laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
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ハエも喜ぶ23回忌

2010-02-01 | kabuki a Tokio

初日特有の熱気+追善ってことで(勘三郎人気)マスコミのカメラも賑々しく。人だかりがあると思ってみればそこには愛ちゃんの姿。12月歌舞伎座にも1月浅草にもいたのにいまさらって思ってみたり。まあいいか。

爪王

 

唯一正体不明wだった演目。
うーむ。

 

朝イチ舞踊としてももう少しやるもの(見たいもの)あったんじゃないでしょうか。十七代目ゆかりというほどでもなく、一度か二度しかやったことないみたいだし。そもそも平岩弓枝だいしぇんしぇいの手になる詞章が中途半端に口語で耳にちっとも美しくない。

肝心の舞踊ですが。
人間役の弥十郎錦之助(かわいそうなほどのちょい役)はせりふをしゃべるが、鷹役の七之助と狐役の勘太郎は舞踊のみ。
弥十郎は、ちょっと存在感がなかったなあ。ついつい歌六だったらよかろうなあと思ってしまった。なんせ十七代目がやった役だもんね。歌六、十七代目とはかなり近い親戚なのにどうして出てくれなかったんだろう。
七之助、こういう「人間離れ」した役は悪くない。いつも気になる身のこなしの堅さも鷹だってことで納得できるし。ただ、鷹には見えない。顔が狐だってことは別にしても、とても狐に勝てそうにないんだよね。
勘太郎の狐もまた「年老いた赤狐」にはまったく見えないが実に美しくロマンティックで、かつ勇猛な狐だった。
出の瞬間から狐にしか見えないたたずまいはさすが。
こんなくっだらない芝居じゃなくて四の切の狐であの身のこなしを見たい!とつくづく思った。

 

俊寛

 

勘三郎の変貌を確信した。
本当に客席をちろちろこびたような目で見るいやな癖がすっかり消えている。初日でごひいきが前方にずらりと並んでいる昨日ですらそうだったんだから、もうこれは確信してやってるね。
まことに結構な俊寛でありまして。
シェイクスピアのような幸四郎、生きながら仏になってしまったような吉右衛門、まだ色気が残っていて後添いみつけられそうな仁左衛門、勢いあまって岩から落ちそうな右近、計画的に島に残ったとしか思えない亀治郎・・・とさまざまな俊寛を見てきたわけだが。

今月の勘三郎俊寛は。

本当にさびしがりやに見えた。
人と一緒にいないと死んでしまいそうなさびしがりやさん。
発端で少将と康頼に「なんで最近来てくれないのよぉん?」てすねるところなんて本当にさびしがり屋の少女みたいだったもん。
一人で島に残ることを選んだのも、どうせ帰参しても、奥さん死んじゃって一人なら、戻ってもしょうがないって思ったのが動機って感じ。

だけど、本当に島でたった一人ぽっちになってみると、もうさびしくさびしくてさびしくて・・・

ってことであたしの中では帰結してたんだけど、最後の最後に微笑むんだよね。あれは吉右衛門型(勝手に名づけました)生き仏タイプには似合うけれど、さびしがりやさんには似合わないと思う。まさかさびしすぎて気がふれちゃった?

ラストの微笑みはなぞですが、それ以外は本当に感動しました。数ある俊寛でも1.2を争うものだと思いました。

 

脇がつまらない。
いつもの中村屋俊寛よりはいわゆる豪華な役者がそろっているのだが左團次の瀬尾は力感が足りなくてどうしたの?って感じだし、梅玉の丹左衛門はなんかさびしがりや俊寛とは相性がいまいちの感じ。
勘太郎の少将は前回からあまり進歩が感じられず(色気不足?)扇雀はまあまあだけれど、康頼というよりは少将みたいに見えなくもない。
七之助の千鳥、口説きの場面はいくらか進歩が見られた(一人でなんとか場が持っていた)けれど、出の部分の初々しい島娘という雰囲気はぜんぜんなくて、やはり「少将ゲット!やりぃ!」のイケイケ娘にしか見えない。これは単にニンでないということなのだろう。
立役勘太郎、女形七之助というのがほぼ定型になりつつあるようだが、この芝居に関しては、千鳥勘太郎、少将七之助のほうがはまると思うのだが。

