リハビリから帰る道すがら、目の前を何かが横切った。小ぶりの赤蜻蛉だった。
私を誘うかのように飛ぶのだ。しかし、上下に浮いたり沈んだりする飛行で、その羽ばたきはゆらゆらとなんとも弱々しい。ついに路上に舞い降りて、しばらくするとまた飛び立った。わたしはその様子を見守りながら動かない。赤蜻蛉は私の前から離れず、ゆらゆら飛んでいたが、やがて疲れたのか路上の白線の上にたたずんだ。
子どもの頃はオニヤンマを追いかけたりしたが、秋になってからの赤蜻蛉はその数多く、たいして興味を惹かれなかった記憶がある。赤い胴体も美しいというより、血をイメージさせて気持ち悪い印象があった。
いまや都会で赤蜻蛉を見るのは珍しくなった。ちょっと離れるが、不忍の池がある。そこから遠征してきたのかもしれない。このブログの主旨は、生命あるものや魂を孕むものにまなざしを注ぐこと。
なにか元気をあげたいのだが、どうすることもできない。気をおくるぞと心に念じたが、微動だにしない。仕方なくその場を離れた。
その路上は交通は少ないが、たまに車が通る。思いなおして、赤蜻蛉をどこかの樹木の葉にとめてやろう引き返した。もうそこにいなかった。
こちらが送った元気が通じたのか、羽ばたいていったのであろう、仲間のところへ。
▲傷ついた様子もないのだが、息をひそめるかのように動かない。
さいきん、ちょっと俳句をひねり出す。季題とか切れ字などの約束事はきちんと把握できていない。真似事でも詠んでみたくなる今日この頃。「赤蜻蛉」は、絶好の秋の季題とは知っていた。そこで下記の拙句をなんとかひねり出した。同じシチュエーションで何個つくってもいいんですかね?
赤蜻蛉交尾終えたか道の上
白線に命留めし赤蜻蛉