小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

その自信過剰は、何から来るのか

2021年07月20日 | エッセイ・コラム

この国を動かす為政者たち、政治家や官僚たちだが、彼らはいつの間にかとんでもない自信過剰の輩になってしまった。身の程にもない自信をもてば、傲慢・不遜の人になることは必定。とはいえ、あからさまに人民を嘗め切った振舞いをするよりも、国家存亡を差配する権力をもつならば、尊大で威圧的なコントロールを中央でやれば万事はうまくいく、と彼らは高を括っているかどうか。

そのことは前安倍政権のときに内閣府が完全掌握され、それを取り巻く若手官僚はもちろん、司法を担う方々が訳もなくすり寄り、政権への従順さをしめしたことに歴然といえる。権力の中枢、特にリーダーが自信をもって事にあたれば、批判や中傷など赤子の手をひねるように撥ね退けられる。

現にいま留意すべきは、国民の6,70%ほどの国民が危ぶむ五輪開催が、確たる説明もなく強行されることになった。

強い感染力をもつ変異株ウィルスのパンデミックが予測されるなか、「無観客ならば絶対に大丈夫だろう」という、超楽観的な決断をしてみせた菅首相。なんの科学的根拠も示さず、必然的な流れのごとく「粛々と」開催の運びと相成った。まさに自信過剰の極みだ。

尊大さも、強引さも表にでることがない見事な自己演出を成し遂げたのか・・。何事もなく無事に終えれば、これまでの批判‣反撥は泡沫となって消えてしまう。選手たちの活躍、勝利の喜びだけがメディアを騒がせる・・嗚呼。

 

彼らの根拠のない自信過剰は、どこから来たのか・・。

その前に、開催をごり押ししていた噂の人物IOCのバッハ会長が来日した。日本側も、彼の威光と自信を助長させるべく、希望する広島訪問をサポート。そして一昨日、なんと外国の首長ならび同等の国賓をもてなす迎賓館を使って、こじんまりといえ、最待遇の歓迎会を催したという。

IOCはもちろん国(政体)ではなく、その知名度は高いがNGO団体(非政府組織)と同じ位置づけほどの国際機関であると思う。そのトップのバッハ会長とともに、この国の為政者たちは、五輪を実施することによる放映権料など莫大な利益を確実なものにした。中止という最悪の予測を覆し、上出来の結果を内輪だけで悦び合ったという次第なのか。

これら一連のパフォーマンスは、彼らの途方もない自信過剰がもたらしたもので、それは「組織的バイアス」だと筆者は定義したい。そうなのだ、自信過剰というのも、自分自身に対して作りだすある種のバイアス(偏見or思い込みと勘違いの相乗)であるが、同じバイアスの連中が集まるとさらに強力な「組織的バイアス」を組成させる。

▲自信に満ちた男たちは「カッコいい」と、自分たちでもそう思っている。そして、将来を超楽観的にみるようになる。

バイアスはふつう偏見といわれ個人的、精神的な領域に属するものだ。いわゆる物事とか現象に対する認知、認識に偏向や歪みが生じること。そのバイアスが、何かを推論・予測し、判断や決定するときに間違いが生じることだとされる。

このバイアスはものの本によると100以上あるらしく、最近ではSNSの普及によって、自分に都合のいい情報だけを集め、持論を補強する「確証バイアス」が注目された。これがソーシャルメディアでは、「エコーチェンバー」「フィルター・バブル」などと呼ばれ、アメリカ大統領選挙戦での様々な負の現象を引き起こした。詳しいことは別の機会に譲る。

さて、安部元首相のころから、現政権および取り巻きの官僚たちは、直截にいえば司直を手なずけ法の網をもやすやすとすり抜けてきた。何をやっても自分たちの思いのままになるという確信を抱くようになった。個人の慢心が自信過剰となり、それが仲間内で共有されるまでに肥大化したのだ。

彼らのバイアスがこんなにも強く、大きくなったのは、自分たちにとって都合のいいことや有利に働くことしか考えないからだ。失敗する予測、強固な反撥などのネガティブな要素は、もう完全に後回しにする。普通の感覚からすればありえないような状況判断をする癖がついたとしか思えない。でなければ、彼らのような自信過剰に満ちた決定はできるはずもない。彼らがそれに気づくのは、そのポジションを降りてからのことだ。

小泉元首相はいま反原発の活動を盛んに行っている。かつての自己の自信過剰によって生じた過誤を、埋め合わせしたいがための行動であろうか。森元首相は同じように失地回復の途を歩みはじめた。しかし、それがオリンピックの是が非でもの開催に向けられたのは辛い。日本を支える多くの利害関係者に対し、なんとしても五輪の開催こそが、彼らの期待に応えることだと思い込んだからだ。彼もまた強烈な「組織的バイアス」の保有者だ。

安部元首相はいましばらく音無しく潜行しているだろう。なんとなれば、いま表面にでることの不利を自覚しているからだ。自身が撒いた種は、過去の失敗による傷口を広げるからだ。「私と妻はいっさい関与していません。していたならば議員を辞職いたします」との弁も、やはり彼の自信過剰さから生まれた大口だった。その反省の最中なのか、それとも再浮上の機会を虎視眈々とねらっているのか、どちらなのか?

まあしょうがない。無事に終わり、コロナの感染が大きくならないように祈りたい。(だからお前は日和見で駄目なんだというお叱りの声がきこえる)

 

追記:あえて書くこともないと思ったが、五輪開催における楽曲を担った小山田某は辞任した。過去の虐待・いじめは話題にもなったことがある。今回の騒ぎでは公的に謝罪したが、実質的には居座った格好だった。海外からの批判も多く、遂に非を認め、自ら辞めた。小山田をふくめ、女性蔑視の森元首相はじめ物議を醸した関係者は多く、彼らもまた自信過剰のバイアスをたっぷり身にまとった連中である。同質のバイアス傾向をもつと、同じような言語道断の発言、倫理上やってはならぬ失敗を重ねる。類は友を呼ぶとはこのことだ。組織委員会は、同質の人間を集めたわけだから、今後同じような悪さ、自信過剰がもたらす失敗をしでかすかもしれない。特に、パラリンピックは要注意だろう。(同日に記す)

 

 


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