久しぶりに飲んだアルコールのせいか、それともアジメールの夜が随分涼しかったせいか。わたしは久しぶりにぐっすり眠ることができた。インドの安宿にはエアコンなどといった気のきいたものなどない。窓を開けて眠りにつく。屋上に通じる一室を改造したわたしの部屋は、扉を開けると、気持ちのよい風が吹き抜けていく。だから、わたしは深い眠りに落ちていったのだ。
翌朝、わたしは鳥のさえずりで目が覚めた。これまで通ってきた町は、朝になると強烈な日射しが照りつけ、眠りを妨げたが、この町はどこまでも爽やかだった。わたしは、いつものように外出した。朝の散歩を兼ねて町角のチャイ屋に出かけたのだ。
宿を出てから、すぐにわたしは奇妙な錯覚に陥った。まるで遠い記憶を呼び覚ますような既視感にも似た感覚だった。
それは小学生の夏休み。朝早く起きて、ラジオ体操に出かける時の懐かしい記憶。真夏の朝は、日中の猛暑を前にして、爽やかな風が吹き抜け、家々からは朝げを用意する食器の音や、味噌汁の香りが漂ってくる。長い夏休みの解放感からか、そんな小さなことに幸せを感じたあの頃、何故かそれはもう遠い記憶になってしまい、いつしか心の片隅へと追いやっていたシーンが、ふつふつと断片的に甦ってくる。
このアジメールの朝も、優しい風が吹き付け、家並みからは朝げを準備する香りと音が聞こえてくる。もちろん、その香りは日本のそれとは全く違うが、お母さんが作る朝食の様子を思い浮かべると、幸せな気持ちになった。
路上で売るおじさんの店で熱いチャイをいただきながら、わたしは煙草を吸い、さて今日は何をしようかと考えるもののとりたてて予定もなく、特に行こうと思うところも思い浮かばなかった。そもそも、このアジメールにどんな名所があるのかも分からなかった。
煙草を吸い終え、宿に戻ってコンクリートの階段を登っていると、階下から、何かすばやいものが迫ってくる音が聞こえた。振り返ってみると、それは大きな犬だった。思わず、大きな声を出してのけぞった。すると犬は、わたしの体をすり抜け、階段を猛スピードで駆け上がって行くのだった。わたしが大きな声を出したせいか、宿の主人が来て「どうかしたか」と尋ねた。わたしは、「大きな犬が突進してきた」と説明すると、「あぁ」とだけ言った。そして、「あれはうちの犬だ」と付け加えた。わたしは、「危険じゃないのか」と念を押すように聞くと、彼は笑って「ノープロブレム」を連発した。
インドには野良犬が多い。その野良犬は狂犬病に罹患しているものが多いと聞く。嘘か本当かは分からない。けれどインドなら、何があっても驚きに値しない。
「犬はヒンドゥ語で『クッター』って言うんだ」。宿の主人が言った。それから、その犬をわたしは「クッター」と呼ぶことにした。
まあけど日本の場合は、実際に住んでみるとムラ社会バリバリで鬼のように面倒らしいけど・・・。
そう言うとインドでは、っていうかアジア旅行では、俺も狂犬病にビビって、犬好きだけどかなり警戒してたなあ。野良犬もいっぱいいたし。
中国でヨダレ垂らして目がイッてる犬がこっちを睨んでるのを見た時は「絶対ヤバイ!」ってめちゃびびった。幸いなんもなかったけど。
それに、俺が旅行してた当時は、犬飼ってる家とか宿とかとの接触は皆無だったからなあ・・・。だから必然的に犬に触った記憶はないなあ。
犬飼ってるインドの家庭って金持ちだよねえ。まあ、田舎で何階もあるビル持ってて、更に外国人相手に宿やってんだから、金持ちだよねえ・・・。
一昨年、インドに行ったら、野良犬見なかったな。日本が室内犬を多くの人が飼うようになったのと同じように、インドもそういう社会がくるかもね。
しかし、ノーフライングフリーマンて。
「No 高い」とかけてるのか、師よ。