小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

「明晴学園」を訪問する

2018年07月18日 | 日記

 品川にある「明晴学園」を訪問する機会にめぐまれた。以前、「『手話を生きる』を読む」という記事を書いたが、「明晴学園」は日本手話を第一言語とする日本で唯一のろう学校である。(⇒https://blog.goo.ne.jp/koyorin55/e/07c4211c87b40e62c786c800c4dd6d88

ある事に専念するため、中級クラスに進級することを断念した私であるが、そんな身勝手かつ不埒な私を、なんと「明晴学園」の見学・研修会に誘っていただいた。
かつて「明晴学園」の素晴らしさを吹聴しまわっていたお蔭であろうか・・。講師の方から優しいことばをかけていただき、参加できることになった。

一緒に学んでいた元仲間から、(また一緒にやりましょうよ)の励ましのことばもかけてもらった。(嬉しいばい。どげんかせんと、いけんかのう、もし)。

▲見学は定期的に実施しているようだ。校内は撮影不可。(Eテレの「明晴学園」特集 YouTube↓添付)

NHKのEテレで見たような授業風景を、ホンの2,3分でもいいから目の当たりにしたいとずっと思っていた。

遂に念願をはたした。

テレビでは紹介されなかった幼稚クラスの授業から、小学校・中学校まで、個性を尊重した独特の教え方というか、生き生きとした手話の授業を見せていただいた。
小さな児から大きな子まで、彼らの自主性や自分で考えることの大切さを体得してもらう、それが傍からみてもよく分かる。
自分の考えにこだわることなく、隣にいる子、グループのみんなと一緒に考え、疑問や悩みを分かち合う。そのために彼らは第一言語である手話を、感性のおもむくままに自由につかう(のように見える)。「口八丁手八丁」ではなく「手十六丁」だ。

ビデオ鑑賞だったが、乳児の頃から手話を使うことに慣れさせるクラスもある。(母語を日本手話に決めること、その賛否はあると思う)

そんな早い段階から手話を学べば、幼稚クラスの子どもたちの手話のレベルは、私からすれば「凄い」の一語だ。

小学部の子どもたちの手話は、見るからに表情のゆたかな手話であり、先生とのやりとりは面白く、まるで手話のお喋りを観ているかのようだ。子どもたち同士のやりとりも同じで、そのコミュニケーション能力はふつうの子どもたちよりも高いと言わざるをえない。

 

 ▲「明晴学園の一日 」幼稚部から中学部まで 6分余りのダイジェスト(字幕なし)

現代の子どもたちは、家族や友達といっしょに過すよりも、テレビをみるか、スマホをみるかの閉鎖系・孤立の世界にいる時間が多いといわれている。
それに較べれば、「明晴学園」の子どもたちは、友だちとの会話は必然的に多いし、精神的なつながり・「絆」も深い。

見学者の多くは私とおなじような感想を懐いていた。私たちの子ども時代のことを考えれば、コミュニケーションの自由闊達さにおいては、彼らの優位性は明らかだ。
まあ、小さな子どもたちのいっしょけんめいな姿を見るのはなんと言っても可愛い。といって、ひいき目で観察したわけではない。

 

見学終了後に、校長からの挨拶があった。彼らがこの学校を出たら、一歩外に飛びだしたらそこは「アウェイ」である、と。

社会はまだ「手話」を完全には受け入れていない。でも、生徒たちは社会に押しつぶされないし、強い「個」というものが出来ている。

自分がやりたいと思ったことを簡単にあきらめない。むしろ、社会を変えて行くぐらいの気構えがある。私はそんな風に感じたし、事実、かれらが中学部を卒業すると、手話の通じない普通高校に進学するものが3割もいるという。

少ないと思う方は、ろう者が手話を知らない健聴者のなかに入って、どのようにコミュニケーションをとるか想像してもらいたい。ほんの5,6秒でもいい、そんな光景を思い描いてもらいたい。

 

