小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

言葉よりも

2015年08月15日 | 日記

 

今日という一日は言葉の使用を禁ずる。話すことも、書かれたものを発表することも罷りならん。そんな絶対的命令が課せられたら、人はどうするだろう。
強いられた沈黙。切実な伝達も不可能な世界。コミュニケーションは失われてしまうのか・・。
そんなことはない。なんとか身振りで、思いを伝えようと工夫するのではないか。手話もそうした理由で作られたはずであろう。

八月十五日に合わせて発信する首相の「談話」。もし言葉の使用を禁じられていたらどうするか。どのような行動をしなければならないか。
首相として、一人の人間として、いかなる行動、身振りによって「談話」に等しい意味と価値、内容を伝えることができるのか。
そうしたことを想像してみる。解かなければならない命題として考えてみる。哲学的かもしれないが、日本人としてチャレンジしてみる価値はあるはずだ。

70年間、日本は平和であった。こんな国は世界的にも珍しいという。スイスやブータンなど数少ない国のひとつ、わが日本。
ただし、戦争の一端に手を染めたことはある。非戦闘地域とされたイラクのサマワに自衛隊が派遣された。確か一、二名の方が亡くなったかとおもう。
それは例外として、日本は戦争しない国として世界から平和国家として認められている。

また、個人及び民間団体が自主的に、世界の各地で「平和への貢献活動」を行っている。言葉の使用ではなく、有形無形の献身的行為によって日本は平和国家であり、日本人は平和を大切にしているというイメージがつくられてきた。

いま日本中はお盆休みである。糞暑い。そして、どこを見渡しても平和である。

その片隅で政府主催の、過去の「戦争」を悔い、戦没者を慰霊する儀式が粛々と行われている。

それを支配しているものは言葉だ。
その言葉に反応する諸外国も、たぶん言葉で反応するのであろう。日本はこれから積極的平和主義と称して、米国の軍事活動に加担していくと思われる。わが国の行政機構は法定化されると確実に実行する。

長くなってしまった。言葉よりも大切なものをイメージして平和を考えてみた。

 

 

 

後記:プロフィール写真を変えた。私の幼少の頃、七五三のときのもの。自己紹介も書いてみたが上手くまとまらない。母や伯母たちは東京大空襲のまえに新潟に疎開して運よく助かったという。

いや、その前に何度も空襲にあい、母は伯母を背負って防空壕へ避難したと語った。そのとき父は海軍少尉・特攻傭員であった。長くなりそうでやめる。

 

▲亡き伯母を偲び、一家離散の不幸な幼少期にもかかわらず、幸せそうな坊やぶりの私とのツーショット写真を載せる。たぶん戦後10年目の平和な時代である。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。