laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
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理不尽に理屈を通す理不尽さ

2016-03-16 | spectacles

芝居見ながらこのタイトル思いついたとき、われながらスゲーと思いましたのwww

この芝居を一言で言い表すならこんな感じ。の

ETERNAL CHIKAMATSU

 

細かい描写、役者の演技(一部除く)には感心させられる要素がたくさんあったのだけれど。

ベース、この芝居のテーマというか存在意義自体に個人的に疑問を感じてしまったので、表題になったわけです。

まず、前半から、飛田と思われる現代の赤線地帯で売春するハルという女と、天網島の小春をダブらせる展開にそもそも違和感。夫の借金を返すためといえ、かなり理知的で大学も出てるwという設定の現代の女が飛田新地で春を売る・・・よほどセックスが好きなのか、厭世的になってる以外あり得ない設定。
江戸時代の売られた女とダブらせる設定が、やっぱりルヴォーという、ガイジンの浅い考えなのかねぇ。などと思ってしまった時点では

いや、ガイジン差別w、先入観で舞台見ちゃいかんぞ、ルヴォーさんは勘三郎と意気投合した、日本通さんのはず、と思っていたのですよ。

後半、小春と治兵衛に愛を語らせたり、ハルに心中を止めさせたり、ああ、やっぱりまったく分かってない人なんだなあ、とがっかりさせられてしまった。

日本人(少なくとも近松の時代)の死生観と、西洋人の死生観の違いなんだろうけれど、神から与えられた生を途中で断つことは悪、という西洋的死生観を、来世を生きるために、今生を去る、という江戸の死生観に押し付けて、無理やり芝居に仕立て上げた、という感が強すぎる。

…なんてえらそうに言ってるけれど、現代の日本人(ワタクシも一応その端くれ)は、正直、近松の描く世界より、西欧的死生観に近いものを持ってる人がほとんどだというのもまた事実。だから、この芝居を見ても、テーマ自体に違和感を持つ人がそんなにいないのかもしれないな、とも思う。
実際私自身、おフランスかぶれで育ち、歌舞伎や文楽見始めたときも、なにがあの世で添おうだ、この世で添う努力しろよ!とか、女房子供残して勝手に死んで楽になるなよ!とかとっても健康的なw反応をしてたものだ。

…そういう私だからこそ、逆にこの芝居の無神経さにカチンとなったのかもしれない。
どっぷり日本死生観につかりきれていたら、あらあらこういう考え方もあるのね、と新鮮だったかもしれないし、逆に今の日本人の多数がそうであるように死=悪というイメージにとらわれていたら、この芝居のテーマは普遍的なものとして素直に受け入れられ、単純に役者の芝居を賞味できたのかもしれない。

うーん。いろいろ惜しいのよ。

七之助はとてもいい。
この芝居の中の人間としてはとてもいい。
ルヴォーの描くこの芝居の中の小春を最高に体現していた、と思う。

だけどね・・・だけど・・・

歌舞伎役者がそれやっちゃいけないと思うんだ。
自分たちの世界を支えている、現代では理不尽とも不条理とも思える死生観と相反する世界を、いくら歌舞伎の舞台ではないからといって、ここまで熱演しちゃったら。
熱演・好演であればあるほど、歌舞伎役者としてのあなたのアイデンティティはなんなのよ、と勝手に嘆いてしまったのはこちらの勝手。
いつかコクーンで佐倉義民伝での農民ラップwを楽しそうにやっていた七之助もそうだけど、きっと
そんなこと何も考えてないのよね。役者馬鹿だもの。これ、勘九郎であろうと、誰であろうと、ほとんどの役者がそうなんだろうと思うし、きっと役者はそれでいいと思うの。演出家の意図を具現化する道具なんだと思えば、ね。

…他の役者について。

深津絵里はやっぱり素晴らしい。先日見た松たか子と同じで、この人の一番の財産もやはり声。
治兵衛役の無駄にかっこいい大根は誰だろう?と思っていたら、『花子とアン』でやはり無駄にかっこいい大根だった中島歩という人だったw
この日もらった宣伝チラシであちこちの舞台に顔を出し始めてる。なんと無謀にも舞台修業するつもりらしい。一時期の小出某よりもっと棒なので、舞台見るときにはこれから気をつけなければ!
おさん役はなかなかよかった。伊藤歩。こっちの歩はいい歩。顔そっくりな木村文乃よりよほど芝居はしっかりしてると思うのだけれど。映像では似すぎてて使われにくいのかなあ。がんばれ。
現代と近松世界の橋渡し的狂言回しの中島しゅう。この人、わざと一本調子なの?下手なシェイクスピアの墓守みたいな感じはわざと?
この人の突き放した感じに一切江戸っぽさを感じなかったのも、「現代人の理屈を近松世界に押し付けられた」という印象を強める要素になったような。
ま、そこまで演出家の意図だというなら、何をかいわんや。

 

で、いちばん感慨にふけらされたのは。

 

今までつらつら述べ立てたような、違和感をまったく覚えずに、「純粋に芝居として楽しめた」客が多かったように感じた、ということ。
たぶん歌舞伎や文楽を見ている層も多かったであろうこの日の客ですらそんな感じなのだから、もはや江戸時代の死生観など机上の空論であって、実感できる日本人は(いや、私も含めて、なのだが)絶滅しちゃったのかもなあ、と。

 

全然関係ないようだけれど、国連で天皇の継承権を女性に認めないのは女性差別だと決議しかかったとかいうニュース。
これにも違和感覚えずにその通りだ!と思ったりする日が近いのかもしれないね。


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