小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

川口勉監督の『彼らの原発』を観る

2020年01月14日 | 芸術(映画・写真等含)

今年初めての、地元の月1原発映画祭に行く。新進気鋭の川口勉が監督、撮影、編集した『彼らの原発』というドキュメンタリー映画だ。

最初、プロフェッショナルとはいえない作りだと思った。構成が粗削りで、カメラワークも熟達さが足りない。観た人はたぶんそう感じるだろう。あるいは監督自身もそう思っていて、映画の完成度に不満をもっているかもしれない。監督の狙いが、なかなか伝わらないドキュメンタリーなのか・・。

ところが不思議にも、しだいに抵抗感なく画面に見入ってしまう自分を感じる。なぜなら、大飯原発のある「おおい町」に住む、老若男女の誰しもが屈託のない人たちで、彼らは何かに依存する、寄らば大樹という日本人特有の、致し方ない心性の持ち主であることが理解できるようになるからだ。

彼らの明るくこだわりのない話の中から、諦めの本心や苦渋がもれてくる。その内容の複雑さ、猥雑さに、見る側は素直に同意できないながらも、彼らの時に軽薄で、自嘲的な話しぶりにも、耳を傾注せざるを得なくなる。(監督の表現したいのは、これだったのか! と分かってくる。映像表現のイマイチ感も気にならなくなる)

3.11以降、日本の原発がある町では、そこで生活する人々のそれぞれの立場によって、微妙な温度差がうまれたと思われる(いや、高い壁も生まれたか?)。「おおい町」でもそれは同じだ。(開沼博のフクシマ学を彷彿とさせる。小出浩章さんは、今も全国を回っているんだろうか・・。産業のない、貧困の村や町が、原発立地のターゲットにされた歴史、その産業構造!)

そうした人々に出会い、取材するまで、若い監督は彼なりの経験をフルに生かしたと思う。原発のある町に住むこと、そのストレスはもちろん、あらゆる垣根を取り払って相手に心ゆくまで話をしてもらう。これはいわゆる「聞く力」と「忍ぶ力」がなければ巧くいかない。映画の題材は、福井県「おおい町」にある大飯原発ではなく、そこに暮らす様々な人々なのだ。

撮影は2014年だから、5年以上前のことになり、日本でいち早く再稼働した大飯原発は、活断層の上にあることでも、当時かなりのニュースになった。監督は1983年生まれなので当時31歳。ほとんど独力で、『彼らの原発』を撮りあげた。ガッツがなければ成就しない。事前にもらったリーフレットには、こんなメッセージが書かれていた。

「反原発ドキュメンタリー」ではないつもりです。反原発を訴えるドキュメンタリーを作ることで、原発が内包する巨大な問題に迫れるとは思えませんでした。この映画にはとても多くの事柄が映っています。原発とは無関係な風景、食べ物、唄、信仰、そして無数の言葉たち。何事もなかったように、日本中の原発が再稼働に向かう現在、その渦中で暮らす私たち自身を改めて見つめるために、もう一度正面から混乱したいと思います。(監督 川口勉)

▲関西電力は原発を福井県に軒並み建設した。豊かな海と森、歴史のある風土と文化。原発を誘致した背景には、何があったのか。

 

この映画には、関西電力や大飯原発そのものは登場しない。海からの外観と施設の出入口がチラッと出てきただけだ。

映画に登場するのは、美容院、民宿、鍼灸などの経営者、農家・漁師の人々、その子供たち。8000人ほどいる住民のごく限られた人たちに過ぎない。映画は、彼らの生活信条、町の行く末をインタビューしていくことに終始する、基本的に。

最初に出てくる美容院、そのご高齢の女性の話が面白い。「悪ばっかりなのよ、この町は」と、年季の入った女性の言葉が重い。誰かしら原発に依存せざるを得ない町民の事情と、原発への恐怖、不安を押し黙って暮らす矛盾。様々な立場の人が登場するが、その矛盾を抱えていても、誰もが原発を拒否するのは馬鹿らしいとさえ吐露する。(過去に、外部から来た原発反対デモに参加した町民が3人いた。その後3人は町長に謝罪した。この事実は、痛いエピソードだ)

映画はやがて町長選挙をめぐって、支援者へのインタビューが中心となっていく。候補者は二人だけだが、組織票頼みの候補者は、川口監督の取材そのものを拒否したらしい。で、対立する中塚寛という候補と、その周辺の人々にカメラが向けられ、取材は続くことになる。「おおい町」では、「原発」は選挙の争点にならない。

原発を受け入れてなお、将来の不安がない、恙ない暮らしが約束されるのかどうか。それが町の行政にどう生かされていくのか・・。そんな民意とニュアンスを誠実に、熱っぽく語る中塚候補は二番手だったが、なんと辛勝することになる。中塚候補と支持者たちの真摯なる思い、悲願が報われる、その当選へのプロセスが意図しないドラマツルギーとカタルシスを生んで、『彼らの原発』の面白さと特異性を補強したといえる。(当選した経緯は、この映画のある種のネタばれだ。申し訳ない、だが、中塚氏は2期目も当選して現町長でもある)

▲現在はフリーランスの映像ディレクターという肩書をもつ。NHKや民放のテレビ局、あるいはCM,PR映画など八面六臂の活躍。

映画の後、監督のトーク、質疑応答、それからワインを飲みながらの懇談会。今回はそれらを省くことにした。その詳細をここに書くには、いささか荷が重い。但し、素晴らしい方たちとの邂逅、充実した話題や情報がもたらされたことを書き記しておきたい(※原発建設を阻止した町、村が全国で30以上もあったのだ、と訴えた方の意見は、監督含めて私たちの多くが考えさせられた)。

マルク・プティジャン監督のドキュメンタリー映画『ヒロシマ、そしてフクシマ』をプロデュースした山本顕一さんにも、今回お会いすることができた。お元気そうで良かった。

 

映画『彼らの原発 』 予告編】 

 

追記:次回の月1原発映画祭は3月1日、なんと現役高校生が監督した映画が上映される。『日本一大きなやかんの話』監督・矢座孟之進で、3.11のときは小学低学年で原発事故の記憶はないものの、授業で学んだ原発・エネルギー問題をさらに深めようと、東京電力はじめ様々な研究者や専門家、フランスの電力参事官など、約1年かけて様々な立場の人たちを自ら取材したドキュメンタリーだという。去年のフクシマ映画祭では、高校生部門のグランプリ受賞作品。瑞々しい視点で正面から問いかける力作とあった。こりゃ楽しみだ。 地元の月1原発映画祭もこれで72回目の開催だから、こちらも何かグランプリをあげたいものだ。原発映画だけを6年間ほども続けられるって、驚異的というしかない。地元の誇りである。


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