小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

世代間における価値観、マインド、生活スタイル・・

2021年04月23日 | エッセイ・コラム

今回の記事は、備忘録的に書いたもので、関心の向きのない方はスルーされたし。

前回の記事で世代間の価値観について、簡単に分類した。といっても自分流の大雑把なものだ。マーケティングリサーチなど消費行動を分析するもの、あるいは生保会社や公共機関とかが、社会調査手法のモニタリング、データに基づく分析・分類とはまったく違う。
公式の世代間の分類、その定義づけは実にさまざなであり、また調査の目的あるいはリサーチ方法によってアプローチは異なる。分析した結果はまた、それなりに面白いし意外な結論を引き出したりする。

ミュージシャンやアーティスト等は、そもそもが自分の好きなものだけを頼りにして生きている人たちだ。オタクといわれる人たちだって、関心あるもの以外に目もくれない。子どもの頃に昆虫あるいは鉄道が好きで、それが昂じて学者になったような人も多い。自分に関心のあるものしか目を向けない人たちだろうが、社会に対する価値感、判断基準はたぶん百人百様であろう。同じような傾向性、選好を認められるにしても、それはそれだ。

 

さて、世代間をどう捉えるかにふれておく。簡単なものでは、「ゆとり」から「氷河期」「バブル」「しらけ」の4世代に分類したものがある(生産性本部)。ちなみに「ゆとり世代」は1955年以前に生まれた人をさす(内容は省略、以下同じ)。

もっと細かく分類したものでは、「団塊、しらけ、バブル(新人類)、団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニア、さとり、デジタルネイティブ(ミニマムライフ)」の7世代に分類する。

広告、商品開発リサーチでは、もっときめ細かい。男女別に5年ごとに分類。1945年を0年とし、13,4世代ものにわたり細分化。それぞれの価値観、ライフスタイル、消費行動を分析して、端的なストーリー仕立てにまとめている。世代間の特長が面白おかしく際立たせている。
以上、これらはすべて戦後に生まれた人々を対象にした分析である。

小生がおおまかに規定した世代別価値観の分類は戦後生まれだけに限定していない。戦前・戦中、戦後40年 90年代以降ときわめて大雑把な捉え方であり、個人的見解といっていい。自分としては普遍化した価値観をイメージし、かつ世代というより時代感覚を加味するように創造したものだ。実は、昔お世話になった師匠ともいうべきプランナーの考え方をベースにしている。

良いか悪いかを基準とする」善悪・道徳判断説・・・戦前に生まれたひとで、儒教的な道徳観のもとに教育をうけた人に多い
損か得かを基準とする」損得・経済判断説・・・・・戦前にもいて、経済界や商業界で生計をたてていた人たちが中心。もちろん、現在でも現役。
好きか嫌いかを基準とする」感性‣感覚判断説・・・これはもう戦後生まれの最大の特長。小生を含むし、若者全般だ。趣味がもとで仕事や学者にも。
役に立つか、役に立たないかを基準とする」機能・優劣判断説・・・実は誰もがもつべき判断資質だ。時代でいうとかつての軍人、現代のビジネスエリート

以上のように分類しているが、もちろん人はさまざまな体験を経て、モノを考え成長していく。この4パターンに誰もが当てはまるなんて、ちゃんちゃら可笑しい。人はそれぞれの価値観をもち、独自の判断をして、百人百様の知見をもっている。好きか嫌いかで生きてゆくことはできない。すべてが、これを大前提での話だ。

さらに、仕事、所属する組織、そこでの立場、生活圏のコミュニティ、友人関係、趣味やサークルなどなど、その人が関わるあらゆる要素によって、ライフスタイルも異なってくる。そして、その人なりのマインド・セットも多様だ。

見た目のカッコ良さとか、金や権力を重視するマインドを好む、これを「モノ派」としよう。文化や趣味・嗜好、情緒、精神性を好む、これを「ココロ派」としよう。また、イデオロギーでいうところの「右か左」もある。右でいえば「保守・伝統」の指向でも「極右・ネトウヨ」から「中間派」まである。

