三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

ブービーのチョップスティックス

2012-09-15 11:25:13 | 食雑記
〈8月19日の食事〉
朝:ヨーグルト
昼:海老の柚子胡椒カルボナーラ サラダ コーヒー @パスタの店SPIGA・飯田橋店
夜:カジキマグロとマッシュルームのアヒージョ サラダ バゲット ビール

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幼稚園児の頃を思い出していた。
通っていた幼稚園での昼食は、給食でも家庭で持たされる弁当でもなく、幼稚園が一括注文したお弁当。
自前で用意するのは、箸とコップくらいだったように思う。

ところで私は、偏食のひどい子どもだった。
また、自分の母や祖母ではない「よそのどなたか」が作るご飯にも抵抗があった。
また、冷たいおかずってのも苦手という高慢ちきぶりで。
そんな訳で、幼稚園で出るお弁当で平らげたのは白いご飯だけだったのである。

だからまあ、母のことも悩ませたと思うが、幼稚園の先生たちは手を焼くわけである。
あいつご飯しか食わねえよって。
彼女たちが目をつけたのは私の箸だった。
箸には『パーマン』に出てきたチンパンジーのキャラクター「ブービー」のイラストがついていた。
だからこう言ったのである。
「ちゃんとお弁当食べないと、ブービー泣いちゃうよ」と。

その時私の胸に去来したのは、「ブービーは私がおべんとう食べないからといって、泣かないと思う…」であった。
彼女たちの言うことを、はなから信用してなかったのである。
結果、白米だけを食べる性癖は治らなかった。

何が言いたいかって、子どもは子ども扱いされることを見抜くんである。
適当なことを言って従わせようとしているのに気づくんである。

悪いことをしたな、と今の私は思うけれど。
無邪気じゃなくて可愛くないと思うだろうか。
生意気だと思うだろうか。

けど、子どもってそういうものだと思うのだ。

ある日突然思慮深くなって、「子ども」という区分から「大人」になるわけではない。
徐々にあらゆるものを覚えて、飲み込んで、周りの言うことを鵜呑みにはしなくなってゆく。
そうなれば、ある部分では「子どもらしい」とは言いがたい考えを、とても幼いうちから携えてしまうことだってある。
子どもは子どもである以前に、「とても若い人間」だからだ。

33歳の現在で決して思慮深いとはいえない、底の浅い私ですら、6歳未満で「訳の分からないことを言って言うことを聞かせようとするなあ」と思うのである。
これが、聡明な12歳なら言わずもがなじゃないか。

子どもらしいってなんだろう。
元気で無邪気で人を疑わず、大人の言うことをすべて聞くのが子どもなのか。
自分の子ども時代を振り返って、考えることが大切だ。

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