど、いったんその仕掛けに納得してしまえばまったく退屈することなく、諧謔と笑い(これ、今回凄く少ない。ケラに笑いを期待している客は肩透かしかも)、そして大きな空虚感も含めて、ケラの世界に引き込まれて、あっという間の三時間ちょっとだったのだった。

友達同士の女性二人+その家族たちの百年にわたるお話、ということでケラ版女の一生とか、風とともに去りぬとか、楡家の人々とか、大河小説的な感じかと思っていたら、(実際ボリュームは大河だし、家族を見守る楡の木が出てくるしねぇ・・・)終わってみればやっぱり大河じゃなくて小川(たまきってか、字が違う)。
くだらないこと書いてんじゃねー。疲れてるんですw

ちょっとした善意や悪意がどんどん人の人生を狂わせて行く様を、傍観しているのはつらかったりもするけれど、終わってみたらなんだか生きていること、というより、老いること、死ぬことが楽しくなるような不思議な感覚に襲われたのだった。

みんなが目の前で嘘をいって、愛し合って、生きて、老いて、死んでいく様を見続けていなければならない楡の木は、ちょうど観客と同じ切なさを百年溜め込んでいたのだなあ、と。そして客は三時間で解放されるけど、楡は百年以上もじっと黙ってそれに耐えてきたのだなあ、などと変なことを考えてしまったり。

楡と客に挟まれて、百年の時を生まれ変わり、死に変わって演じ続けた役者たちは概ね見事。笑いを封印してニヒルな役を演じた大倉孝二山西惇には特に感心したし、主人公の女ふたり、犬山イヌコ峰村リエもよかったし。

舞台の仕掛けやストーリー展開がわかってからもう一度見たらどういう感想になるのか、しりたくなる芝居でもあったので、できればもう一度見てみたいのだが、うーむ。どうしよう。

ちなみに画像は宣伝チラシなのですが、ケラの宣伝チラシって、芝居の内容とほとんど合ってないのが多いよねぇ・・・そしてこれもw


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