その逆の、左でいうところの「人権・自由」の指向では、「リベラル・穏健(リベラル・保守)」から「リバタリアン」、「極左(共産)」などフェーズの度合いが複雑となる。なんとなれば、こちらは「ココロ派」で資産・所得は、平均かそれ以下のグループに属している。

これらの要素をふまえ、各個人のマインドセット(モノ派・こころ派)によって、いかなるライフスタイルでどんな選好・嗜好性をもつか。たとえば「アウトドア志向」か「インドア志向」なのか。「都会志向」か「カントリー志向」なのか、「ブランド志向」か「ノンブランド志向」なのかetc.・・。アンケートやインタビュー等によって調査後の分類・分析は多種多様なものになろう。そして、すべてを人間が行うものである。手作りでおこなうような、いわばアナログの調査・分析である。

しかし、いま現在、データサイエンスなるものが幅をきかしている。ビッグデータを基盤として最新の情報科学、統計学などを援用したアプローチだ。機械学習やディープラーニングなどのAI技術を駆使しているようで、こちらはデジタルの調査・分析といえよう。

データサイエンスは学問として確立し、実際にマーケリサーチ、商品開発に生かされているとのこと。未来を先取りする有益な知見を得られることもあろう。しかしながら、小生が思うに、あまりにAIに依存するのもいかがなものか。特に外資系の会社からモノを買うと、買ったとおなじ系列の商品を勧めてきたりする。要するに消費行動をトレースするようなリコメンデーションを反復するのだ。これはもうアルゴリズムの誤算というしかない。

いやいや、何の取り柄のない小生のような消費行動はちぐはぐ、やることなすこと予測できない輩が多いので、ビッグデータやAIの厄介になるのが当然の帰結なのかもしれない。とんだ落ちのついた結論になってしまった。

