この誘遊四国ツアーの最期の観光はしまなみ海道となっていて、その一番先となるのは吊橋などを三つ渡ったところにある大三島、ここまでが四国ということですね。今治のタオル美術館から少し走って、チョッピリかろうじて遠望できた今治城を過ぎれば暫くで、しまなみ海道の来島海峡に架かる大きな吊橋の橋脚が見えてくる。今治城は城普請の名人藤堂高虎によって築城されたそうだが、現在のものは昭和の再建である、バスガイドの愉快な口上につられて皆さん一所懸命に目を凝らして、かすかに見えるちっちゃな姿を見つけましたよ。
右手の高い鉄塔のさらに右側に微かに今治城が
しまなみ海道の橋の塔が見えてきた
しまなみ海道の橋は尾道側から大三島まではこれも団体ツアーで来たことがあって、今回の四国側からまた大三島にやってきたから、一応は全部の橋を制覇したことになる、ここはサイクリングのメッカとして有名らしいがもうロートルには縁も無さそうでこれで十分かと。冒頭写真は来島海峡SAからのしまなみ海道方面の雄大な風景パノラマ写真である。
来栖海峡大橋
伯方・大島大橋
大三島橋
この日はやや霞んでいて
島には人家も多い
大三島にある大山祇神社は日本総鎮守と言われ、ご祭神は天照大神の兄で女は瓊瓊杵尊の妃となった木花開耶姫という由緒正しき神様で伊予国一宮、古来より信仰を集め、神門手前の御神木の大楠は格別なパワースポットとバスガイドが紹介、そしてここで有名なのは宝物館にある武具の数々で重要文化財以上に指定された国内の8割が納められている、いずれも歴史上で有名な武将たちが必勝祈願で収めたものだ。この宝物館には以前に来た時は時間が無くて見物できなかったから今回は是非にと、有料でオプションとなっていて希望者はと言うことだったが何と希望したのは我々二人だけ、源頼朝や義経、木曽義仲、平重盛などなど、ビッグネームの鎧や太刀などがズラリと展示されている、これを見ない手はない思うのにねぇ。
参道へ
境内の説明看板
パンフレットにあった配置案内図
由緒
総門
鬱蒼とした樹木に囲まれて
正面に大楠
神門
拝殿
海事博物館
宝物館、館内は撮影禁止となっていた
パンフレットより
神事の御田植祭を行う斎田
ツアー参加者が多いのでここでも神社参拝と昼食は半分ずつの入れ代りとなって、我々のバスは参拝後の食事となって、参拝と宝物殿見物は忙しかった。食事はせとうち茶屋という店でのオプションとなっていて、朝がバイキングで食べ過ぎだからとここでは鯛めしセットなどは止めて麺類と、申し込みメニューの中から鯛ラーメンと鯛うどんを、マァ観光地の味ですね、店のメニューを見たらアサリラーメンなるものがあってそれの方が良かったのに、それとここの鯛めしは通常の炊込みとなっていましたよ。
せとうち茶屋
背後の山には岩がゴトゴツと、これも神社の一部だそうだ
またしまなみ海道を引き返して次の観光場所は大島にある村上水軍博物館、こちらはササッと一回りして展示を見てみましたというぐらいで見物終了、関東の人間には壇ノ浦の源平合戦の話しぐらいで、瀬戸内の水軍の歴史というのがピンとこないんですよ。
大島・伯方島大橋
博物館前には瀬戸内海と手前には能島水軍という店が、せとうち茶屋とどちらが?
村上水軍博物館
水軍が使った小早舟
大島の模型展示
帰りの飛行機は松山空港からとなっていて、そこまでの最期の休憩地は来島海峡SA、ここは景色を眺めるには絶好のロケーションになっていますねぇ、瀬戸内海側はしまなみ海道側を一望、そして陸側には山城も真正面にと、もっとカラリと澄んだ気候だったらもっと素晴らしかったでしょう。それにしても四国には城が多いですねぇ、現存だけでなく復元もかなりあるんですね。
来島海峡大橋を
SAから見えた遠見山城
この帰り道では四国第一の石鎚山が見えるはずなのだが、この日は低い山並みは見えるものの高い山は霞んでいてダメ、そのあとは瀬戸内側の海岸沿いの一般道を走って松山へと。
石鎚山方面と思われる方向を
瀬戸内の海岸線沿いを、大型船が島影手前に見える
松山城が再び
松山空港に
空港ロビーの大きな牛鬼が、やはりこれが伊予のシンボルですか
この飛行機で
松山空港からは予定通りの17:15発でまだ明るいうちの出発、羽田には暗くなった18:40着となって三泊四日の旅は終了、この時間帯の帰還となれば家でユックリと飲めましたな。
晴れと言うことだったが下には雲が多い空の旅であった