二年ほど前このブログに「羽生結弦は光源氏なのか」という戯れ文を書いたことがある。
恥かしきかな、この愚かしきことを、またも私は繰り返す。
史上初の300点越えの演技を、羽生結弦は成し遂げた。それを今、世界の舞台でも披露しようとしている。
羽生結弦の凛々しいまなざし、清々しい姿に、わたくし糞爺の腐った心がまたしても震えてしまったのである。
彼のファンには申し訳ない。大会の中継を熱心に見るわけでも彼の一挙手一投足に、四六時中まなざしを注いでいるわけでもない。ゆえに、この駄文を表すことにひれ伏して、熱心なファンの方々に許しをこうのみである。
さて、以前に羽生結弦を書いたときは、彼を光源氏に比してのものだった。
彼のまなざし、優雅な物腰、東北大震災を経験した人の憂愁。そして奥ゆかしい語り口とか振る舞いを、古典文学の最高峰の人物になぞらえて称讃した。
記事を書いたのは去年の2月だったから、二年ほどがたった。こんなことを書いていたのである。
地位とか立場が「光源氏」的な方々が「私が責任者なんです」とか「人間としてクズだ」なぞとはしたないことを平気で口にしている。・・・・・・自己チュー男どもがこんなにも日本に蔓延している。羽生結弦君の奥ゆかしい語り口とか振る舞いを、すこしは見習ったらいかがでしょうか。
日本の男、特に政治家たちに見習えと檄を飛ばしたつもりであった。しかし、彼奴らの為体はあいも変わらず、私たちに範を示すような人は現れない。
それにひきかえ、羽生結弦の精進ぶりには目を瞠るものがある。いつだったか、練習中に韓国の選手とぶつかったことがあった。不注意であったのは韓国選手だったと私は感じた。羽生はかなりの衝撃をこうむったにも関わらず、自分より相手を気遣った。そして、かなりの怪我を押して、ふたたび彼は演技に挑んだ。周囲の方々から心配され励まされたことであろう。まさにそのときから、自らをアクシデントにも負けない、強くしなやかな心と身体をもとうと決意したのではないか・・。
それから一年ほどして、なんという成長。惚れなおすほどの男振り。何よりもまなざしが強く鋭い。
獲物を見据える鷹のような凝視。鷹や鷲は獲物に視線を注いだら一気に降下する。羽音をたてない梟ではなく、堂々と翼を羽ばたきながら舞い降りる。獲物は恐怖のあまり動けず、その場にうずくまる。
羽生結弦は狩猟のまなざしをもつようになった! もっといえば侍の心と、戦斗技能を獲得したのかもしれない。
彼のジャンプ、4回転もの技を決めたときのまなざしと姿。かつての貴族的というか華人のような優美さを残しつつ、言葉で言い尽くせない強さとキレがある。以前の華麗さに凄みが加わった気がする。
わたしは彼のなかに「源義経」をみた。
▲義経 八艘跳びの図
義経の伝説では、鞍馬山の修業中に天狗と渡り合い、「八艘跳び」なぞという超人的な身体能力を身につけたという。五条の橋での弁慶との立ち回りも有名である。
実のところ、京都の朝廷と義兄頼朝に代わって亘りあい、時の権力者の平家を打ち破ったのは義経だった。
彼は弟としての本分を弁え、兄頼朝をたてた。義経はあらぬ疑いをかけられ、岩手の平泉に逃れる。義経はついに東北の地にて非業の死を遂げる。無念の魂は、陸奥の山や海を彷徨ったかもしれない。しかし、義経は伝説のヒーローとして現代にも生き続けている。
その悲運の魂を羽生結弦は授かったとは決していわない。
今の、彼の実力、演技の美しさはひとえに彼の努力の賜物だ。もちろん専属のコーチ、家族や彼をサポートする身辺の方々、そして多くのファンが羽生結弦を支えている。
私のようなひねくれ老人が、飛躍する彼のなかに源義経を見、こんな戯れ文を書いているのは個人的なことだ。誰がこんな荒唐無稽な馬鹿話をきくかと、一蹴されるであろうことは当の本人も承知の介である。
義経の話は幼少から青年までは「義経記」で書かれたものだけで、ほとんど伝説であろう。実よりも虚が多いと言わざるをえない。歴史的には、頼朝が鎌倉幕府をつくったことは間違いない。しかしその礎、いまの言葉でいえばプラットフォームをつくったのは、陰にまわった義経であったといえよう。
フィギュアスケートのワールドグランプリ3連覇は目前だ。明日になろうか。世界の檜舞台で史上初の300点越えを見せてほしい。義経の侍スピリットをみたい。こんなことを書いていて恥かしいことだ。さりながら、とても楽しく、結弦と義経が想念として駈けめぐるのである。
駄文失礼
追記 (2015年12月13日 16:00)
フィギュアスケートのグランプリ(GP)ファイナル最終日は12日、バルセロナで行われ、羽生結弦(ANA)がフリーで219・48点を出し、ショートプログラム(SP)に続いて世界歴代最高を更新。合計も8点以上更新する330・43点で男子初の3連覇を果たしました。おめでとうございます。そして、ありがとう。
★羽生結弦さんの写真を掲載していましたが、推定以上の著作権料支払いが発生することが分かり、やむなく断念することにしました。(12月13日)
羽生結弦選手自身は、安倍晴明が自分に似ているいう言葉を、雑誌ananに掲載されていましたが、私はずっと彼は義経に似ていると思っていました。
義経が生きていれば、羽生結弦のような人だったんだろうなと。
フェルナンデスが得点を待つ彼にモニター越しに、ひれ伏すというジェスチャー?をしているのを昨日見かけましたが、この時も「義経」を感じました。
義経は敵をも味方にする魅力、敵が天晴れだと涙するようなチカラを持っていたと聞いたことがあります。それに少し似ていると思う私がいました。
この投稿を見て、嬉しかったです。
陰陽師のあの衣装でさえ、最初は義経幼少の頃の装束にしか見えなかったです。笑
これからも、宜しく。私もみかん大好きです。