    同じリトープスだって、模様も色も違うんだ


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2 コメント

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Unknown (スナフキンÀ)
2022-06-05 17:34:25
お見事!! です。
納得な分類。もちろんカテゴライズには「特例」や「分類不可能」があって、かつて鬼畜系社会派サブカルライターに唐なんとか氏(奥さんがソルボンヌなんとか)って方がいまして、その人の著作に「育毛大全」だか「養毛大全」だか言う文庫があったのですね。ハヤカワ文庫でした。
このような本を書かれても、どこの書棚に置くべきか困ると、丸善の店員さんが苦笑してました(笑)
なものて、最初から「カテゴリに全員か収まるわけないです!」と明かした上で、あくまで「集団とての傾向」として分類されてるあたり、小寄道様はフェアですね。
ウクライナ観ていても、そもそも国連加盟国が2国、戦争やっていれば、
どちらも自国に都合良いように情報操作やフェイク合戦するのは、現代のハイブリット戦からすれば「当たり前」でして。
それを「ロシアが正しい」「ウクライナが正義」とか、そもそも「判定基準とした情報が正確かどうか解らない段階」で、ジャッジをしちゃう人がいるのにはドン引きです。実際、そこで見限ったブログ主もいますから。
エリートとされる専門職のブログ主でもコレですからねぇ。
困った事に、逆に「現場主義」も困る。
「私は現場に行って見てきたんだ。たから真実だ!」という人です。
香港の鎮圧の時に、まぁ現地に行った元中国留学の30代が言うてたのですが。それ危険というか素人だなぁと思いました。
私は海外で爆破テロ現場に遭遇した事がありますし、マラッカで海賊と銃撃戦になった事があります。(一発も当たらないですけど(笑)、護衛のコースガードに、「背中を撃たれては叶わないから、安全な所に避難していてくれ💢」と叱られました(笑))、またホテルで朝起きたらクーデターが起きてた事もあるです(笑)
そういう時は、歴戦のバックパッカーやジャーナリストは先ずは、ホテルでCNNの衛星中継観るのですね。何故なら「最前線こそ情報は混乱していて解らない」からです。戦争報道を専門とするストリンガー(一匹狼の報道屋)などは、気づいた時点で現場におらねば金になる映像にはならない。すると、次に金になる現場とは、情報を精査してヤマを張らないと辿り着けない。だから「手遅れたら先ずはCNN!」なのだそうです。
つまり、香港で実際にデモ隊にいたから、「あれは香港警察ではなく軍隊だ。私は見たんだ」とか、素人考えそのものなんです。
実際、そのブロガーの写真みたのですが、軍隊または武装警察にしては、戦闘服の下の肉が厚い。これは警察寄りで、軍人は思い装備で長距離走や、泥の中を匍匐したりするので、逆三角形の体型は脇が甘くなるからスリムな人が多いんですね。
それにリボルバーを構えてました。はっきり言って今は、世界的に警察でもオートマチックの時代てありまして。そしてオートマチック拳銃やアサルトライフルを日頃に訓練されている軍人が、リボルバーを使用すると暴発など事故を起こしやすいんですよ。オートマチックに比べてリボルバーは構造がシンプルたから扱い易いというのは、銃を持った事の無い人の発想です。軍人あがりの武装警察なら、鉄火場で誤射し易く、装填も難しいリボルバーでなく、オートマチックを装備させてますよ。
こういう事が、現場から離れていると、「嘘をつかない写真分析」で解るのてすが、現場で発煙筒とガス弾が飛び交う状況下で判断はムリです。
だから、彼の判断をバカにはしません。
ただ…御自分が産まれて初めて、人も殴った事のないサトリ世代が、初めてバイオレンスの現場に立った興奮で、「思い込みが真実」と信念しちゃってます。それは「俺は現場にいたんだ!」という一種の武勇談的な自負がそうさせていると思うのですね。 
悪いけれど、「戦場で真っ先に死ぬのは、君のように高揚感に溺れるタイプだよ!」と言ったら、そのブログに出入り禁止にされました(笑)
でも同じ事を自分がやったら恥ずかしくて嫌だなぁ。
まぁ、そう思うので、コメンターやるか、人のブログに風景写真を提供したり、はたまた他人の動画の脚本や構成を請け負うに留めております。 だって発信者が熱くなると、真実から逸れる気がするんですね。 
そういう意味で、貴兄とメロンぱんち様は好きです。
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銃で撃ったとき (小寄道)
2022-06-06 20:45:24
コメントありがとうございます。
PCから半日も離れていまして、公開が遅れました。それに3通もいただき恐縮しております。以前の記事を読んでいただき、それにコメントをいただくというのは、望外の喜びであり、よく読んでから自分なりのレスをお返ししたいと思っています。

だいぶ前にタイに旅行へ行ったことがあります。そのときオプションで本物の銃で実弾を撃つというものがあり、興味本位で参加しました。
ライフル、レボルバーのマグナムなんちゃら、クリントイーストウッドが映画で使う例のアレ、それとオートマチックなど5,6種類が選べます。
私は、少年の頃ドイツのルガーはじめワルサーP38 、ベレッタなどのモデルガンで遊んでいましたので、迷いなくオートマチック拳銃を手にしました。
音は思ったより大きくなく、反動もすくない。頭がどんどん冴えていき、集中力で脳髄が研ぎ澄まされる感覚をもちました。
でも何発か撃って、これを何に使うんだ、誰に向けるんだと我に返り、ひどくしらけました。
マグナムなんかを撃った人は、その爆裂する音や手に受ける衝撃を受けて、異様に興奮していまして、ちょいとやばい感じになっていました。

私らの世代は、戦争そのものの残存が濃厚でしたから、飛行機や戦艦のプラモデル、武器等のおもちゃが日常的に身近にありました。敗戦したにもかかわらず、日本の兵士・兵器の優秀さを大人の男たちは熱っぽく語っていた。軍歌もよく歌っていました。女性たちは顔をしかめていましたが・・。
今はもう、そんな戦争に結びつくようなような兵器アイテムは、オタクぐらいしか流通していないようですね。
アニメのフィギュアをコレクションして、想像力をふくらませるぐらいが平和でいいと思います。でも、小泉悠氏のような軍事オタクがロシア学の雄になってゆく、これもありかなと思っています。
では、次のコメントにいきます。
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