小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

心に響く、英捕虜百歳のことば

2020年08月15日 | 日記

東京新聞の4回に亘って連載された『死の鉄道 英捕虜100歳の遺言』が、今日8月15日に終わった。

第2次世界大戦中の1943年、タイとミャンマーにまたがる泰緬鉄道は、旧日本軍が4年かかると言われた難工事を1年あまりで完成させた鉄道だ。捕虜となったイギリス軍兵士や現地の人々を、酷使させたからこそ実現できた。過酷な工事で、多くの人々が犠牲になった(戦後補償の話しはきいたことがない)。
そのことを題材にした映画「戦場にかける橋」はあまりにも有名で、小生の年代であったら映画のテーマ曲「クワイ川マーチ」は耳にこびりついていると思う。
記事は、上記のタイトルのとおり、「死の鉄道」の建設に強制労働させられたレン・ギブソン(百歳)さんを中心に、家族や他の英捕虜らに話を聞き書きしたもので構成されている。

▲8月15日東京新聞朝刊

▲8月13日東京新聞朝刊

▲かつて、英軍の捕虜となった会田雄次の『アーロン収容所』を読んだが・・。

イギリスには、日本軍の捕虜だった方たちの親睦団体「ジャワ極東クラブ」があり、会員は94歳から104歳までの44人がいる。イギリスでは欧州戦線がメインとして語られ、対日本戦で捕虜になった彼らは、それぞれが肩身の狭い思いを体験した。そして、いつしか「忘れられた軍隊」と呼ばれるようになった。

100歳になってもいまだに矍鑠(かくしゃく)としたギブソンさんのことばに、「日本人を悪くいったことは一度もない」があって、胸がつまるものがあり、しばし放心状態になってしまった。また、彼の家族の話、エピソードをきくと耳をふさぎたくなる。だからこそ、ギブソンさんの人間観や戦争への思いがずしんと胸に来る。

過酷な労働、理不尽な暴力、想像を絶する食事、栄養失調やマラリアなどで虫のように死んでいった仲間たち。そんなエピソードを家族には語らなかった彼らが、何年か前から口を開くようになった。複雑な思いをのみ込み、熟慮した結果、「戦争」を知らない世代に過去を伝えようと決心した。

「かれらがそうしたんじゃない、戦争がそうさせたんだ」と。戦後75年というけれど、「戦争」という言葉は年々軽くなってゆく、稀薄になるばかりだ。

ロンドン在住の沢田千秋記者は、イギリスのいろいろな面を取材して、ためになる記事を寄稿してくれる。
イギリスの話題だけれど、日本人にも共通認識として腹にストンと落ちるように、アクチュアルな題材を求め、かつ綿密な取材のもとに記事を書いている。

「戦争」を意識の中から追い出してはいけない。苦痛となる思い出も、忘れてはいけない。

 

東京新聞の「平和の俳句」は金子兜太を思い出すが、選者はいとうせいこうと俳人の黒田杏子の両氏による。計30句は、12歳から102歳までと、みなさんが心のうちに「戦争」を意識した力作ぞろいだ。愚生もあやかって、拙句をひねる。   

平和だな呆けたところで蝉しぐれ

今年70歳になる戦争をしらない老人は、確かに平和ボケかもしれないと思いつつ、この日だけは戦争に向き合い、真面目に考え、呆けを解消しようと健気になる。

 


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