My Home Town(旧風力発電と子育て日記)

観光と風力発電と子育ての日記です。

当日記の内容については風車ファン以外の無断での転載転用を固くお断りします。

旅行のついででもいいと思います

2011-06-08 19:37:16 | 独り言
旅行のついでにボランティアと言うと「ついで」なんて不謹慎
だと言う人もいるでしょうが、私はそれでかまわないと思います。

自分は「被災地に行った人の方が行かない人より偉い」という
ような雰囲気をネット上から感じとり、そのことに疑問を持って
いました。そして、へそ曲がりなので被災地に行くのはやめよう
とさえ考えていました。

それが色々と思うところがあり、先日(5/3~5/4)、職場の
後輩3人と仙台に2泊3日の旅行に行ってきました。2日目には
東松島市のボランティアセンター(以下VC)経由で被災者宅で
瓦礫の片付けをしてきました。

午前7時に仙台のホテルを出発して三陸道を通って東松島市のVC
まで、1時間半かかりました。普段は1時間弱の道のりですが電車
が不通だということもあり多少渋滞しました。

VCで受付を済ませると、しばらくしてスタッフから名前を呼ばれ
他の3人の方と班を作って被災者宅へ移動しました。移動はカーナ
ビ頼りです。

被災者宅に着くと、自宅に隣接した200坪の水田だったと思われる
土地に様々な物が散乱しています。とても7人で片付けられる量
ではありません。一緒の班になった東京消防庁の方がVCに電話
で連絡すると、バス1台でボランティアに来たグループを追加で
派遣してくれることになりました。

7人で片づけをしていると1台のバスが到着して学生らしき若者
が35名ほど降りてきました。話を聞くと、山形大学工学部の職員
と学生だということでした。
山形大学では毎週土曜日に希望者を募って日帰りでボランティア
活動に参加しているそうです。

ボランティアは老若男女いろいろな人が参加しているので、無理の
ないペースで進められます。東松島市VCの場合の基本的なスケ
ジュールは午前、午後とも2時間ずつの活動となっていますが、今
回、自分達が作業したように、スコップを使って漂着物を泥の中
から掘り起こすような作業だとそれでも結構キツイと思います。
ただ、女性の場合は土のう袋などに細々としたゴミなどを広い集め
る作業もあるので、それぞれ自分ができることをやれば良いと思い
ます。

今回、自分たちはとても良く働く大学生と東京消防庁の方という
メンバーに恵まれ、楽しく活動することができました。
1日だけの活動では役に立てないのではないかという気持ちもあり
ましたが、1人で10日間活動するのも10人で1日活動するのも
できることはほぼ同じだと思います。特別な技術のいる作業では
ないので、できる範囲で参加すればよいと思います。

これからボランティア活動に参加しようという人はVCによって
作業内容やスケジュールも違うようですし、雨の場合は活動自体が
中止になることも考えられます。
また、これから気温が上昇すると現場の衛生状況の悪化も心配され
るので、事前の情報収集をしっかりして最低限の装備を整えて参加
する必要があります。

午後3時半には東松島市のVCを後にして、石巻港周辺を視察しま
した。やはりボランティア活動に入れる所は被害が軽い場所が中心
で、本当に被害が大きかった所は3月11日から時間が止まってい
るような状況でした。
復興は数年単位ではなく、10年~20年ぐらいはかかるのではないで
しょうか。国は超法規的な措置も辞さない覚悟で、仕事の無い全国
の土木会社と瓦礫の撤去やインフラ復旧を必要としている現場のマッ
チングを強力に推進する必要があるのではないでしょうか。

東伊豆町から仙台市内まで車を走らせている時間は正味6時間半
ほどでした。休憩や昼食の時間を含めても朝7時に出発して午後3
時には到着して、市内観光をする時間もありました。車の運転も
4人で往復1,200キロ弱ですからそれほど大変ということもありま
せん。

自分たちをモデルケースにこれから職場の同僚が順次、ボランティ
ア活動と被災地の視察に行くことになると思います。
自分はボランティアの有り方は人それぞれで、なにが正解というこ
とは無いと考えています。短期間しか参加できない人は複数回行っ
てもいいし、復興に長期間かかることを考えれば少しずつでも寄付
などを続けていくのも良い方法だと思います。

今回、声を掛けたらすぐに応えてくれる後輩がいたのであまり行動
的とは言えない自分も出かけることができました。
あまり堅苦しく考えず、「都合がついたら行く」、「旅行のついで
に行く」ということでいいと思います。

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4 コメント

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お疲れ様でした (たけ)
2011-06-10 23:50:55
 たけです。
師匠、仙台旅行、お疲れ様でした。

 実を言うと、小生も3月下旬に福島を大学の後輩と行きました。大学時代の大変迷惑をかけた後輩からSOSのメールをもらったからです。とにかく必要であろうモノ、大人用紙おむつや水、ティッシュ、粉ミルク、マスク、ベビー用のレトルト食品などいろいろ車に詰め込めるものをもって行きました。小学校からの付き合いのある、スーパーを経営しているカンちゃんに頼んでいろいろ購入して(事情を話すると粉ミルクと水、レトルト食品(大人用も含めてですが)はただ同然でもらいました。また奥さんの「もっちゃん」は、運び出しの間に大きなおにぎりと私たち用の2リットルお茶ペットボトルを2日分用意してくれました。お二人には感謝感激です。本当にありがとうございます。特に粉ミルクと水などは「賞味期限が近いから全部持ってけ」なんて言って。(ホントはそうではなかったのですが…))そしてある筋から頼んで線量計を10台用意して行きました(『ある筋』の詮索はご無用に願います)。

