小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

カズオ・イシグロの受賞を悦びたい

2017年10月07日 | 本と雑誌

 

カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞を率直に悦びたい。去年のボブ・ディランもそうだったが、スウェーデンの選考委員の選好は粋で、かつ洗練度が深いとおもう。メディアやブックメーカーの人たちの言いなりにならないというか、決定的に異なる地点から作家たちの作品を読み、鑑賞し、世界的な共感度を評価した。作家だけでなく、作品の将来性をも見通したうえで選考している気がする。

同時にそのスタンスで世界中の作家たちに目を向けているのだから、やはりノーベル文学賞の選考委員は大した人たちだ。賞の価値はさらに高まったといえよう。

やはり2015年の『忘れられた巨人』が決定的だったのだろうか。
と、書いたが実は読んでいない。買ってもいない。ちょっと怖くて手がだせず、もったいなくもあり、心の余裕ができたら読もうと思っていた本だ。

カズオ・イシグロの『私を離さないで』、『日の名残り』は読み映画も観た。後者は3回ほど観た。

(『浮世の画家』は、戦後日本を舞台にした小説で、軍国主義の時局に便乗して戦争画を描いた画家が主人公。残念ながら、途中で挫折した。弟子をもつ熟達した画家だが、その内面描写が書ききれていないと感じ、不満を抱えながら読み通すことはできなかった。後年、イギリスに住んでいた方とお会いし、カズオ・イシグロを愛読しているというので、その話をした。不満の理由も分ってくれたが、彼曰く、原文はとても格調高く、読んでいて気持ちよい英文らしい。戦後日本の人々の懊悩、混迷を掘り下げるにしては作者は若く、確かに技量不足は否めない。が、原文を読むと、その不足を補う以上の優れた英語であるとのこと。ということで、新たな翻訳がでたら再チャレンジしよう。)

ともあれ、カズオ・イシグロは好きな作家のひとりである。

 ▲単行本の表紙イメージは意味深だ。

『忘れられた巨人』を出版後、キャンペーンのために来日したとき、彼の様々なインタビュー記事を読み漁り、ドキュメント番組なども繰り返し観た。
『忘れられた巨人』についてイシグロが語った言葉の断片は、私の記憶やPCのファイルにも残っている。
文庫化したら読む時期かなと思っていたら今回の受賞ニュース。なんとタイムリー、いやアンタイムリー、今月の、私の誕生日に早川書房から出版されるはずだった(現時点でさらに5日繰り上がった)。{受賞が来年だったら、最高だったんだが・・}


カズオ・イシグロが非凡な作家であることは間違いないが、彼がホームレスのためにボランティアとして働いていたときの経験こそ、作家としての原点だといわれる。

それ以前に彼は、高校生時代、おもちゃ工場でアルバイトをしながら貯金し、3カ月ほど米国西海岸を放浪する旅にでた。そのときにアメリカの多くの人間に会い、多様な価値観、社会と個人の相克で悩む人たちの話を聞き、そして考えたという。

それから1年間の猶予を経てケント大学に進む。1年生を終えた時点で1年休学。シンガーソングライターへの途をめざす修業時代もあった(5日の夕刊でイシグロは、かつての自分をミュージシャンだったと語っている)。

そして、スコットランドのグラスゴーでホームレスのためにボランティアとして働く。

グラスゴーでの経験は強烈でした。人々の生活は非常に厳しく、労働組合を巡る政治は本当の政治闘争でした。
しかも、こんな地域でどうしたら生活水準を維持などできるのかというほど社会問題が山積していました。
多くの地元の人と実際に知り合いになって、こうした問題について直接、聞き学んだおかげで、翌年、大学に戻ったときは、大学でやっている軍縮運動などおままごとに過ぎないと感じました。

グラスゴーでの経験はショックを受けたというより、社会に押しつぶされようとしている人間たちから、大きな「学び」を得たと言っている。
「私は人間がいかに様々な理由でつまずくのか、そしてそれによって人生が崩壊してしまうのかを知りました」と・・。
ホームレスになる人は皆、それぞれに理由が異なるだろうが、やはりスコットランドだけにとどまるはずがない。

やはり、第2次世界大戦後の大英帝国の凋落は、イギリス人全体に大きな影響を残した。人々の意識変化もそうだが、社会的価値観も変わった。そのことをイシグロ自身も確かに実感したのだ。

英国は戦勝国だ。しかし戦争で大英帝国の多くを失い、戦後はさらに大国としての地位、国力を失っていく。欧州の端っこにある小さな島国になってしまった。

人々はそれでも戦争について語り続けたんです。第2次大戦の話はタブーではなく、『自分たちの国はすごい』」と自分たちに言い聞かせ、欧州の大部分がヒトラーに占領される中で英国だけがナチスに抵抗した、ということが彼らにとっては大きなプライド」だったのだろう。イギリスの人々は、戦争を語り、戦争を忘れることがなかった・・。


