清水町が木、金曜日の午後を閉庁し、土曜日を一日開庁にします。
節電(ピークカット)対策で実施するそうですが、個々人のライフ
スタイルによってこのことに対する賛否は様々でしょう。
自分はこの件を評価しています。
それはこういうアイデアが庁内から出たとしても多くの役所では
「前例が無い」とか「混乱を招く」という反対意見が出てなかなか
実行に移せるものではありません。こういう発想とそれを実行に
移す決断力はすごいと思います。
ツイッターのフォロワーから町内のプールにおける放射能につい
て心配の声をいただきました。
個人的にはプールの使用頻度などを考えたら過剰反応だと思います
が、子供のことですからそういう心配があるのは当然のことだと
思いますし、計測して数値を見れば安心することでしょう。
海水浴場の放射性物質の測定も海流からすれば心配ないことはわ
かっていましたが、お客さんに安心してもらうために早めに実施
したものです。
ガイガーカウンターの1つぐらいは町が常備しておいた方が良い
と思います。安心料だとすれば安いものですよね。
節電(ピークカット)対策で実施するそうですが、個々人のライフ
スタイルによってこのことに対する賛否は様々でしょう。
自分はこの件を評価しています。
それはこういうアイデアが庁内から出たとしても多くの役所では
「前例が無い」とか「混乱を招く」という反対意見が出てなかなか
実行に移せるものではありません。こういう発想とそれを実行に
移す決断力はすごいと思います。
ツイッターのフォロワーから町内のプールにおける放射能につい
て心配の声をいただきました。
個人的にはプールの使用頻度などを考えたら過剰反応だと思います
が、子供のことですからそういう心配があるのは当然のことだと
思いますし、計測して数値を見れば安心することでしょう。
海水浴場の放射性物質の測定も海流からすれば心配ないことはわ
かっていましたが、お客さんに安心してもらうために早めに実施
したものです。
ガイガーカウンターの1つぐらいは町が常備しておいた方が良い
と思います。安心料だとすれば安いものですよね。
清水町の『判断力』と『実行力』はなかなかのものですね。ウチでは、無理でしょう(苦笑)。市町村合併で、人口も面積も大きくなった基礎自治体では、難しいものがありますね。5万人程度の自治体でしたらコミュニティの面で、逆に臨機応変に出来るかもしれませんがね…
これからの基礎自治体には、このような『判断力』と『実行力』が必要であり、求められているのだと想います。『地域主権』の観点からも必要不可欠ですね。
それにしても、『ジンサイ』のポン管さん、いや失礼しました、自分だけは『ジンザイ』だと想っている管総理。
今日の『判断力』と『実行力』は何なのでしょうか?
あきれてモノも言えません。『好きにやってくれ!』って感じです。22時からの会見、見ようか見ないか、また騙されるのか言い逃れるのか…
東電の株主総会も何とか終わったそうですね。9000人近くの株主が来ても結局、株主提案の『脱原発』は委任状等の反対多数で否決されました。いろいろマスコミは報道していますが、株式会社としての手続きには問題ありませんから、会長の不信任動議が否決されても仕方ありません。これは「株主」としての「判断力」・「決断力」ですが、今回ほど『株主』の責任の重さを感じたことはありません(これは東電でなく他の電力会社、株式会社に言えることです)。
小生は、まだ、『脱原発』と言うことが出来ません。いろいろな葛藤があります。自然の脅威と『ニッポンジン』の英知、『ヒト』としての『あり方』をどう捉えるべきか悩んでおります。
そんな中で、せめて『フクシマ』の方々、いや子供達にこの歌をメッセージとして送りたいと想っています。小生が通っていた小学校の校歌です。作詞は『時計台の鐘』を創った人です。その学校のある基礎自治体には、正午には時計台の鐘を鳴らしています。
また、その弟さんである医師の先生(作詞した方も医師です)には、高校時代まで大変お世話になりました。(二日酔いの薬を出してくれたり、友人の急性アルコール中毒を診察してくれたり…。当然小生の高校の校医でありながら学校には連絡もせずにただ『この無茶をあとに生かせ』といって下さいました。(ほかにもいろいろ迷惑をかけたものです。))もうお亡くなりになりましたが、小生が小学生だったとき病気を患った時にこの歌を先生に歌ったらとても喜んでくれたことを覚えています。
それがこれです。
希望の丘 [昭和24年9月制定]
作詞 高島 高 作曲 高木 東六
風も緑だ 若葉の朝だ
空にきらきら 陽ものぼる
みんな元気で 元気でつよく
こころ合わせてほがらかに
今日も越えよう 希望の丘を
明けてたのしい 大地の朝だ
みんな若葉よ 萌え出る意気よ
夢もあかるく こころも勇み
ちから合わせて ゆるみなく
今日も越えよう 希望の丘を
嵐吹こうと 雨荒れようと
のびよのばせよ 若葉のいのち
ぐんとぐんぐん 胸をば張って
歩調合わせて ひとすじに
今日も越えよう 希望の丘を
(小学校の校歌よりコピーさせていただきました。)
たまに、社会の『カベ』にぶつかった時、口ずさみます。
どうか、『フクシマ』の皆さん、今の現実を乗り越えてください。皆が応援します。そして、『希望の丘』を越えてください。
どうか『フクシマ』の子供達、
『嵐吹こうと 雨荒れようと のびよのばせよ 若葉のいのち』
ここしばらく『永田町』という村はいろいろありました。
前復興大臣の言い方はちょっと…、という方がおられると想います。
しかし、ある程度の『判断力』・『実行力』のためには仕方が無いと想います。(被災者の皆さん申し訳ありません。)
この無様な時期こそあのような発言は、あってもいいと想っております。
『知恵を出せ』・『地元の意見をきちんと集約せよ(ちょっと良い言い方になっていますが)』は、これからの東北をより良く且つ、民意を反映した『まちづくり』を慮ってのことだと想います(別に松本さんを擁護するつもりはありません。)このときこそ基礎自治代職員は『ニッポン』の『底力』をすべての職員がやらなくてはいけません。
トップリーダーとしての判断はある程度理解はするべきだと想います(しかし、知事が後から来たってあんな言い方は変ですね。それは問題があります)。
今、私達は、『判断力』をためされているのかもしれません。
『ニッポン』の真価が問われています。
それにしても、『かんなおと』という人『ジンサイ』は何を考えているのでしょう。
そして、被災者の皆様方、希望の丘を超えてください。(特にお子さんや、若い方々に…。そして『イノチ』を失った皆様方、どうか見守ってください。この『ニッポン』を…)
前に言ったかもしれませんが、小生の大事な人間を10年前に心不全で亡くしました。小生は、時として彼の入っているお墓に行って彼に問いかけます。『オラはがんばっているかい?』と。(そこにはいないかもしれません。『千の風』になっているかもしれませんが…)彼の分まで生きていこうという思いの中で、そう問いかけています。
『私達』は試されているかもしれません。
自分の母校の校歌の出だしは
「海に躍るよ朝の日が」です。高校の
校歌は有名な人の作詞でとても格調高い
のですが、心に残っているのは断然、無駄に
明るい小学校の校歌です。
前防災大臣の件は例え言っていることが正し
いとしても、言い方が悪ければそれも台無し
だという典型的な例ですね。
大臣と言う立場ですから品格が必要です。
「応接室」がどんな場所なのかもわかって
ないんですね。
ただ、言い返さない宮城県知事もちょっと
情けないと感じました。まあ、それが大人って
もんなのかもしれません。
大人と言えば大人の代表であるはずの首相は
日本をどうしたいのでしょうか。震災から
4カ月経とうとしているのに・・・