小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

人間は幻想のなかで生きる

2021年02月11日 | 日記

幻想の背景には、家族の物語すなわち愛、信仰、他人との関係性、場所やイデオロギーなどの思想、等々さまざまな様式(慣習とかエートス)をもつが、結局のところその個人(あなた)の情報(intelligence)と思考の強度によって、幻想として境界、汎用性が決められている。残念・無念、差別・排除、あるいは不当、理不尽などはまったくない。

もちろん、「あなた」の「幻想」は生まれた出自の環境や遺伝物質の作用に拘束される。それはもちろん、個人として責任性があるはずもないし、社会的な制約が課せられることはない。(現実は誰にもわからない)

反論される向きもあろうが、個人史そのものを客観的な事実として検証されるならば(そういうAIアプリがあると仮定)、どうあっても「人間は幻想のなかで」生きていると断定したほうが賢明であろう。(科学的に反駁できる例証があるならご教示されたし)

つまり、「あなた」の「幻想」は限界に満ちたものであり、個人の「あなた」の想像力の範囲をほとんど逸脱しないのである。それを第1のフレームとしてまず受け入れること。

それには自己のもつ本来的な「謙虚さ」が前提になるのだが、たとえばこの概念を、いざ英語にすると難しい。decency、humility、modesty、chastity、meekness、propriety、reticenceなどの語彙が検出されたが、これらの言葉の意味のなかに「幻想」の概念が見出されるとすれば、小説とか、感情の表出としてSNSに行き着くはずで、巡りまわって「幻想」に帰着するしかない。

なにが言いたいかというと、「生まれた出自の環境や遺伝作用に拘束される」という前提はやはり影響大であり、あなたの「幻想」を拘束しているということだ。

まあ、これが今回のわたしの「メッセージ」ということにして筆をおこう。(第2フレームの予感?)

 


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