今日的状況のコロナ狂騒を表すものとして、舞踏家芦川洋子の若きし頃のパフォーマンス写真をお借りした。
新型コロナウィルスのワクチン接種がアメリカやイギリスで始まった(ドイツは独自のものを開発?)。RNAタイプの遺伝子をもつウィルス対策として、この手のワクチンの完成は早くとも来年以降だと噂されていたが、予想を超える速さで実現したのは驚きだ。ロシアでも1か月ほど前にワクチン接種に着手したというニュースがあったはずだが、その成果の報告があったのかどうか・・詳しいことは知らない。
SARS、MERSなどRNAタイプのウィルス、感染をかさねる度に変異するウィルスのワクチン開発。これまでは事実上、ほぼ失敗の連続だったといっていい。二重らせんのDNAとは違い、遺伝子物質が一本しかないRNAは変異しやすいのが特徴だ。それゆえ、ワクチン開発に成功しても、ウィルスが変異したら実際の有効期間が短いし、効果が持続するのかも分からない。
(一昨日、ドイツの或る製薬会社のCEOは、わが社の製品は、ウィルスが変異してもワクチン効果持続の可能性はあり、なんらかの異常がみとめられても6週間以内に対応すると言明した。たといハッタリだとしても、公に言表し責任を示すのは偉い)
「毒をもって、毒を制す」というワクチン、その医療技術というか開発思想は、そもそもが生命の危険と隣り合わせを前提にして生まれたものだ(天然痘のワクチン接種は、わが世代の全盛期だったのかなあ)。エイズのそれは、ワクチンよりも即効性のある治療薬が先にできたので、ワクチンの開発は後回しにされた歴史をもつ。
こうした経緯をみると、ファイザー社をはじめとする多国籍企業の製薬会社、これらのワクチン開発が実現したという背景には、それぞれが国をあげての大がかりな開発競争があったことが知られている(莫大な経費だけでなく、研究体制や被験者の数がものをいうらしい。意外にも、トランプの壮語(実際には分からないが、巡りまわって彼の号令は威力甚大)は、その影響力が大きかったらしい。つまり、ビジネスライクな特許等の利権がらみもあるので何とも言えない)。
それにしてもだ。いま新型コロナの第3波は、その遺伝子変異をふくめて、再び全世界を席巻するような不気味な強さをみせている。
未知のウィルスという目に見えない脅威に、あらためて慄かざるをえない。いや、健康で若い人は感染しても症状に現れない例が多い。実に厄介なウィルスで、冷静に判断しても、恐怖そのものは実感できない。
高齢者である自分としては、まるで蛇の生殺しのような恐怖を感じつつ、感染したらジタバタせずに潔く死ぬぞと思ったりもする。いやはや、そんな日常そのものに飽き、倦んでいる自分がいることも確かなので、まことに複雑な心境だ。たぶん、高齢者や基礎疾患をもつ誰しもが恐れ、小生と同じように辟易しているのではないか。なんとも得体の知れない恐怖に囚われていても、安易で居心地よい何かに逃避してしまう、人それぞれに老いの臨界点を知っているのだ、無意識にも・・。
手足ぐらい自由に伸ばせる状態にありながら、今に至っても強く自粛しなくてはならない。外国に較べれば、感染者のみならず死者数は相対的に少ない。なのに、日本全体が萎縮して、すべてが停滞しているように見える。
ワクチン開発にしても、日本独自のものを開発している情報もなく、Covid19の対策に関しては全部、後手後手にまわっていて、医療だけでなく科学分野における研究開発は二流国に転落しつつある。そんな嘆かわしい憶測を勝手にいだいていた。
ところがさにあらず、新型ワクチンの開発は大阪大学で、特効薬に関しては鹿児島大学の研究チームが鋭意取組んでいることが、先日NHKの報道番組で紹介された。ただし、国や自治体からの補助などはまったくなく、大学内の規定の枠内にとどまった、きわめて細々としたチームワークといった印象だった。
鹿児島大学の開発チームは、教授と助教、そして非正規の非常勤講師の3人だけとは、あまりにも悲しすぎる。非常勤の方は妻子もいて、薄給だから非番の日には、朝早くから薬局のバイトに出かける。そんな刻苦勉励の彼が、新型コロナの特効薬として有望と見なされる研究に日夜励んでいる。しかし、来年の新年度になれば、契約解除の憂き目をみるかもしれないという不安を抱えながらの毎日をおくっている・・。
