ペナンでの日々は瞬く間に過ぎていった。
気が付けば5日が過ぎ、そして1週間が過ぎた。
当初の予定は、ペナンで3、4日程度を過ごし、タイに戻ってハジャイに立ち寄り、そしてバンコクに戻るプランを立てていたが、さすがに1週間もペナンで過ごすと南タイの巨大都市に行くのも億劫になる。
別段、急ぐ旅でもないが、マレー半島を縦断する国際列車で一気にバンコクに戻ろうと考えた。
アンゲストハウスをチェックアウトし、バスに乗ってジョージタウンへ。
そこでフェリーに乗ってバターワースへと渡った。早速、バターワースの駅に行き、翌日のバンコク行きの国際列車をブッキングしようとしたら、なんとバンコク行きは「明後日までない」と係員は言うではないか。いっそハジャイにでも行こうとも考えたが、せっかく静かな島で英気を養ったのだから、わざわざ喧噪の街に行くこともないと思い、その明後日の列車をブッキングした。
さて、それまでどこに泊まろうか。
ジョージタウンで1伯するつもりだったから、とりあえずジョージタウンにでも行ってみようか。
そう思い、再びフェリーでペナンに渡っていると、またもや清々しい青空と海の光景に心を動かされ、フェリーが波止場に着くと、すぐさまタクシーを捕まえて、アンゲストハウスに行くようにと運転手へと告げていた。
アンゲストハウスに着くと、旅社の庭では若いお手伝いが洗濯物を干しているところで、わたしがタクシーから降りてくるなり、彼女は大声で笑った。
その声を聞いて、わたしもつられて大笑いした。
あぁ、やっぱり帰ってきてよかったと思った。
2日間は、これまで以上にのんびりと過ごした。
海の音を聞きながら昼寝をしたり、アイスを食べながらビーチで遊ぶ子どもたちを眺めた。
まるで楽園のようだった。
日本を出て7か月、こんなにのんびりしたことはないくらい、ぐうたらに過ごした。
2日を過ごし、ふたたびバスとフェリーを使ってペナンを後にした。
そうして、バターワースで国際列車に乗り、バンコクへと向かった。
列車は混んではいなかった。
隣の席の男はわたしよりも10歳くらい年上といった感じのスリランカ人だった。眼光が鋭く、どんな仕事をしているのかは全く分からないが、「仕事できた」と彼は言った。
国境の町では、駅の中にイミグレーションがある。
これがなかなかおもしろかった。
出国と入国が同じ駅舎の中にあるのだ。
審査はごくごく簡単なものだった。
日本人の中にはタイから出国するエアチケットを持っていないと、入国することは出来ないと言う輩が少なくなかった。しかし、そんなことはない。陸路で出国する人もいるわけだから、必ずしもエアチケットを持っている必要などないのだ。
当然、そんな審査もなく、わたしは列車の席に戻った。
寝台は快適だった。
ぐっすりと眠り、朝陽で目覚めたわたしは、すぐさま車窓を眺めて、バンコクに近づいていることを自覚した。
一面の田園風景が広がる中、時折粗末な建物が現れては消える。
しばらく、車窓はその繰り返しだった。
バンコクは目まぐるしい大都会だが、その周囲は極めて貧しい田園地帯である。
その極端な変わりようにわたしの心は曇った。
それと同時に、またあの激しいぎらついた街に戻るのかと思って少しうんざりした。
バンコクか。
もう北にも南にも行った。
あとは西へ行くのみだ。
ミャンマーかバングラか。
それともいきなりインドか。
それは、バンコクでゆっくり考えよう。
今は、ペナンの英気の余韻を確かめながら、騒々しいバンコクでどうやって快適に暮らしていくかだけ考えていよう。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
気が付けば5日が過ぎ、そして1週間が過ぎた。
当初の予定は、ペナンで3、4日程度を過ごし、タイに戻ってハジャイに立ち寄り、そしてバンコクに戻るプランを立てていたが、さすがに1週間もペナンで過ごすと南タイの巨大都市に行くのも億劫になる。
別段、急ぐ旅でもないが、マレー半島を縦断する国際列車で一気にバンコクに戻ろうと考えた。