 8時間ぐらいかけてSOSをくれた後輩のいる避難所に行きました。避難所の皆さんにはとても感謝してくれました。ボランティアのつもりで行ったので自己完結でやるつもりだったのですが、夕食の時に避難所で炊き出しをしているおばあちゃんが温かい味噌汁を持ってきてくれました。 私達は「それはいいから他の人たちに配ってください。」と言ったのですが、おばあちゃんは「2人を4人に分けたら半分だが、80人のを82人に分けたらたいしたことはない。これを食べて暖まって風邪を引かずにしてほしい。」と言われ、いただきました。
そのときは涙が止まりませんでした。おばあちゃんは「若いモンが何を泣いとる、しっかり食べてけれ。それがオラ達のあんた達にできるせめてものお礼だ!」って言ってくれてますます涙が止まりませんでした。

 そのとき、2004年に起きた新潟中越地震の時に災害派遣で行った時、十日町市の避難所で夕食を配った時、あるおばあちゃんが手を合せて「ありがとうございます。」と言って下さったことを想い出しました。当たり前のことをしているのに、小生に手を合せて感謝してくださったことがとても心に残っていたのです。
なぜか本当に当たり前のことをただしているのに手を合せてお礼をしてくださるおばあちゃんがあまりにもけなげしく、かつ自分の力の無さに不外なく思ったのです。

 次の日にいろいろお手伝いをした後、津波の現場や倒壊した家屋を見に行きました。目の当たりにして言葉がありませんでした。
そして、あるおじいちゃんが、ある方向を指差してこう言いました。

 「あの向こうに原発がある。腹が立ってどうしようもないが、あそこで息子が一生懸命に働いている。」と…。

一緒に行った後輩といましたが、二人とも何も言えませんでした。言うことができませんでした。辛い想いだけがそこにありました。
  
 このブログを見ている皆さん、ただ出来ればこの「ゲンバ」と実情を診て(敢えて「見る」じゃなく『診る』にします)ください。

 そして何かを考えてください。

 PS:この後、小生及び家内は買い物という買い物品は全て、カンちゃんのスーパーでやってんですけどいつまでやればいいのでしょう?困ることははまったくないのですが…。
人間力 (kynthm)
2011-06-11 13:29:30
「お世話になった先輩」ではなくて「迷惑
を掛けた後輩」というのがいいですね。

今回の震災は人間のすばらしさや醜さなど
色々な物をあぶり出していると感じます。

たけさんの話を聞いてこんなときでも被災
者、支援者とも他人のことを気遣える人間
力を信じたいと思いました。

この後、自分の職場からも次々に現地へ
ボランティアに行きますが、色々と感じる
こと、考えることも多いと思います。
「ココロ」の葛藤 (たけ)
2011-06-12 01:59:20
 相手に対する『気遣い』。この人間力はこれからもニッポン人のDNAに永遠と残したいものです。

 もう一つこの時のことで話があります。
避難所に一組の夫婦がいました。夫婦には子供が授かり、子供はあろうことか3月11日に生まれた男の子でした。
2日目ぐらいまでは母乳を飲ませたらしいのですが、いろいろあってお母さんはその子に母乳を飲ませていませんでした。
母親はいやでも母乳が出てきます。それを捨てて(このような表現は不適切かもしれません。タオルを巻いていると自然に出てくるって言うようなことを言っておられました。)子供にはミルクを与えたらしいです。
本当はこの子には母乳で育て、たくましい男の子になってほしいと思っていたらしいです。
 
 その時、小生は彼女にこういいました。「私は、母親の話では母乳では育たず、ミルクで育ったのです。早産やいろいろあって私にあげたい母乳が出ず、泣きながらミルクを与えた。母親としての虚しさ・悲しさがあったと母から教えてくれた。」と…。
 そして小生は、その子を抱き上げながら「ミルクでも両親・いろいろな人の思いのこもったものだから元気にそだってほしい。」と想いました。

 昨日(11日)は反原発の全国的なデモ活動などがあったと報道で知りました。
また、村上春樹さんがスペインのカタルーニャ国際賞授賞式でスピーチし、大震災で原発事故を起した東電を批判し、効率を求めてきた社会に疑問を投げかけたと言う報道も知りました。

 原子力発電の危険性、それでも今ニッポンが約30%を原子力発電でニッポン経済が動いている現状、またその原子力発電所を抱える地元自治体がそれによって恩恵を受ける経済と、一方でのその今回の事態対応に苦慮する姿、また、俳優の山本太郎さんが反原発を公言しそれに対し迷惑がかかるからと所属事務所を辞めた事、そしてあげたくても不安で自分の母乳を飲ませられない母親とそのこどもたち…。

 小生には『ココロ』の葛藤がそこにあります。

 
心の葛藤が無い人は信用できない (kynthm)
2011-06-12 22:37:43
脱原発の為には、そこへ至る具体的なロードマップを
示さねばなりません。

原発の無い世界は一つの理想ですが、いきなり全部
止めて電気が足りなければ我慢すればいいというの
はちょっと乱暴だと思います。経済より命が大事と
言うのは簡単だし当り前ですが、経済無くして生き
ていけないのも事実ですよね。

心の葛藤も無く、反原発、脱原発を叫ぶ人がいると
したら、自分は信用できません。

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