小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

informacy「インフォマシー」について

2018年02月04日 | エッセイ・コラム

 

最近では、ふつうに読み書きする能力のことを「リテラシー」というようになった。

英語でliteracyと綴り、liter+acyが合体した造語のようなもので、literはleter(letter)と同じ語源。文字とか言葉に由来している。acyはたんに状態、職能的な状態を表しているという。

新聞記者ならば「リテラシー」は当然、より高度なものが要求されるであろう。現場を取材する記者はもちろんだが、その上司の立場にあるデスク、あるいは校正に携わる専門職の人たちはさらに深い「リテラシー」を持ち合わせている必要がある。

では、人・現場を取材する記者らに、基本のリテラシーとは別に求められる資質、能力はないのか。

昔だったら、情報を「足でかせぐ」ような地道な努力は必須だった。あるいは「ピンとひらめく」ような直感、「黙っていてもどんどん話しかけられる」ような人柄の良さもほしい。「なんでそんなこと知っているのか」ぐらいの専門知識或は雑学・・。せんじ詰めれば、情報収集における、広範で優れた能力が求められるのではないか。

具体的には、情報の発見、収集、裏づけ確認、整理、伝達、責任処理まで、情報収集から発信までのAからZをバランスよく発揮する能力だとおもう。

私はそれをinformacyと呼びたい。「リテラシー」literacyが「liter+acy」の組み合わせのように、informとは「人に何かを伝える、知らせる」ことであり、職能的な状態を表すacyをつけることでinformacy「インフォマシー」と、したいのだ。

単にもっともらしく造語をつくっただけじゃないか、と言われれば「ハイ、そうです」と答えるしかないのであるが・・。まあ、「年寄りの冷や水」ぐらいのものと思っていただければ幸いである。

▲いずれ溶けてなくなる。そこにジッとしている雪だるまは、人の視線を集める。


で、最終的になにが言いたいの? と、なれば、最近のメディア界の人たちの「インフォマシー」の欠落である。先輩や上司の指示がないと、何もできない若い人が多いのではないか。取材先に行き、人に会い、要点を洗いだし、関連情報を調査し、事実関係の裏付け、そして記事にまとめる、この一連の作業をこなしてこそ、informacy「インフォマシー」があるということになる。

私は一市井の人間であることを自認している。何も偉そうなこと、口幅ったいことを言うつもりはないのだ。今回の「NEM流出事件」において、マスコミはもちろんネットを含めてのメディア情報の記者の取材の杜撰さがあまりにも目に余る。事実を追認するだけの「まとめ記事」を書くだけに終始している。

事実の確認、裏づけ、客観的報道をめざすのは当たり前だが、どうもフットワークが重く感じられるし、記事のまとめ方が空回りし過ぎる。

これぐらい愚痴を吐かないと、どうもすっきりしない今日この頃である。



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