小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

吉村昭の下書き原稿を確かめた

2017年11月14日 | 日記

 

今年の3月ごろだったか、荒川区は「ゆいの森」という図書館メインの文化施設を造った。その中に作家の吉村昭記念館が併設されたというので是非とも行きたかったのだが、訪れる人々が半端ない数だという噂をきいていた。落ち着いた頃合いをみて、先日の日曜日に訪問した。絵本をはじめ、一般書、文庫本、専門書、CD/DVD、その他各種の資料を含め、驚くほど充実した書棚に目を瞠った。

特に雑誌は多彩をきわめ書店でも見たことのない品揃え、バックナンバーも2,3年分ほど所蔵していた。興味そそられるマニアック向けもいいが、下町文化をささえる芸術、落語や俳句などの地域の特色を出しているのが好感触だ。この類の調べもので不自由することはないだろう。

書籍を買うというモチベーションそのものが失ってしまう、そんな図書館で、1Fから5Fまで各ジャンル別の陳列、棚づくりに工夫が凝らされ、どんな人にも利用価値は高いと思われる。最近、大手出版社の社長が、「図書館では文庫本の購入を控えてほしい」なぞと訴えていたが、そんな情けない気持ちも分からないこともない気がした。これほどの図書館は都内に2,3ぐらいしかないだろう。完成して半年で来館者が40万人ぐらいということも、人気の高さを物語っている。

▲1階から5階まで利用者が快適に利用できるように工夫され、プライバシーの保護や設備も一級レベルだ。

▲ネット利用もでき、テラスで風を感じながらの読書もいい。(「ゆいの森」の創建に尽力した区長の爪痕がそこかしこに存在。誇りたい気持ちは分かるが、どうかな)

▲俳句関係の書籍だけでも所蔵の多さに驚く。

さて、吉村昭記念館は無料だというのになぜか見学者は少なく、その分ゆっくりと鑑賞できた。そして遂にというか、念願の吉村昭の下書き原稿を目の当りにすることが叶った。

妻の津村節子のエッセイに、「吉村は、文庫本の活字くらいの大きさで、1枚の原稿用紙にびっしりと下書きする」と読んだことがあった。「曲がったことが嫌いな性格がそのままの、実直な小さな字で書き連ねてゆく」というような、その本物の下書き原稿をはじめて見た。ちょっと震えるほどの端正な、実直な文字。吉村昭の几帳面でしかも偏執的なまでの集中力やこだわりを感じた。

想像以上に魂のこもった下書きの生原稿だった。私自身の執着心の希薄さを痛感するとともに、この原稿が遺作のものだったことに気づき感慨を深くした。合掌。

▲2階にある吉村昭記念文学館の入口。3階には企画展示室があり吉村昭の「生い立ちと作品世界」を展示。

館内の常設展には、年譜や作品の数々、書斎の再現コーナー、筆記用具や蒐集物、津村節子と家族たちとの写真などが紹介されている。展示物は撮影禁止なのでお見せできないのは残念だが、とりわけ吉村昭の取材ノートには注目したい。ものを書くという凄まじいばかりのパッションが肌で感じられる。世に出るきっかけとなった「戦艦武蔵」の貴重な取材ノートが展示されていて、この精確無比ともいうべき緻密かつ洗練された筆致が凄い。これ自体が優れた文学作品と言っていい。

たぶん取材中は別のメモをとっているのだろうが、その日のうちにもう一度反芻しながら取材内容を整理し、丁寧な文字で書き込んでいたと思う。その取材にしても2,3日いや1週間ぐらいで済ませるのではなく、小説の構想に応じて1か月から2,3か月もの長期取材が多かったという。場所と主題が決まったならば、決して手を抜かない徹底した姿勢で納得のいくまで調査・取材を繰り返す。その結果として、吉村昭ならではともいうべき、渾身のリアリティに満ちた文学・歴史小説が生まれたのだ。

かつて、読む本が無くなったら吉村昭を読むべしと書いたことがあった。彼が亡くなって今、未だ読んでいない本は10冊以上あることが判ったし、再読に値する本は幾らでもある。まだまだ吉村昭の賞味期限は切れそうもないし、読む愉しみは無限といえるだろう。

 

 

 

▲記念館のパンフに下書き原稿が印刷されていた。無断転載するもクオリティ悪し。こういうものを公開させないのは、日本だけじゃないだろうか・・。

▲企画展のパンフ。諏方神社から下日暮里をのぞむ吉村昭。まさにここで古今亭志ん生は稽古した。学生時代、吉村が師匠の家に行き、学祭の出演を依頼した。志ん生が快諾したエピソードは有名である。吉村夫妻の初詣は、人出が凄いことになった浅草寺から、地元の諏方神社に変えたという。私もこの神社の氏子である。

 

 


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