 

ってことで主役◎、脇役△~×という乖離が気になりました。まあ大詰めの俊寛がよければすべてちゃら、みたいな芝居でもあるのだけれど。

途中ずっと眠っていて、最後だけみて感動してるおば様たくさんいたし。

 

 

口上

 

総勢15人。まあなんてことない十七代目の思い出を語る、って話なんだけど。

芝翫さんが平伏してるのが相当つらそうで、途中勘三郎に「早めに終わってね」みたいなことをささやく、どころか地声で言っていた。そのときの勘三郎のはい、はいってお辞儀してる感じに、当たり前なんだけど、歌舞伎界の上下関係を見た!って感じ。あんなに平身低頭してる勘三郎、めったに見られないもん。

そして、口上の幕開きの前に例によってハエが飛んでた。
当然前方のごひいき各位は大喜び。

あれ、まさかと思うが仕込んでるんじゃないだろうな。なんて心の汚いあたしは思っちゃうのでありました。

 

ぢいさんばあさん

 

結果的に中村屋色のいちばん薄いこの狂言がlavie的には本日一でありました。

2010年現在のニザ玉はこうだ!という仁左衛門からのメッセージを強く感じてしまった。
三越劇場で橋之助・孝太郎のぢいさんばあさんを見ていて、そのときもつくづく思ったのだが、この芝居は若手が無理に老けてやるより、ある程度の年で、なおかつ若作りも可能な役者がやったほうが絶対いいね。

ってことで仁左衛門はぢいさんにまさにずばり。
一方の玉三郎は、若いほうのいちゃいちゃカップルはこれまたずばり。往年のニザ玉ファンはここで満足できるでしょ、って寸法のサービスぶり。

ばあさんになってからは・・・
正直老けを作りすぎ。そこまでしわ描いたり目をしょぼしょぼさせなくても、軽くしわ描くくらいでちゃんと老けて見えますよ!

とは誰もいえないんだろうな・・・ひひひ。
老け込みすぎていて、ぢいさんより年上に見えました。

あと、ナントカ家に勤めて重役にまで登用されたようにはちょっと見えない。その貫禄はだいぶまえに見た菊五郎のばあさんのほうがあったような。

まあばあさんにちょっと難はあったものの、前半のいちゃいちゃ、後半もラストの情なんかは、ニザ玉コンビでなければ出せない領域だと思うので、(ニザ菊だったらぜんぜん違ったものになったと思う)この二人でよかったと思います。

とにかく、物語全体を通じて仁左衛門伊織が圧巻。若いころの水も滴る武士ぶり、新婚らしい甘さと、ちょっと切れやすい神経質さ。
そしてなんといってもぢいさんになってからのもう、らぶり~~~~~~~~と叫ぶしかない愛らしさ。あの愛玩動物はいくらですか、と歌舞伎座に掛け合ってみたいくらいのかわいさでした。らぶりんという愛称を義理の甥から取り上げて、ニザ様に進呈したい。

個人的に仁左衛門という役者はずっとずっと好きではあるけれど、大好きまではいかない、という感じだったんだけど、ひょっとして「大好き」になってしまうかもしれないぞ。

 

というわけで仁左衛門だけで満足だったのだけれど、主役だけがよかった俊寛と違うのは、脇も全員よかったこと。

まずは追善ならではの勘三郎@下嶋。ただのいやなやつ、というだけではなく、俊寛ひきずりのさびしがりやさん、風な雰囲気でなんだか憎めない。うまいです。
そして、すべての原因となる弟役の翫雀がまたいい。翫雀はこういうちょっとした役でもちゃんとその役の雰囲気を作り出す、いい役者になったなあ。
三越コンビの橋之助孝太郎の若夫婦も悪くなかったし、伊織の友人たち(秀調・右之助・桂三・市蔵)とか屋敷の用人(松之助)とか、ひとりひとりに至るまで芝居がいいんだよなあ。

隙がないというのはこういうことなんだ、伊達にさよなら公演じゃない、伊達に追善じゃない、と感じました。

 

ところでこの演目も十七代目ゆかりなんだろうか?

なんせ遅れてきた年増ファンなので、十七代目のレパートリーとかよく知らないのよ。


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