大学の図書館で本を返し、さて怪鳥との約束の場所に向かおうと駅へ向かうと、立ち飲み屋を見つけてしまった。時計を見ると、待ち合わせの時間にはまだ早い。どれ、ちょっと行ってみようか。
「磊磊」と書いて「らいらい」。
読めね~。
しかも、ピンクの看板に達筆な文字で書かれた店名の看板。この趣味の悪さは、恐らく日本人のセンスではないだろう。だが、立ち飲み屋にしては、けっこうな規模の店なのだ。通常立ち飲み屋は店舗の狭さというハンディを省スペースでリカバリーするコンセプトがあるが、この「磊磊」という店、恐らく座りの店舗を居抜きで利用したのだろう。30坪から40坪はありそうな店舗なのだ。この考え方も飲食経験者の思想とは相容れない。見るからに不思議な店だ。
店に入ると、嫌な予感がした。
店のおばちゃんが寄ってきて、「チケットを購入してください」という。どうやら強制らしい。
チケット制を導入する立ち飲み屋は少なくない。小岩の「くら」、新小岩と池袋、巣鴨で展開する「でかんしょ」、そして天串の「秀吉」などである。だが、これらの店では、必ずしもチケットの購入は強制ではない。1000円のチケットを購入すれば、1100円分の買い物ができ、「お得だから利用してね」というスタンスだ。
だが、この「磊磊」は違った。
強制されると、人は途端に反発したくなるのが世の常だ。君が代、日の丸、規則、校則。
「チケットを購入してください」の一言で、ボクは途端にやる気がなくなった。だが、店に入ってしまったのは仕方がない。ボクはしぶしぶ1,000円を払った。
さぁ、この1,000円を有効に使うしかない。
まずは、生ビール。300円。一番搾りか。うむうむ。まぁいいだろう。
残りあと800円。あてを2品にして、飲み物1杯でいくか。それともその逆か。店の壁にある黒板や品書きを見てプランを練る。
すると、価格設定の傾向に気づく。
飲み物は日本酒が豊富でラインナップは幅広い。価格300円はまぁ安価なほうだろう。問題はあてである。これも300円台が中心。そうすると、飲み物300円×2、あて×2で1,200円になる。
1,100円分のチケットだから、この場合100円の足が出るのだが、この100円を現金で支払ってもいいかとおばちゃんに尋ねると、「いえ、チケットを買っていただきます」と言う。
いやいや、これまた融通のきかない店だこと。
ボクはこの後、怪鳥と飲むから、この0次会でへべれけになっていられない。この1,100円分のチケットで納めたかった。そこで、調整のために200円の「メンマ」を頼んだが、これがひどかった。雀の涙ほどのボリュームしかないのである。これにはちょっと閉口した。
「いこい」や「たきおか」、「晩杯屋」に行ったら、500円も出せば、もっと満足な酒にありつける。
ボクはもう、完全にやる気をなくした。
日本酒を飲んだら、多分怪鳥に会う前にへべれけになるだろう。だから、ボクは「バカルディ・ソーダ」(300円)を頼んだ。あては「もつ煮」(300円)。
生ビール、バカルディ・ソーダ、メンマ、もつ煮。
この4品を1,100円で頼むことはできた。だが、何故か不完全燃焼なのである。
ボリュームも味も。そして店のシステムも。
結局、チケットの強制がなんとなく不協和音になっているのではないだろうか。
もうちょっと飲みたいお客は1,100円分のチケットでセーブをしてしまうだろう。特に0次回のお客などは。
その結果、客単価は伸び悩む。チケット制のキャッシュフローはいい面ももたらすが、逆に足かせになるケースもあるという好例だ。それはフレキシブルにいかないと。
と思っていたら、この店。すでに閉店しているとのこと。
やっぱりうまくいかなかったか。
俺だったら間違いなく、強制された時点で退店してるだろうなあ。
まあけど、既に潰れてることが全てを物語ってるよね。
でもね、あまりにも注文取りにくるのが遅い店は、退店するよ。そこは許せないかな。
最近でも2回くらいあった。