アンゲストハウスをチェックアウトし、バスに乗ってジョージタウンへ。
そこでフェリーに乗ってバターワースへと渡った。早速、バターワースの駅に行き、翌日のバンコク行きの国際列車をブッキングしようとしたら、なんとバンコク行きは「明後日までない」と係員は言うではないか。いっそハジャイにでも行こうとも考えたが、せっかく静かな島で英気を養ったのだから、わざわざ喧噪の街に行くこともないと思い、その明後日の列車をブッキングした。
さて、それまでどこに泊まろうか。
ジョージタウンで1伯するつもりだったから、とりあえずジョージタウンにでも行ってみようか。
そう思い、再びフェリーでペナンに渡っていると、またもや清々しい青空と海の光景に心を動かされ、フェリーが波止場に着くと、すぐさまタクシーを捕まえて、アンゲストハウスに行くようにと運転手へと告げていた。
アンゲストハウスに着くと、旅社の庭では若いお手伝いが洗濯物を干しているところで、わたしがタクシーから降りてくるなり、彼女は大声で笑った。
その声を聞いて、わたしもつられて大笑いした。
あぁ、やっぱり帰ってきてよかったと思った。
2日間は、これまで以上にのんびりと過ごした。
海の音を聞きながら昼寝をしたり、アイスを食べながらビーチで遊ぶ子どもたちを眺めた。
まるで楽園のようだった。
日本を出て7か月、こんなにのんびりしたことはないくらい、ぐうたらに過ごした。
2日を過ごし、ふたたびバスとフェリーを使ってペナンを後にした。
そうして、バターワースで国際列車に乗り、バンコクへと向かった。
列車は混んではいなかった。
隣の席の男はわたしよりも10歳くらい年上といった感じのスリランカ人だった。眼光が鋭く、どんな仕事をしているのかは全く分からないが、「仕事できた」と彼は言った。
国境の町では、駅の中にイミグレーションがある。
これがなかなかおもしろかった。
出国と入国が同じ駅舎の中にあるのだ。
審査はごくごく簡単なものだった。
日本人の中にはタイから出国するエアチケットを持っていないと、入国することは出来ないと言う輩が少なくなかった。しかし、そんなことはない。陸路で出国する人もいるわけだから、必ずしもエアチケットを持っている必要などないのだ。
当然、そんな審査もなく、わたしは列車の席に戻った。
寝台は快適だった。
ぐっすりと眠り、朝陽で目覚めたわたしは、すぐさま車窓を眺めて、バンコクに近づいていることを自覚した。
一面の田園風景が広がる中、時折粗末な建物が現れては消える。
しばらく、車窓はその繰り返しだった。
バンコクは目まぐるしい大都会だが、その周囲は極めて貧しい田園地帯である。
その極端な変わりようにわたしの心は曇った。
それと同時に、またあの激しいぎらついた街に戻るのかと思って少しうんざりした。
バンコクか。
もう北にも南にも行った。
あとは西へ行くのみだ。
ミャンマーかバングラか。
それともいきなりインドか。
それは、バンコクでゆっくり考えよう。
今は、ペナンの英気の余韻を確かめながら、騒々しいバンコクでどうやって快適に暮らしていくかだけ考えていよう。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
バタワースから結構遠いであろう元の宿に戻るなんて、余程その宿が良かったんだな。
俺も機会があれば泊まってみたい気がするよ。
そしてまたバンコクか・・・。カオサンにしか泊まらなかったからだと思うけど、どうも俺の中ではバンコクは良いイメージ無いんだよな。
ま、無駄に騒がしいカオサンと、大都会として騒がしいバンコクが、田舎好きには合わなかっただけなんだろうけど。
さて、師の第3便開始までには、まただいぶ時間があくのかな?
Anhゲストハウス、良かったなぁ。
また、行ってみたいよ。
バンコクは魔都だよ。
イメージが悪いのに、なんか行きたくなってしまう。
早く去ればいいのに、何故か居ついてしまう。
怖い街だよ。バンコクは。
第3便まで1年間のインターバルをあけるよ。
途中、番外編を1回挟むけれどね。