小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

TPP雑感

2011年11月10日 | エッセイ・コラム

 貿易あるいは関税に関する二国間乃至多国間の協定や条約は、国際法のうえでは互恵性あるいは対称性のようなものが保障されている、と私は考える。つまりギブアンドテイクはもちろん、相互に近未来においても発展していくような経済状況が維持されていくものと想定するわけである。これは合理的願望である。かなりお気楽だなと自分でも思う。
 実際には、歴史的に見てもそのほとんどの条約は弱肉強食の論理が支配している。

 貿易とは関係ないが、治外法権って誰が発明したのだろうか。
 明治維新のとき、日本はアメリカをはじめ西欧の列強諸国と不利な通商条約を不本意に交わし(交わされ)、その後の明治から大正期にかけての日本の外交は、それらの不当な条約をいかに破棄して日本にとって有利に改定するか、或いは平等の条件を盛り込んだ新条約を締結するか、それだけのためにエネルギーが注がれたといっていいだろう。
 こうした国際貿易の条約締結にかんする情勢は現代にいたってもそれほど変わりばえしていない。強者がイニシャチブをとって協定づくりを推進し、弱者をくいものにする基本的な構造は変わっていない。

 戦後は世界貿易機関としてGATTがあった。これは工業製品のみの関税・貿易協定で、限界がありすぎた。その後1995年、冷戦以降の国際間の貿易機関としてWTOが誕生した。ご存知のように農業、サービス、そして知的所有権についても包摂する一般協定であり、アメリカ主導の新自由主義的な方向性が如実であった。
誕生して15年、その成果は如何なるものか。発展途上国の農産物は不安定になり、環境保護、食糧保障、医療問題などWTOがもたらしたものは「悲惨」そのものだ。
市場優先主義によるグローバリゼーションが、「本来の貿易」を破壊したのだ。見かけは民主的なWTOに対して、途上国や貧困国は恨みを抱くのも当然であろう。
金融危機以降、アメリカ主導のWTOが形骸化したいま、TPPはオバマ政権続投の大きな柱として注目されている。  さて、日本での受け止め方はマスコミ報道では賛否両論に二分されているとのことだが、巷間の論者の多くが指摘するように「鬱屈した反米感情」を日本人一人ひとりがどのように意識化しているかで方向が定まっていくものと思われる。持てるものの多くは対米従属であり、今後のロシア、中国、朝鮮半島のパワーバランスを考慮するまでもなく米軍に依存することの費用対効果は無視できないとする。
私も含めて反対論者は、とりあえず目の前の危機、食糧とか医療・保険の自由化が相当の混乱と不安をもたらす蓋然性をいうしかない。
簡単なはなし、外国に胃袋をつかまえられていたら手も足も出まい。

 食べ物を40%しか自給できないのに、どうやって五分の交渉ができるのだろうか。

 3.11以降の日本は政策そのものの根幹を建て直すべきだと迫られている。なのに民主党政権は本末転倒のようなことばかりする。  消費税を上げる前に、手を付けるべき大切なことがあるだろう。

 TPPに参加するより、経済を支えるエネルギー政策の見直しというグランドデザインをなぜ構築しない。これがあって経済や貿易の指針が定まるのではないか。
  TPPというバスに乗り遅れたってなんら動じることはない。FTAに持ち込んでじっくり腰をすえて交渉すればいいのだ。
オバマが再選されるかどうか見極めて、日本が独自の交渉力を発揮できたら・・。無理だろうな。
 グローバリゼーションはある種の「飽和」をむかえているし、エネルギー状況もそれに連関している。
 高齢化と少子化がタッグを組んで来る次代に、生半可な考えでは日本はギリシャ以下の国家になること必定だ。

 太陽風のプラズマエネルギーを地球磁場で増幅して無尽蔵に使えるような技術を開発する、そんな科学者が日本から生まれないだろうか。

 追記 今晩ニュースをみた。TPP参加決定を延期したという。一呼吸をおくことはいいことだ。紛糾を恐れただけかもしれない。野田総理の萎縮した表情が痛々しい。


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