川崎市川崎区の新川橋通りは、もともと江戸時代につくられた排水路で新川堀と呼ばれていました。
1931(昭和6)年から1934(昭和9)年に埋め立てられました。
東海道と交わる場所にあった小土呂(こどろ)橋。その親柱が小土呂橋交差点近くに保存されています。
以前みたさつき橋も同じ新川通りにあります。
1711(正徳元)年に板橋として造られた小土呂橋。1727(享保11)年から1729(享保14)年に田中丘愚が石橋に改橋。
その後洪水で大破し、1743(寛保3)年に再興されました。
小土呂橋の石橋遺構の一部が稲毛神社境内に保存されています。三間×三間と規模が大きい橋。
石柱もあります。1985(昭和60年)年7月に小土呂橋交差点の真ん中が陥没する事故が起こり、復旧工事のため路面がはがされると、下から小土呂橋の一部とみられるこれらの石柱や石板などが発見されたそうです。
かつてこの橋の上を歴代の将軍や大名が通り、ハリスも勝海舟も、ベトナムからはるばるやってきた象も歩いたといわれています。
象が踏んでも壊れない筆箱、じゃなくて橋。
(そういえばアーム筆箱ではなくアーム筆入れという商品名ですね。筆入れといっても筆は入れない)
1931(昭和6)年から1934(昭和9)年に埋め立てられました。
東海道と交わる場所にあった小土呂(こどろ)橋。その親柱が小土呂橋交差点近くに保存されています。
以前みたさつき橋も同じ新川通りにあります。
1711(正徳元)年に板橋として造られた小土呂橋。1727(享保11)年から1729(享保14)年に田中丘愚が石橋に改橋。
その後洪水で大破し、1743(寛保3)年に再興されました。
小土呂橋の石橋遺構の一部が稲毛神社境内に保存されています。三間×三間と規模が大きい橋。
石柱もあります。1985(昭和60年)年7月に小土呂橋交差点の真ん中が陥没する事故が起こり、復旧工事のため路面がはがされると、下から小土呂橋の一部とみられるこれらの石柱や石板などが発見されたそうです。
かつてこの橋の上を歴代の将軍や大名が通り、ハリスも勝海舟も、ベトナムからはるばるやってきた象も歩いたといわれています。
象が踏んでも壊れない筆箱、じゃなくて橋。
(そういえばアーム筆箱ではなくアーム筆入れという商品名ですね。筆入れといっても筆は入れない)