眼光の鋭い男に「シュリナガルに行かないか」と誘われたわたしははっとした。
シュリナガルに行こうと思いたったからではない。
わたしは、このインドをどのように歩いて行こうか、希望やプランを持っていないことに気づいたからである。
そういえば、わたしはインドの旅について、何も決めていなかったし、そもそも考えていなかったのだ。
「事務所に行かないか」と誘うその男を尻目に、わたしは「また今度な」と言い残し、宿への帰路についた。
インドはロンドンへ行くまでの旅において、ひとつのハイライトといえた。
それはいい意味でも悪い意味でも。
インドに行った人の話を聞くと、人によって、極端すぎるほどのインド観を聞くことができた。
曰く「インドは素晴らしい。オレはあの国にハマったよ」。
片や、インドの洗礼を浴び、1週間の旅程をほぼホテルの部屋に閉じこもって、指折り帰国の日を待った人の話も聞いた。
インドには「好き」か「嫌い」かしかないのである。
わたしはそのインドに一体何があるのだろうと考えていたし、それを確かめてみたいと思った。
そして、わたしは、インドにおけるその精神性において、恐らく修行や鍛錬に向かうような決意さえ抱いていたのは確かであった。
恐らくインドの地は苛烈であろう。それはまたカオスともいえるだろう。その環境下に身を委ね、心を研ぎ澄ませる中で、わたしは生きていくことについて、ひとつの答えを見つけたいと願い、仕事を辞め、旅に出てきたのだ。わたしに足りないものは何かと。
3ヶ月という膨大な時間の中、ひとりでそれに向き合うために。
ひとりになって考えることが必要だ。
これからのこと、そして自分のことについて。
ゲストハウスに歩いて帰る道のり、わたしはインドに来た目的を改めて反芻した。
ゲストハウスに戻り、わたしは部屋をシェアするF井さんに、「明日部屋を出て行く」と告げた。
F井さんは「このあと、どこへ行くのか」とわたしに尋ねたが、「ひとりになって決めたい」とだけ言った。
部屋を出て行く決意をしたが、次はどこへ泊まろうか、アイデアがない。
ただ、このコンノートプレイスからは出ていこうと思った。
どうしてもこの街はインドとしての魅力に欠けるのである。
その夜、わたしはゲストハウスのリビングで情報を集めた。
だが、複数の日本人から聞けた話は「パハルガンジのゲストハウスは安価で人気だから、大抵空いていない」というものだった。
その日本人たちは、これからバラナシへ向かうという。
そこはどういうところかとわたしが聞くと、そのうちのひとりは「バラナシも知らないのか」といった顔つきで、ひととおりの説明をしてくれた。
そういえばわたしはインドの地名すら知らなかったのである。
知っている地名といえば、このニューデリーとカルカッタ、そして、シュリナガルとゴアだけであった。
ニューデリーとカルカッタについては、恐らくインドに興味のない人でも知っているだろう。だが、ゴアを知る者は恐らく少数派であろう。わたしがゴアという地名を知ったのは、アルバイトで知り合った男がきっかけだった。
わたしは仕事を辞めた後、旅の資金を稼ぐため、人材派遣会社に登録して、アルバイトをした。その会社は週毎に給料がもらえる仕組みで、旅の出発前日に給料を取りに行くと、そこに知った顔の男がいた。引越しの仕事で一緒になった男だった。少し立ち話をした後、別れ際「またな」という彼に、わたしは「今日でここを辞めるんだ」と言った。理由を尋ねる彼に「インドを経由してロンドンに行く」と言うと、彼は夢みがちな顔をしてこう言った。「インドかぁ。ゴアは最高だよな」と。わたしはゴアというところを知らなかったが、その場で「うん」とうなづいた。そうして、わたしの記憶の中にゴアという地名が刷り込まれたのだった。
ともあれ、その聖地バラナシの話は興味深いものだった。
シュリナガルかゴアか、はたまたバラナシか。
シュリナガルならば、北上である。一方のゴアは南下しなければいけない。そしてバラナシならば、東行きである。
この目的地によって、わたしのインド旅はそれぞれ違ったものになるだろう。
リンゴゲストハウスでの最後の夜、わたしはベッドに横たわり、これからのインドを巡る旅について思案をした。
ようやく、わたしのインド旅が動き出したような気がした。
※これまでの「オレ深」は、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴ってきました。インド編からは同時進行ではありませんが、これまでの経過とともに、鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
師のインドの旅は、ノープラン・ノーガイドブックだったんだな。いやあ、かなりのやり手だね。
俺はインドにはビビりまくってて、確か「地球の歩き方」を持ってたんじゃないかと思う。そしてルートは、デリー・ジャイプール・アーグラー・カジュラホ・ヴァラナシ・ポカラ(ネパール)・ヴァラナシ・カルカッタ(現コルカタ)という、北インド観光ルートの王道だったよ。
今考えるとほんとビビりまくりだな・・・。(苦笑)
さて、師はこの後どこに行くのかな?いや、デリーからは動かず、オールドデリーにそこそこ滞在するのかな。
ところでシュリーナガルって、カシミール地方だよね。あの当時も治安に不安があったんじゃなかったっけ?現在も、外務省の渡航情報では「渡航の是非を検討して下さい。」ってなってるけど。
実は、この時点で「深夜特急」すら読んでいなかった。
旅に出る直前に、友人から勧められて、空港で文庫を買い、バックパックに忍ばせていた。
だから、旅の道中で読むことになるんだ。
師のゴールデンコースは王道であると同時に、インド人がカモのジャパニを手ぐすねひいて待ち受けている、ハードな場所ばかりだよ。したがって、いんど初心者にとっては厄介な場所だよね。
シュリナガルは今よりも当時の方が緊張していたと思う。けっこう、武力衝突もあったと聞いてるし。
でもね、湖上のゲストハウスで過ごす避暑地という喧伝される話しを聞くと、なんとなく心惹かれるじゃない?