ようやく、ようやく来ることができた。
いっぺいさんに教えてもらった「花生食堂」。
歴史を感じさせるたたずまいはものすごい存在感。それはもう異質なんてものではない。高齢のお母さんがきりもりしていて、早い時間に店じまいになるという。
あくまでも食堂。お酒も飲める。
いっぺいさんが言うお店だから間違いないはず。とにかく、すごい店だというのが伝わってくる。いつか必ずと思って頭の片隅に置いていたのだが、前述したように、早い時間に店じまいになるとのこと。会社を終えてからではもう間に合わない。そうやって、なかなか行けなかった。
そうした中、ようやく来訪する機会を得た。とある平日の正午。果たして店はやっているか。不安にかられながら店の前に着くと、果たして暖簾があがっていた。
けれど、店に入るのを躊躇した。もしかすると、常連さんでいっぱいとか。それも気難しい人ばっかりとか。お店のお母さんは怖い人なんじゃないかとか。余計な不安が頭をよぎる。
勇気を出して、戸を開けると店内は一人の女性客だけだった。
カウンターに、テーブル席が少し。店はそれほど広くもない。カウンターは少し斜めになっていて、変わった造りになっている。
カウンターに座ると、厨房の奥から、女性が顔を出した。女将というより、お母さんだ。思っていたよりも若い。柔和な顔が人柄を偲ばせる。
こんにちは、と会釈して、カウンターに座った。
時間が止まっているのではないか。つい、そんな錯覚に見舞われる。古い内装。けれど、極めて清潔である。瓶ビールをオーダーした。
小さなコップに注ぎ、くっとあける。うまい。
お通しには、ぬか漬け。
メニューは定食が中心だが、「冷奴」(200円)、「いか刺身」がある。いか刺は時価だ。
さて、何を頼もうかと思案していると、お母さんが、「ハムエッグ」でも作りましょうか、と言ってくれる。是非と、お言葉に甘えることにした。
先客の女性に話しかけた。
「よく来られるんですか」。
女性は、毎日この店の前を通って仕事場に行くからと答えた。たまに来るらしい。
ハムエッグが出てきた。
昭和のたたずまいのハムエッグだった。素朴なハムエッグ。調理を終えたお母さんが話しに入ってくる。
お店はもう創業から80年になるという。戦前からの営業である。旦那さんがきりもりしていたが、亡くなられたとのこと。それからは一人でお店を守っていると、お母さんは笑顔で話す。旦那さんのお墓参りは今も欠かしていない。お店を守るのも大変ではないだろうに。
お母さんが、嫁いできてから半世紀以上経ったという。当時は旦那さんと一緒に食堂を営んでいた。高度経済成長の只中。船橋も埋め立てをして、激変を迎えているときである。
お母さん、今何歳なんだ?70歳くらいにしか見えない。
瓶ビールを空けて、「酎ハイ」に。
「酎ハイ」には、レモンスライス。
これが、またおいしかった。
つまみに「まぐろブツ」。
これもおいしい。
なにせ、お母さんの愛情入り。
「戦災を免れたんですか」と、ボクが尋ねると、「空襲のときは、大変だったみたい」。どうやら、ぬか漬けの樽を持ち出して避難されたとか。「だから、ぬか床はもう百年ものよ」という。
すごい。さっき、お通しで出てきた、ぬか漬けは、1世紀のもの。しかも、ずっとそれを守り続けてきた。
「樽もだいぶへたってきたし」。え?今も百年前の樽で漬けている!おみそれしやした。
女性客もただただ驚いている。
いい時間である。
こんな贅沢な時間、他の店では味わえない。
お母さん、また会いにいきます。
いつまでもお元気でいてください。
できれば、もっと足しげく通いたいのですが、いかんせん船橋はなかなか行けません。
こういうお店は是非続いてほしいんだけど、鄙びた銭湯とかと一緒で、後継者がいなかったり、建物の修繕とかできなかったりで、難しいんだよねえ。
お母さんには是非、元気に永く頑張って欲しいもんだねえ。
とか書いてるけど、こういうお店に俺は中々入れないんだよなあ・・・。
立ち仕事だから、皆さん足腰を傷めて止む無く引退されるんですよね。
古い店もいつかは閉店の時を迎える時がくるだろうね。店にばかり注目してしまうけど、目を向けるべきは、お母さんのライフスタイルだね。今時、ぬか床のある家がどれだけあるか。それを毎日、守ってきたこと。そして、店の暖簾も守ってきたことに、敬意を表したいよ。
ひざげりさん。
高度経済成長を経て、激変する船橋にあって、この店の存在はまさに奇跡です。
お母さんとは、かつて京成船橋駅前にあった、おでん種屋さんの話しで盛り上がりました。
「花生食堂」は、変わり続けていく街に咲く一輪の花のようです。