小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「司法」は、地に堕ちたのか。

2018年06月02日 | 社会・経済

 

予想したことが的中したら嬉しいはずなのだが、なんとも慙愧にたえない結果になった。悲憤慷慨してもはじまらない。

大阪地検特捜部はやはり、過去の実績にもとづき(?)立件できなかった。「義憤」はもはや死語。あの村木厚子さん事件のとき、特捜部長を筆頭に主任検事までが証拠を改ざんした。そして、関与者全員が逮捕されたという過去の歴史を、未来永劫にわたり刻印すべき事実を葬ったのか・・、大阪地検特捜部よ。

「汚辱をはらす」気概も失せ、そんなもの愚の骨頂としか思っていないのであろう。「司法」は地に堕ちたというしかない。

「由らしむべし知らしむべからず」という権力者の不遜な考え方がある。下々の私たちに、天下国家の重要なことがらを教えたところで何にもならない、と。

この国の優秀な方々は、口には出さないが、そのように考えている。なぜ立件できなかったのか、その説明がこれだ。

交渉全体のプロセス、契約方法など根幹部分には変更ない」から、「文書が改ざんされても、それが虚偽の内容になったかを立証するのは困難である」(一部改変)というものであった。

明らかに言い訳がましい、意味不明の不起訴理由だ。「権力」が「権力」を忖度している言表である。何をかいわんやである。


「司法」のこの動きを、いまかと財務省は待っていた。昨日、財務省は、佐川宣寿前国税庁長官と部下が改ざんに関与したことを最終的に認め、処分すると発表した。(自浄致しました、というシグナルでしょうか?)

大阪地検はこれをどう受けとめるのか。(やはり俺たちは力を示したと、財務省に暗黙の是正をくわえたと。国全体を見わたす聡明さがあると、思っているんでしょうか?)


公文書は、虚偽の作成はもちろん、改ざんすることは赦されない。「公文書管理法」は立法されていて(7年前か)、確か刑法にも関連法があったはずである。

なにか恣意的な目的があって、行政の人間が公文書を作成したとしよう。それが虚偽・不正により書かれたものであっても、それは公務に使われた後、そのまま保存管理される。公的な書類のただしい在り方である。未来の人たちに託されるデータであり、過去を検証し参照できる貴重な記録となる。

だから、公文書は書かれたその時点から、一切の改ざん・隠ぺい・破棄は赦されないのだ。(厳密には、一定期間が経てば処分される書類もあるだろう)


公的記録の保存と管理、および情報公開。特定の秘密保護をする必要があれば、その説明責任を果たさなければならない。

これらは国際的な基準であろうし、国と国民にも資することになる。公務員が職務遂行のための文書から政策決定に重要なプロセスを示すようなメモにいたるまで、情報公開請求の対象となるものは「公文書」の扱いとなる。

 

しかし今回、「司法」は、公文書を改ざんしたものを裁かない。立件すらしなかった。改ざんすることにお墨付きを与えたことになる。

「ダメなものダメ」という自明のことがらでさえ、この国では崩れてしまった。嘘をついても己の身を利することになれば良しとする。未来にあって、参照すべき公文書は信用ならない、という定説がうまれた。

「公文書管理法」は形骸化し、文書の改ざん・隠ぺいは常態化する。情報の公開・開示、必須の説明責任も停滞し、放置されたままになるだろう。


コラムニストの小田嶋隆が「もうしわけない、ボブ・ディラン」という記事を、昨日、ネットの『日経ビジネス』に書いていた。

「実際、私は、ボブ・ディランの作品を聴くと、ネガティブな気分を増幅されることが多かった。というのも、私は、もっぱらディラン氏の歌いっぷりの中にある底意地の悪さや辛辣さに大いに共感している聴き手だったからだ」。

音楽に詳しい彼の友人が反論した。「それは違うよ。ディランは彼自身が直面している否定的な状況について歌っているだけで、メッセージそのものが否定的なわけじゃない」と。

「ボブ・ディランの作品や発言から否定的なメッセージを受け取っていたのは、私の中にあるネガティブな何かが、作品の中に結晶している特定の要素に反応していた」と、小田島は自己分析した。

しかし、小田島は色々考えた末に以下の結論に至る。

誰もが前向きで心あたたまる発言だけをしていれば、世界は良い方向に変わっていくのだろうか。そんなことはあり得ない。誰も不満を述べない世の中では、誰の掣肘も受けない万能の権力者が、あらゆる抑圧をほしいままに展開するはずだ。

 小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」⇒http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20130401/245941/

私にしても、小田嶋隆のように、前向きで人の気持ちをほくほくさせるブログを書きたい。でも、次から次へと、否定的感情、不満をともなう事象がどうして出てくるような世の中になったのか。それも権力の中枢から、指導者層から・・。

この国の根幹から、本来なら尊敬の念をもって仰ぎ見る、高みの方から腐った空気が漂ってくる。 

 



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