小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

誓い

2015年08月09日 | 日記

 

長崎の原爆投下は、今日から70年も前のこと。街は廃墟と化し、多くの民間人が犠牲となった。この街の上空でプルトニウム型の原爆がさく裂したのだが、どんな人間の想像力にも及ばない殲滅的パワーだったはずだ。それは人類に何をもたらしたのか・・、これからも永遠に問われることになるだろう。

昨年の暮れ、九州を旅行した。長崎にも訪れて、街並みの美しさに心打たれた。江戸時代からの歴史的な佇まいや、山に囲まれ海に面した素晴らしい自然の景観が印象的だった。

今日この日、あらためて犠牲になられた人々の冥福を祈りたいとおもう。

これまで祈りの言葉をブログに書くことはなかった。私は、この国がますます「戦争」に傾斜している実感をもっている。「戦争」への途を絶つべく、自分なりの方法を探ってゆきたい。

また、私はまだ広島を訪れたことはない。日本人として必ずやかの地に立ち、平和への祈りを捧げたい。

自分の死をまえにして煩悶することのなきよう、イメージしたこと・誓ったことをここに記す。

 

※浦上天主堂遺壁   東洋一の壮大さを誇った浦上天主堂であったが、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾により破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなった。この側壁は聖堂の南側の一部で、1958年(昭和33年)に新しい天主堂建設のためこの地に移築。壁上の石像はザベリオと使徒。

 

 平和祈念像

 


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