以下のビデオを見ていただければ、今まで書いてきたこと以上のことが即座にご理解いただける。ただし、1時間の長尺。最初の10分、必見です。

▲静かで、にぎやかな世界~手話で生きる子どもたち~1時間拡大版(ETV特集:2018年5月26日放送)

追記:You tubeから、最初に貼り付けたものが視聴できなくなった。ま、しょうがないかと放置しておいた。最近、『静かで、にぎやかな世界』がドキュメント映画の何かの部門の大賞を獲ったので、やはり見ることができるようにしたいと思った。どうも、NHKの方針は、権利意識が凄くてやり方がせこいのじゃ。多くの方が多額の視聴料金を払っている。愚生はBSも加入しているので、年間2万なにがしだ。個人で楽しむのだから、その場合の2次、3次利用は大目にみるべきじゃないのかな、NHKさんよ。

この投稿にしても、そうした方の腹いせかしらんが、テレビ映像をビデオに撮って、YouTubeにアップしている。NHKの著作権意識が凄いのは、ビデオ映像を自分たちの天下り会社が管理・販売しているから、そうさせるのあろう。Eテレの各種テキストにしても、今の時代であったらネットでフルオープンして期間も無期限にして、無料で読むことができるようにするべきだ。そのために高い視聴料金を払っているのだと、国民はもっと声を高くして主張していい。(2019.12.1 記)

 

最後になるが、「明晴学園」の教育方針、内容が至上のものだとは思わない。いろいろなツールやノウハウが開発されて、新たな手話も生まれるかもしれない。また、現在、人工内耳というものが発明され、難聴を克服できる可能性もひろがった。ならば、口話を優先して学ぶ選択肢もふえたということだ。

素人考えかもしれないが、何ごとも原理主義に陥ることなく、柔軟に未来にむかっていく、それが最善だとかんがえる。「明晴学園」にしても、新しい視点・柔らかい志向をもち続けてほしいと願っている。

 


▲品川区八潮、昔は海だったところだったと思う。いまは緑の多い、自然豊かな土地柄になった。

▲バス停の近くは、自生する草や花が多い。向こう側に『京浜運河緑道公園 since1975』の看板があった。 

 


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2 コメント

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Unknown (山猫軒)
2018-07-18 09:26:04
小寄道さま
おはようございます。早速、昨日の明晴学園見学の感想を読ませていただきました。私も同様な思いを共有致しております。先日葛飾ろう学校の見学がありました。(台東区の手話講習会で)奥様からお聞き及びのことと思います。その様子と明晴学園とは随分違う印象を受けました。葛飾ろう学校は聴者の先生で手話も日本語対応手話を使っているようでした。最近「ろう者の祈り」<心の声に気づいてほしい> 著者 中島 隆 を読み感じたものが昨日の明晴学園にあったような気がします。それは何かといえば昨日の私達は「アウェイ」にいたのだと痛感したからです。ご承知のことと思いますが、日本のろう学校の大半は旧来の口話教育で手話を教えていないと言います。私は毎週金曜日に日本手話教室に通っていますが講師は対応手話ではろう者とのコミュニケーションは取れないと言います。

今、この社会で聞こえない人たちは昨日の私達のような立場にあるということを感じさせられた一日でした。大勢の中の孤独ですね。
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山猫軒さま (小寄道)
2018-07-18 16:07:00
さっそくのコメント感謝いたします。
葛飾ろう学校の見学について、実はそれほど詳しくは聞いておりません。明晴学園に比べれば、明らかな違いがあり、雰囲気的には堅くて自由度が低い。しかし、多くのろう者はそこで「アウェイ」に出ても対応できるように学んでいる。
確か自由見学のため、妻は災害時や障碍者福祉をポイントに視察したとのことで、葛飾ろう学校の全体概要を把握してないということです。
山猫軒さまは、日本手話を学んでいるのですね。なおかつ対応手話も学んでいる。素晴らしいですし、なかなか出来にくいことです。
「アウェイ」と「ホーム」の閾、あるいは見えない「分断」を埋める必要がありそうですが、それは私たちにできることじゃない。ともあれ、明晴学園の子どもたちのように、自由に愉しく手話ができたらいいですね。

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