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BASEBALL馬鹿 BLOG

アマラオへの手紙

2005-01-21 23:43:31 | 感情的FC東京論
 前略
 あなたがクラブを去ってもう1年が経ちました。早いものです。
 熱望したクラブの初タイトルをあなたが去ったその年に獲得したのもなんという皮肉なことでしょう。04年11月3日、ナビスコ杯決勝、0-0、両チーム無得点のまま突入したPK戦にて、加地選手の蹴ったボールがゴールネットを揺らした瞬間、きっと国立競技場のどこかでそっと目頭をおさえたのではないでしょうか。興奮醒めやらぬホーム側のゴール裏ではあなたの名前が何度も連呼されました。11月といえども17時ともなれば辺りは暗くなっていきます。スタジアム最上部の輪郭が微かに夕暮れの橙に染まり、いよいよ夜の帳が競技場に降りようとしていても、あなたの名前は暫くナショナルスタジアムに響き渡っていました。きっと多くのサポーターがこう思ったことでしょう。このピッチに立たせていたかった、と。
 JFLの群馬FCホリコシへ入団する報を聞いて驚きとともに不憫な気持ちすら感じています。確かに、湘南ベルマーレで過ごしたこの一年間は不本意なものであったことは胸が痛いほど理解できます。度重なる膝痛に悩まされ、挙げた得点は僅か2ゴールのみ。しかし、それにしても次に選んだ移籍先がまさかJFLのアマチュアクラブだったとは思いもしませんでした。なぜ、こうまでしてプレーを続けるのか。実のところ私には理解できないのです。あなたが決断したこの新しい旅立ちはいつか通ってきた道だったはずです。
 若い頃から苦労を重ねた末、25歳の時にブラジルの名門クラブ「パルメイラス」で念願のプロ契約を果たしましたね。しかし、その後、日本のアマチュアクラブの目に留まったあなたは、日本行きを打診されたのでした。悩んだ末、「家族の生活を楽にしたい」という理由から日本行きを決断したのでしたね。来日早々、シャワーがなく設備も整っていない、更には練習着もスパイクも支給されない単なる企業の福利厚生のサッカー部に「幻滅した」と述懐しています。そして1年間のプレー後、二度と日本には戻らないつもりでブラジルに帰国したのでした。けれど、あなたは日本に帰ってきました。それは「僕が日本で働くことによって弟や妹を養える」という理由からです。その後今日に至るまでの12年間、献身的なプレーと温かい人柄で「東京ガスサッカー部」にとって欠かすことのできない選手となりました。Jリーグ加盟を否定してきたクラブも首都初のプロサッカークラブを目指す路線に変わり、97年にJリーグの準会員に、そして99年にJ2に昇格、翌年には悲願のJリーグ・ディビジョン1にまで駆け上がったのです。FC東京とはまさにあなたそのものです。「キング オブ トーキョー」と呼ばれたプライドを全て捨て、敢えてまた荊(いばら)の道を歩むのか。
 あなたを駆り立てるものとはいったい何なのでしょうか。
 どうやらまだ旅は終わっていないのですね。今はただ行く末をただただ見守るだけのようです。
群馬に吹きつけるからっかぜはとても冷たいとききました。どうかお体にはお気をつけ下さい。あなたの元気な姿を観にできるだけ群馬にも足を運びます。それではまた。
                                              敬具

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