小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ターシャとベニシア

2016年06月11日 | エッセイ・コラム

 

花鳥風月をテーマにしたテレビ番組を見るのは好きだ。

最近、ターシャ・チューダーとベニシアさんの特別番組があって、二人の庭づくりを見ることができた。四季の変化を楽しみ、未来を見すえて、理想の庭に仕上げてゆく。見ていて清々しく、彼女たちの姿勢がとにかく直(ひた)向きで、植物と土に関する知識が豊かだ。何かに精通している人の姿を拝見する、耳をかたむけることは理屈抜きに気持ちよく、「学び」を自然に体得する感じだ。

春から夏にかけて、花たちは咲きほこる。家族のため、家の中に飾るために、必要最小限にしか旬の花を摘まない心得。真夏になれば、雑草とりが待っている。(害虫は寄せつけない工夫を凝らす。「駆除」と書いたが訂正する。例えば、ハーブを一緒に植えて虫を避けるとか、天敵の虫を育てるなど、「駆除」という言葉は穏当ではなかった。)

秋は紅葉のシーズン。花を愛でるよりも、もっと複雑で多彩、印象的な色が楽しめる。冬は白一色の世界。雪の下の、大地の養分を種は蓄え、芽吹く準備をしている。

自然の摂理に従い、植物が望んでいることを素直にかなえてやる。これぞナチュナル・ガーデン。優雅さと質素さがなんと合理的に、無理なく自然に融け合っている庭づくり。ターシャとベニシアの二人は、見事に一致してはいまいか・・。

 

私は俄かファンみたいなもんで、彼女たちの詳しい経歴・実績をよく知らない。ターシャ・チューダーは絵本画家・挿絵画家・園芸家・人形作家で、日本ではママたちのカリスマ的人気作家。去年、生誕100年祭(享年93歳)。ベニシアさんは、私と同年生まれで、京都の大原で生活している。イギリスの大貴族の生まれ。色々あって、日本に来て英会話を教えながら、京都に住みはじめた。誰もが知っている園芸家・エッセイストで、ターシャに負けないくらいリスペクトされている。

彼女たちのドキュメンタリー映像がたいへん美しく、ビデオにも録画したりして眺めている。ほんの2,3秒の映像に、魂を震撼させるような愛おしい場面があった。それをタブレットで撮ったりする。(「きもーい」ですか?)

 

 ▲ターシャは50歳代半ばよりバーモント州の小さな町のはずれで自給自足の一人暮らしを始めた。両親が健在だった古き良き時代を回顧し、1800年代の農村の生活に学ぶ。決してシンプルでない、重労働でたいへんな暮らしだった。便利・快適とはかけ離れている。でも、やがて子供や孫が集い、その主(あるじ)として花々に囲まれる生活を慈しんだ。ターシャの生き方は、四世代にわたって継承されつつある。

 

 

▲この映像がそもそもの発端である。間違うことなきフェルメールの世界。ターシャは取りも直さず、画家・アーティストである。身のまわりに美しい素材と、光と色の配置を考えていた人だ。それがきっと嬉しい、楽しいことだったに違いない。

 

 

ベニシアさんの大原の暮らしを伝えるドキュメンタリー、「猫のシッポとカエルの手」が、最近、再放送されている。

ウィキペディア的人物紹介。「ベニシア・スタンリー・スミス(Venetia Stanley-Smith)1950年生まれ。イギリス・ロンドン出身のハーブ研究家・英会話学校経営者。夫は山岳写真家の梶山正。曽祖父の異母兄はイギリスの外務大臣・インド副王兼総督を務めたのは初代カーゾン侯爵。

 

▲京都大原は、すべての日本人の原風景としての、自然の「記憶」に満ちている。だが、実際には住めるとは思えない、敷居の高さを感じさせる。その伝統の暮らしと人々の知恵には、想像を絶する切磋琢磨と歴史の深さがあるからだ。よそ者には越えられない、その見えない壁を、微笑みながら越えていったベニシアさん。昔の民家を甦らせ、大原という土地のリソースを、植物の植生の豊かさを、地元の人々にそれとなく伝えている。そんな伝統の強さを再認識させたのは、彼女の出自にあるのではないか・・。ベニシアさんの「学び」に惚れたし、とことん私は敬服した。旦那がいなかったら、花束をもって大原に行きたい。正直そう思う。

 

 ▲ターシャがフェルメールなら、この映像はまさに小津安二郎の映画。ローアングルで夫婦の営みをうやまうように仰ぎ視る。こうした静かな「絵」は、ひたひたと胸に迫ってくる。このワンショットは、ターシャの残像があったからこそ、私に小津を再帰させた。これで花束贈呈は、はかなく消え去った。

 

 


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