カズオ・イシグロが『忘れられた巨人』のキャンペーンで来日したとき、こんなことをインタビューで応えていた。

戦後、日本は恐らく、「(第2次大戦については)忘れることをエンカレッジ(encourage) された」のだと思います。
米国が日本を占領しはじめた頃には、第2次大戦はもう「過去」で、既に冷戦という差し迫った問題が浮上していたからです。
つまり、日本が第2次大戦中に起きたことについて「忘れよう」としなかったら、今の日本はなかったと思いますが、ここまで「ショックに耐えうる国」とみなされるに至った今、日本は過去を振り返るだけの力を備えた国になったのではないですか、ということです。
日本の「忘れられた巨人」は日本人や日本の人たちの人間関係にはそれほど影響を与えないのかもしれません。むしろ、その影響は外交に及んだ。しかし、例えば米国を見て下さい。米国は、「忘れられた巨人」を埋めてしまった。そして長く存在しないかのように扱ってきたために、今や国として崩壊の危機とも言える深刻な状況に直面しています(※1)。


 2015年に出版された『忘れられた巨人』、この小説に内包された世界は、地球規模のメッセージ性を放っているに違いない。そのことをスウェーデンの選考委員たちは見逃しはしなかったのだ。

 

▲文庫版。10月6日、発表。発売10月14~16日。大忙し、早川書房。


(※1)2015年だから、中級白人層の大きな分断は、それほど可視化されていない。また、トランプはこの頃、一部のメディアの中で跳ねあがっている「やんちゃ」な金持ちにしか過ぎなかった。しかし、白人層による黒人差別問題、動機のわからない銃乱射事件が多くなっていた。2017年現在、アメリカの崩壊は確実に進んでいるし、どのような筋道を辿るのか・・。「埋められた巨人」を掘り起して、人々はその存在を、事実を検証することができるのか? カズオ・イシグロの次なるテーマはどんなものか、目が離せなくなった。


 


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4 コメント

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オリジナルに興味シンシン (原 文子)
2017-10-13 18:45:15
" Never Let Me Go is a 2005 dystopian science fiction novel by Novel Prize - winning British
author Kazuo Ishiguro. " という記事を読んでから、その本の日本語のタイトルは、『 私を離さないで 』と知り、「 この本を必ずオリジナルで読みたい!! 」と思い、近日中に注文する予定でいます。
どの本もそうですが、翻訳されたモノは、オリジナルとニュアンスが違っていて、ガッカリすることがよくあります…>_<…
なので、オリジナルを読んでから日本語翻訳を読み、くらべてみたいと思います。
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原さま (小寄道)
2017-10-14 01:32:45
コメントありがとうございます。
是非とも、読みくらべた後のご感想をお寄せください。
30年ほど前だったら、私も挑戦したいのですが・・。 Kazuo Ishiguroの英文はとにかく良いらしいです。では。
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ポシブル、possible (原 文子)
2018-02-03 16:54:35
知り合いのマドモアゼル K子の老母に突然、「 ポシブルって意味は、何なの? 」と聞かれました。以前から彼女の母が聞き取った英単語を しょっちゅう訳して教えていたので、その時、「 as soon as possible って聞いた事があるでしょう⁉︎ その possible の意味、わかる〜? 」と、ヒントを与えました。すると、「 わかる!」と思い出した様子だった K 子の母!! ところが、
K 子の母は、カズオ イシグロ 著の『 私を離さないで 』の中の possible の意味を聞いてきたのでした❗️❗️(苦笑)なので、「 その possible ではないよ!」と切り出して、イシグロの本の意味を説明しました。そうしたら、「 な〜んて、変わったコトを書くんだろう !(◎_◎;) 」と、ノーベル賞受賞作家に対しての感想を言いました。Σ(゚д゚lll) 実は、出産経験のない私にとって、この本を解読するのに原文でも訳文でも、まさしく『 難産 』でした (涙)
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impossible? (小寄道)
2018-02-03 20:20:04
親子間で高尚な話が交わされているんですね。
カズオ イシグロ の『 私を離さないで 』の中の possible の意味について、もし私の母親が生きていて、そんな質問をされたら卒倒して、私がさきにあの世に行ってしまいますね。
原書でイシグロを読んだことがないので、なんとも言えませんが、このpossible は、小説の文脈からいえば代替可能とか生殖可能ぐらいの使われ方なんでしょうか? どんな場面だったときのことか教えていただきたいです。
それとも、possibleには、もっと別の特定的な意味があるんでしょうか?

まさか、あの「ED」を連想させるimpossibleの意味ではありませんよね! 
わが日本では独語のimpotenzの略語が主流ですから・・。
あっ! 私はとんでもないことを書いてしまったかな。上品なご婦人たちになんと失礼なことを・・、だったらごめんなさい。
あのー、レスポンスは今回は無理なさらないで下さいね。
もちろん、ご意見・苦情、間違いのご指摘は大歓迎です!
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