小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

子規庵を訪ねる

2015年10月06日 | 日記

 

妙な縁があって、正岡子規に小嵌りになっている。「墨汁一滴」や「仰臥漫録」などの四部作は所持していたが卒読ていど。漱石との書簡集もちらちらといった眺め読みか・・。
子規の偉大さは知りつつも、「古今和歌集」つまり貫之を全否定していて、その完膚なきまでの断罪ぶりに、私はこれまで子規に対して畏れと近寄りがたさを感じていた。だから対峙するというか、恥かしき哉まともに読んでこなかった。

それがフェイスブック上でのちいさな切っ掛けを発端に、ボストン大学の子規研究者キース・ビンセント(Keith Vincent)さんを知り、子規のあらたな魔力に目を見開かされたのである。
その詳しい話はおいおい書くことにしよう。

訪ねたのは9月30日(特別展示「子規の顔その2」の最終日であった)。

命日の9月19日「糸瓜忌」はとうに過ぎている。俳句を嗜むことのない超凡人のわたしにとって、子規庵は敷居が高すぎた。キースさんの縁でいま、遅ればせながら子規のものを色々と読んでいる。

昔ながらの一軒家。風情のある佇まいである。戦争で消失したそうだが、庭にある土蔵は関東大震災や空襲にもかかわらず残り、中の貴重なものは松山の記念館に移送されたそうである。子規庵は家の中は撮影禁止だが、外観や庭は問題なしとのこと。差し支えない範囲でこのブログにアップしておく。

このあたりは明治より根岸の里として風情のある土地柄であった。子規宅に高浜虚子はじめ多くの文化人(漱石、鴎外、鉄幹、左千夫ら)が参集し、ある種の文化サロンであったという。(今がどんな土地柄であるか、知る人ぞ知る。最寄りの駅は鶯谷駅。現在では、あの西村堅太氏も出没したときく。文士の血を湧き立たせる何かがこの地にあるのだろう)

                                

 

折しも子規の部屋の前のへちま棚には大きな実が垂れ下がり、黄色い花も一輪咲いていた。

 

 

 

 

子規が絶命した部屋の前。結核には糸瓜の絞り汁が体に良いとされ、それを呑むことを頼りしていた。

糸瓜さへ仏になるぞ後るゝな

 

         

 秋口というのに庭のいたる所に蚊取り線香。平成の世になっても、この根岸の里には蚊が多いのだ。病に臥してから子規は寝たきりというか、痒いところにもまさに手が届かぬほど病魔に侵されていた。蚊にはそうとう悩まされたに違いない。子規の句には夏はもちろん、秋の気配を感じさせる季語として「蚊遣」や「蚊帳」が多く使われている。

病人の息たえゞに秋の蚊帳

路地入れば烟(けむり)うづまく蚊遣かな

蚊帳は我が幼少期を懐古する必須アイテムといえる。

先のキースさんが二、三日前に子規の「二つ三つ蚊の来る蚊帳の別かな」についてエッセイを寄せていた。それで懐かしくなって、現代において蚊帳はどんな扱いをうけているのだろうか調べてみた。あにはからんや、いまだ現役のばりばりときく。過去の遺物かと思いきや、まだしっかりと現役で、ネットでも多品種のものが売っていて驚いた。

ちなみに、上記の句は9月28日に詠んだものでもはや秋口。それでも蚊はいて、子孫を残さんがために秋の冷気にも負けず人の血を吸う。その他の句も紹介する。

秋の蚊のよろよろと来て人を刺す

蚊の声やうつヽにたたく写し物


子規の絶筆が三句ある。永眠する約12時間前に弟子の河東碧梧桐が画板に貼った紙をかざし、寝ている子規が墨が滴るも関わらずに筆を走らせる。

私たちには右から以下のように読める。

をとヽひのへちまの水も取らざりき     糸瓜咲て痰のつまりし仏かな      痰一斗糸瓜の水も間にあはず        

子規はまず真中に「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」と、妹の介助を得ながら書きつけた。ふつうはこれで終わる。子規は筆を置かない。次に左側の余白に「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」と書いた。左右の肺はほとんど空洞。鎮痛の麻酔剤を大量に用い、背中のカリエス患部から膿は拭いても昼夜絶え間なく出てくる。たぶん子規の断末魔の形相に気押されたのか、碧梧桐は台紙を持ったままだったはずだ。やや間をおいて右側の空白に書いたのが絶筆となった。「をとヽひのへちまの水も取らざりき」 一昨日に糸瓜の絞り汁を呑まなかったことを悔いている。生きる希望を失っていない。凄すぎる。享年三十四歳十一か月。

 

 

合掌

 

追記:子規庵の前に台東区立書道博物館がある。子規庵にいくと割引になる(300円)。いい機会なので入館したら子規の友人ともいえる中村不折の特別展示をやっていた。俳句雑誌「ホトトギス」の表紙画を描いた画家であり、また漢字にもとんでもなく博学である。ここは「書道」という名を冠しているが、漢字の歴史博物館といっていい。甲骨文字の現物もあった。石、青銅、鉄器などに掘られた漢字、その書体の変遷が体系的にわかる。白川静は関わっていないのか・・。ここはディープだ。改めて訪問したい。ただ国宝クラスの石仏もたくさんあって、ケースに保管しないから、そのすべてに「触っても何もご利益はありません」と注意書きがある。興ざめであった。





 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
その頃は... (グッチ いう子)
2015-11-09 17:04:45
私は、正岡子規が臥せっていた わりと近くに住んでいます。昔の佇まいが少し残っているため、この地域は近年、観光地となり、国内だけではなく海外からの観光客で特に土曜日と日曜日は、非常に賑わっております。しかし、我が家のまわりでは、古びれた建物が、どんどん取り壊され、新しい建物に変わっていく... 。
( 一般民家の )内装は変えても外装は、殆ど変えないイギリスとは、えらく違うな...、と実感!! イギリスでは、「 この家は、とても新しく、建ててから、まだ 100 年か、150 年くらい。」などと言う会話が、フツーです。
ところが、我が家のまわりでは、この一年、解体工事や建築工事がブームかと思えるほど多く、その騒音、振動、埃などでタイヘンでした (>_
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お気の毒です (朝市セリーヌ)
2015-11-09 18:21:27
建設業界のデータ改ざんといい、このところいい話がございませんわね。昭和の昔に建てられた建築は、建て替え時期らしくあちこちで工事中。まあお互い様というか、我慢はしますけど、「オドリャー!」って叫びたくなりますわ。いや、騒音時に発声しますのワタクシ。別のストレスが解消されますわ。ホホホ。
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