重厚な喧噪が脳の奥をつつくような頭痛とともに、まぶたの裏をじりじりと焦がす強烈な光が、ボクを浅い眠りから揺り起こそうとしている。
これは悪い夢なのか。わたしは思わず飛び起きた。
強烈な日射しが窓の外から降り注いでいるのを見て、今自分がインドにいることを悟った。窓の外からは、これまで聞いたこともない喧噪が聞こえてくる。
ベッドから降り、窓の外の様子をうかがってみて、わたしは驚いた。おびただしい人が通りをふさぎ、リクシャーが、そして時には白い巨大な牛が、その人波の中に見え隠れしながら、通りを埋め尽くしている。
人と光と、そして色彩の洪水。
そうだった。
わたしは、昨夜、いや厳密にいえば、日付をまたいだ真夜中に空港に降り立ち、バス停を探しているうちに背後から日本語で声をかけられたのだった。その日本人とともに、この宿へとやってきたのだった。
そういえば、その日本人の姿が見えない。もしや、有り金全てを取られたのではないかと思い、急いでベッドの横に立てかけたバックパックに飛びつき、中を確認したところ、パスポートもトラベラーズチェックも無事だった。
まぁ、いいさ。こんなことはよくある。部屋をシェアした奴がどこかに出かけることは珍しいことではない。
真夜中のインディラガンジー空港で、「ホテルをシェアしないか」と声をかけられたわたしは、その日本人がブッキングしているというホテルに来ないかと勧められた。
インドの時刻になおした時計は、すでに朝の3時を告げている。これから宿を探すのはとても面倒だった。そのおっさんの宿に泊めてもらうことにして、我々は空港の外に出た。
だが、そんな時間にも関わらず、乗合バスはまだ動いていた。我々はそのバスに飛び乗り、パハルガンジを目指した。
1時間ほどバスに揺られた後、運転手に放り出されるように降りたバス停から、延々と宿を捜し歩き、ようやくチェックインしたときは、すでに辺りは明るくなっていた。
我々はベッドに倒れ込むようにして、眠りについたのだった。
異様な喧騒に起こされたわたしは、ベッドから眼下を覗き、そこがニューデリーのメインバザールであることを悟った。
ホテルにたどり着いたときは、周囲には人影もなく、ここがニューデリーの中心であるとはゆめゆめ思いもしなかったが、そうか、ここが噂のパハルガンジってわけだ。
わたしは、すぐさま部屋を飛び出し、ホテルの外に出た。
何もかもを焼き尽くしてしまいそうな陽射しと地鳴りのような喧騒、そして、今まで嗅いだことのないような臭気がわたしを襲う。行き交う女性の色とりどりのサリーを見ているうちに、わたしは強烈な眩暈を覚えた。
わたしはただただ圧倒された。 それはバンコクの比ではなかった。
ミャンマーとバングラディシュをすっ飛ばすと、そこはもう未知なる異空間だった。
一体、この激しい土地で、果たしてわたしはどのように旅をしていけばいいのか。あらゆるものがぶつかり合う、パハルガンジの衝突の洪水にわたしは茫然と立ち尽くすだけだった。
※これまでの「オレ深」は、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴ってきました。インド編からは同時進行ではありませんが、これまでの経過とともに、鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
師がどんな旅をインドでするのか、楽しみにしてるよ。
本当は昨春にミャンマーに行って、続きを書きたかったけれど、今はもう仕方ない。
長丁場のインド編。
18年前のことだけれど、その記憶は今も色あせないよ。