小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

共同幻想の彼方、そして貴方

2021年04月29日 | 日記

国家は、共同幻想である。おなじく宗教も、すこし性質のちがう共同幻想である。
そのちょっとの違いは、前者は「死」を肯定し、後者は「生」を肯定する。
どちらもポジティブであるが、向かうところが違う。

国家という共同幻想は、祖国と家族を想いおこさせ、魂を奮い立たせる。
そのために「死」を厭わない黄泉の力をあたえる。
それこそが共同幻想の大元だ。

宗教という共同幻想は、自分の存立と家族・祖先の強さを問いかける。
良く生きるためには、その人にとって必須な過去、紐帯を常に考えさせる。
それこそが共同幻想の大元だ。

さあ、さあ、さあ。幻想は麗しい、そして哀しい。貴方にとって、死はどんなものですか。

寿命はリアルである。
いかなる共同幻想をもったとしても、やがて死ぬことを人はみな知っている。
死ななければ人間は増えるばかりで、この世界は荒涼となるしかない。
それだから寿命を喰えば食うほど、死を受容れるんだとおもう。

宗教という共同幻想は、死に向かうひとの精神面を整え、
国家という共同幻想は、死に向かうひとの物理面を支える(なければならない)。
それがいま、宗教と国家のどちらとも機能を失っている。
気持ちのいい幻想を見させてくれないのは何故なんだ。

寂寞とした現在、荒涼となる未来だけを見る思いがする。
なにがこんな風にしたのか、誰がこんな風にさせたのか。
権力者か、お金持ちか、神様のふりをした悪魔、邪悪なものか。
あなたか、私なのか、人間みんなか・・

 

(後記)上記の嘘寒いアフォリズムは、明治時代の文人、正宗白鳥のある言葉に触発され、衝動的に思いつくままに書いたものだ。人は生まれてこない方がよい。生きていくのは結構めんどうくさいもの。だから、誕生日は呪うべきもので、生まれたことなんかに特別な感謝はしない、と言ったようだ。

深沢七郎という人も、「死ぬことは解放だ」と言っている。「生まれてきた良かった」と思う人も、何かのことで偶発的に死ぬことがある。どんなに財をなしても、地位と名誉を得ても、若い美人とうまいことをやっても、寿命がくれば死ななければならない。

もちろん、殺されたり、自死するのは論外。自然死こそありがたいことと歓ぶべきことで、その時は生きとし生きるものすべてに感謝したい。

ああ、「お迎えがやっと来たんだ」と素直に悦べるような人になりたい。

だけども面白いね、生きているとこんなことも書いてしまうんだ。善人ぶるわけじゃない、その反対に毒を吐くつもりだったのだが・・。とどのつまり、リアルは秒速で過酷になっている、世界中で。

それは誰にも止められない。「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水はあらず」ですからね・・。

だけど、大事なのは、21世紀末を見通せる人がいるかなんです。けっこう、差し迫っていますけど?

 

 


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