小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

N氏を偲ぶ会、そしてレクイエム

2016年02月07日 | 日記

 

 ↑ ロン毛と喫煙。在りし日の西野氏を知る人でも、この姿を思い浮かべる人は稀少といえるだろう。純粋、清廉さは、外見からは決してうかがえないものだ。

 

西野さんを偲ぶ会にお邪魔した。亡くなって早や四か月、月並みだが光陰矢のごとしである。このブログにも紹介したが「故西野洋の回顧展」の正式版が、彼のご親族および極めて深い関わりのある美登英利氏と西野氏のアシスタントであった安田真奈己さんのご尽力により新高円寺で開催された。

簡潔に記せば、静謐な雰囲気でありながら和やかに話し合え、作品や遺品、写真などつぶさに拝見できる素晴らしいスペースを作っていただいた。あらためてここに、皆さま方へ感謝の言葉を残しておきたい。有難うございました。西野洋氏も彼の世で喜んでいることだろう。「お気遣いなく」という、彼の声がきこえてくるようだ。

私たちが伺ったのは三日間の中日、土曜日だった。さいしょ西野さんの御兄様から亡くなる前後の仔細を丁寧に説明していただいた。また私の書いたブログがほぼ間違いのない事実関係を述べていて、多少なりとも西野さんに所縁のある方々への充分な説明として役立った、とお礼の言葉をいただいた。
余計なことを書きすぎたのではないかと心配していたので、私としても胸を撫で下ろした。西野氏をサポートしていた安田さんからも同様の言葉をいただき、胸のつかえがすっと消えていった。

 

 

↑ 室内の一部しか撮影していませんので、全容を伝えるものではありません。

入室したときは7,8人ほどの人がいて、作品等を拝見するのは無理かなと思われたが、見事にカテゴリー別に整理されていた。西野さんならではの洗練された上質な仕事の数々を見、この目に焼きつけようとしたが無理なことは分っている。形見として何点かお譲りいただいたが、これから時間をかけて西野洋を偲びたいとおもう。

↑国立音大での講義のレジュメだと思われる。学生達が自主制作したCDのジャケットデザインの指導など西野さんならでは適確な進め方が窺われる。


西野氏のお兄様からはさらに意外な話しを聞かせていただいた。

ここには一つだけ書くことにする。私はデザインに関する考え方や知見の深さから、西野さんは美大を卒業したものと勝手に思い込んでいた。ところが仲間うちのお別れ会において、ある方から「西野さんは学習院の政治学科を出ている」という驚愕の事実を知らされた。これにはさすがに私も「ぶっとんだ」。

政治、宗教のディープな論点にはふれないことは大人としての嗜み。でも我々は時にそうした分野にまで入り込んで議論したこともある。過激な自己主張とかつまらない原理主義には、お互い忌避するのがモットー。だから激しく衝突することはなかった。

 ▲ホルン、フルートなどの管楽器から、ギター・ベースへ。ハードロックのバンドではサックスも吹いた。その後、誰もが知るようにクラシックの世界へと・・。そのころの写真か。

当日御兄様からの話でわかった仰天の事実。「洋は、清水幾太郎がいたので学習院にいったも同然でした」とのこと。これにも私にとっては、さらなる「ぶっとぶ」愕きだ。
ある学者の本を読み感銘を受け、その人の教えを乞うために、本人がいる大学に行くのは優れた選択といえる。但し実際には、高校生からそんな明確な志を抱くのは珍しいし、その学者が清水幾太郎とは西野さんのイメージとはまったくかけ離れている。

ただ、西野さんは実際には直接、清水幾太郎から薫陶をうけたのだろうか。経歴を調べると1949~1969まで教授として在籍していて、西野さんが入学したときはいなかったことになる。もしかしたら名誉教授として非常勤で一コマぐらい社会学の講座をもっていたかもしれない。


ああ、西野さんから大学時代の話を聞いておくべきだった。清水幾太郎については転向・変節の激しい知識人であったが、戦前から戦後にかけての思想を考えるとき外せない知の怪物である。小熊英二も「民主と愛国」を執筆するとき、膨大になりすぎるという理由から別枠でブックレットを出版したくらいだ。(最近出版された「アウトテイクス」に所収された)
話が長くなりそうだ。私も一応の関心を持っているので、清水幾太郎ついては改めて書くことになるだろう。

 

 

↑来訪者に実家の茨城名産のお菓子を持たせていただいた。何から何まで心を尽くしていただき、西野さんの魂を感じたのは私と妻だけではないはずだ。

 

 

西野洋へのレクイエム


私は言葉の降るふかい森にいて なにものも信ぜずただ彷徨い

いつか澄みわたるだろう 地平の向こう側をめざしていた

君は確かなデザインを信じていて 物のかたちや匂いをしめした

美しい二次元は 平凡な三次元を軽やかに 爽やかに後退させると

やがて来る不穏な世界さえ笑いとばし 君は未来の輪郭をあざやかに示した

時は過ぎゆき老いたる意味をかみしめ、新たなフェーズさえ開いたNよ

私も止まっていないぞ、共に透徹した交感のコミュニケーションへ・・

ああ、しかし 得体のしれない病魔はなんて無遠慮で恥を知らないのだ

話すこと 描くこと 歩むこと 食べること 働くこと 知ること

その歓びを奪うなんて それも少しずつ痛みをともなって 心身を縛って

君は悠々と旅だった 未練がましさ悔しさの一言も発せず

そうだ昔のままだNよ 静かに坐っている 清冽な彼方をデザインしている

 アデュー チャオ さらば 西野洋よ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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