これが日本の最先端医療の最前線なのだ。情けないたっらありゃしない。かつて、科学立国といわれた日本。いえいえ、生物・医学の分野でも、多くのノーベル賞を受賞した偉人はたくさんいる。彼らの業績は海外において評価され、国内で日の目を見るのはなきに等しかった(新聞に紹介されることは稀で、その話題になるのはごく一部)。
安倍政権以降、先般の学術会議会員の認定拒否にもあったように、学問の軽視、科学的客観的スタンスの無知・無理解が笑えるほどに甚だしい。そもそも、大学組織そのものが独立法人化した頃より、政治家の資質・メンタリティがいわゆる「反知性主義」に傾いてきたし、今回の認定拒否問題はその証左といえる。
最初の話題にもどれば、新型コロナウィルスの関する研究論文において、日本はなんと世界で16位ほどの提出数しかない。今世紀に入って1位、2位を争うのは中国、アメリカがダントツに独占している。かつては、その次に日本かイギリスだったが、いつの間にか圏外とあいなった。それでいい、それが実力だし、それに甘んじていることが、この国を采配いや差配する人たちの限界かもしらん。
学術会議会員のうち、任命された99人、次回に任命される105人の方たちの意見が、少なくとも直に聞こえてこない。科学や人文の学問において、この国を支えるというか、未来への指針、政ごとへの諫言を厭わない学者・先生たちは、どうしたのだろう沈黙している(一部をのぞいて)。
無意見というスタンスも、ある種の政治的イシューであると海外の思想家の誰かが言っていたようだが、思い出そうとすると、脳髄の一部が痛くなる。この辺で筆を置くことのシグナルといえるだろう。
今後、政治家の先生が、日本の学問レベルの卓越さとか、「科学立国」とか「技術立国」のような耳障りのいい言葉を発したならば、それは間違いなく嘘八百だとおもって宜しいかと思われる。
私が米国留学させてもらって感じたのは、現場ではつまらない研究が沢山ある、ということ。つまらない研究にもちゃんと資金が付いている。だけどつまらない研究が300集まると次の時代を背負うようなものが必ず一つ二つ出てくる。一つ300万円かかったとしても10億科学研究に金を出せば次の時代を代表する研究が育つというのが現場出よくわかりました。
アメリカは製薬会社など企業の資金力が凄いと言いますが、つまらない研究にも金を出した上で、商売につながるものにはもっと出しているということ。日本は金になりそうな研究には金を出しますと言っているに過ぎません。科学研究に対する姿勢が根本から違います。
20年前に京都大学の脳科学最先端の研究をしていた研究者と共同研究をしましたが、彼らポスドクなのに年金も払えないので免除してもらっていると言ってました。これが日本の昔からの現状です。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ」ではありませんが、いかなる研究であっても、志をもった研究者や学徒への惜しみないバックアップは必要です。それが国力であるし、基幹になると考えます。
どうもそのあたりの考え方が、政治家はじめ日本人には理解が浅いんでしょうか。
いや、大切であることは承知だと思いますが、どうも損得の価値観が前面に出てしまって、学問・研究への先行投資は弱いですね。へんな合理精神が日本では跋扈しているような気がします。
rakitarouさまは、脳科学の分野においても先端的研究に携わったのですね。ワクチン開発にも使われるプラセボ効果なんて、まさにその領域ですよね。実際のところ、素人なのでよく分かりません、rakitarouさまの知の集積というか博識に驚くばかりです。
驚くといえば、最近のブログにあったフィギュアの精緻さ、リアルさには驚嘆し、言葉では説明できない深いノスタルジーを感じました。
最後に、今後のコロナ禍の行く末を考える記事をいつかまた書いてくださることを期待しております。ありがとうございました。