小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

2018年01月01日 | エッセイ・コラム

あけまして、おめでとうございます。 

去年の11月、吉村昭の文学記念館に行った。そのつながりから尾崎放哉の句集を読んでみようと、積ん読棚から文庫本を引き抜いた。今も時々、思いだして拾い読みしている。

放哉(ほうさい)は、一高・東大法卒の超エリート銀行員だったが、30代の後半、酒で失敗し借金も作り転落した。その後、妻にも見放され、種田山頭火と同じ自由律俳句を詠みながら放浪し、終焉の地小豆島にて肺結核で亡くなった。

吉村昭は結核病みの放哉の俳句に親しみ「海も暮れきる」という小説を書いている。「障子開けておく、海も暮れきる」という放哉の句から取ったものだが、吉村自身は放哉について「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、といった迷惑な人物で、もし今、彼が生きていたら、自分なら絶対に付き合わない」と語った。

取材に応じた島民の人たちも、「なんであんな人物を小説にするのか」と、吉村を詰ったらしいのだが、喀血し病床についても自由律の俳句をつくる放哉に傾倒し、「はげしく私の心をとらえた」と書いていた。

同じ結核で、肋骨を何本か麻酔抜きの手術で切除して、死の淵から生還した吉村昭にとって、切実な何かを尾崎放哉から感じとったのだろう。極めて端的に短い一句。

せきをしても一人

放哉は結核を病み、それによって死んだ。この句にも、死を目前にひかえたすさまじいまでの孤独感がにじみ出ている。私は、自分が死ぬ折には放哉の句集『大空(たいくう』を棺に入れてもらいたい、と思った。」 (吉村昭 『七十五度目の長崎行き』の「放哉の島」より)

俳句を詠んだことのない私は、自由律俳句よりも定型の俳句が好みなのだが、山頭火と放哉の生き様に思い寄せると、二人が詠んだ俳句の存立というか、自然のなかの風景や出あう人、感じたことを自由に詠んだ俳句に、孤高の魂を感じざるをえない。

(ただし、放哉は山頭火ごとく雲水つまり巡礼僧のイメージはなく、浮浪雲のように町や村を放浪する身をもちくずした男の姿が浮かんでくる。中国地方の方言でいうところの「くせがすごいんじゃ」みたいな男を想像してしまう。)

元日からどうも辛気くさい話を、私は書いているんだろうか。

いやいや、放哉の句集を読んでいたのだが、犬にまつわる自由律俳句がけっこう多くて意外に思ったのだ。人々に迷惑をかけるだけの大酒のみの放哉は、もしかしたら誰からも相手にされない寂しい生活をおくっていた。村から別の村へと、放浪していくうちに、放哉に優しく接してくれるのは、その土地の野良犬だけだったかもしれない。

2018年の干支は「戌」の歳なので、意識的に放哉の句から、犬を探していたのだと、今にして思う。気に入った句を紹介したい。

 

犬が覗いて行く垣根にて何事もない昼

犬をかかへたわが肌には毛が無い

いつしかついて来た犬と浜辺に居る

今日来たばかりの土地の犬となじみなってゐる

落葉ふんで来る音が犬であった


以下の二句は、放哉らしい世捨て人の哀しい姿がみえてくる。最初の句は、犬の飯まで喰いたいほどの「ひもじさ」が見えて、まことに痛い。ここまで自分を落とし見えてくるものは何か。客観的に自己を見つめる放哉の、俳句に命を懸ける凄まじさがある。

最後の句は、ペーソスがあり尤も好きな句だ。犬しか近寄ってくれない、そんな究極の孤独と、掛け値ない犬の愛らしさが実感して来、心に沁みてくる。誰もが近寄って来ない、お愛想をかけてくれるのは犬しかない。吉村昭は、この句をどう鑑賞しただろうか。

犬のお椀に飯が残って居る

犬よちぎれる程尾をふってくれる

 

 元旦は、年賀のイメージと題して賀状につかった写真をブログに貼りつけている。年々、ほんわかとした干支をもちいるようになったのは、私たちの歳のせいだろうか。

 ▲一昨年の申と同じ、亡き母の遺品の貼り子をつかった。


▲ビクター犬はボツになった。

 


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