小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

証言、生きている言葉たち。

2014年08月21日 | エッセイ・コラム

 「福島の母440人の証言集」を読んだ。広河隆一責任編集のフォトジャーナリズム月刊誌「DAYS JAPAN」の別冊特集号である。
年に数冊であるけれど、この世界的にも知られる報道写真雑誌をわが家に送ってくださる方がいる。
家内の友人である。懐を痛めずにこの目で見、読めることはありがたいことだが、この雑誌は定期購読に支えられていて、私たちは頗る心くるしい。
DAYS主催のイベントには行くように心がけているのだが・・。

「福島の母440人の証言集」は、2011.3/11当時、福島に暮らしており、現在も福島で生活しているかその後避難した子供を育てる保護者・家族にアンケートを実施したもの。
2014年6月16日~7月7日に行われ、2000人を対象にした。設問は28問でいずれも具体的で適切な内容だ。匿名でも可能だったが、実名でかつていねいな回答が多いことは、設問者の誠実な対応がおしはかれるし、気軽に答えられるものではない。
 したがって回答率は22%で、440人の方々が回答している。わたしは決して少数ではないと考えている。タイトルには「福島の母」と謳ってあるが、男性も若干含まれているようだ。

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 アンケートの質問は、生活環境、健康状態に関するものが主で、特に子どもたちに限定したものが多い。
まだ全文を丹念に目を通していないのだが、回答のどれもが切実さにあふれ、事実にそくして正確に答えようという姿勢がつたわってくる。
事故から3年たって多少は回復に向かっていると思いきや、ほとんどの方々は未来のみえない不安に苛まれているといえる。

 「不安」は科学的に解決できないものだが、避難生活のなか「定期的な健康診断をしてほしい」とか「医療費を無料にできないか」など、そんなことも行われていないのかと驚く。
除染作業も不完全であるし、普通では許容をこえる放射線量が検知できる環境。そうした情況のなか、そこに生活をせざるをえないどうしようもない事情の数々。私が何万語をついやしても伝えることはできないだろう。

 ところで、漫画「美味しんぼ」問題は記憶にあたらしいが、現実に子どもたちの鼻血に悩む母親たちの証言が多いこともわかった。
その他の健康面では、喉のいたみや風邪をひきやすいなど、チェルノブイリの人々の様子ときわめて酷似している。
これらの一人ひとりの証言は貴重であることに間違いなく、未来の内外研究者にとっても重要な一次資料となるであろう。

 かつてアナール派の歴史家アラン・コルバンは、フランスの片田舎で普通に生きた19世紀の木靴職人の、一人の心性史を見事に書きあげた。
役所の出生記録にはじまり、裁判などの公的な記録、地域の人々の回顧録、手紙、教会の保存文書から、いっさいの痕跡のない無名の男を鮮やかによみがえらせたのだ。

 このことを考えれば、「福島の母440人の証言集」は後世にあって、心ならずも原発事故に遭遇した母たちの証言集であり、事実確認、心性記録の宝庫だとおもう。
これらの証言をもとにコルバンをしのぐドキュメントや物語を書く人が現れるであろう。
「「DAYS JAPAN 」の編集者たちの仕事に賛辞をおくりたい。

 

 「証言」といえば、PC遠隔操作事件の公判,その証言記録をフリージャーナリスト江川詔子が一問一答形式で、自身のブログで披瀝している。
 自分が犯人であることを認めた片山祐輔は、裁判官のあらゆる質問によどみなく証言している。あらためて彼の頭脳の緻密さ、すぐれた論理構成力、記憶再生力が知らされた。
 一方、ちょっとしたことでの自失や感情破たんによるコントロール失調も特長で、いわゆるヴァーチャル時空間に耽溺した病者である印象を、わたしはさらに深くした。
裁判官も人の子であろうか、なんでも答える片山祐輔にマスコミが訊きたいことも尋ねる。

以下引用
――同僚とのつきあいは?
よくつきあう方。社交的な方で、いろんなやつとつきあえると思われていた。
――本当の人付き合いができたのか。
分からない。自分の醜い面を隠し、あいつは明るくていいやつと思われるような仮面をかぶっていた。まさかあの片山がこんな陰湿な事件を起こすとは、誰も思わなかっただろう。
――秋葉原の無差別事件が起きた時に、現場に行ったのか。
報道を見て、すぐ自転車で現場に行った。
――犯人の加藤とあなたの共通点は?
昭和57年生まれ
――同じ年代の人の事件はほかにもある
いわゆるサカキバラ世代で、切れる世代と言われた世代そのもの。2ちゃんねんるの少年が起こした西鉄バスジャック事件。土浦の連続殺人。栃木の(勝俣たくやの)事件も
なぜか、世間を騒がす大きい事件を起こすのが、この世代に集中している。(終)

 福島の母たちと片山祐輔の証言を一緒にすることは顰蹙をかうかもしれない。
しかし証言をすることは誰にとっても重く、それは真実を知りたい人の願いをかなえるものだ。ご容赦ねがいたい。

 生きている言葉をもちいて何かを証言しようとする人々がいる。

どこかで埋もれている人々がいるかもしれない。謙虚に、真摯に、耳を傾けねばなるまい。


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