小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

ベトナム・カンボジアの旅2

2006年08月15日 | 旅行記

ハノイの市内観光。ホテルのロビーでガイドさんを待つ。
何処に行くか知らされていない。
「ホーチミン廟に行きます」とガイドさんが決然として告げる。
彼女は27,8才と思われる。背が高くスタイルも良いが、どことなく男っぽい。
男にしたら武士のように逞しく、何事もきっぱりとこなしていくであろう。
私の女性をみる基準はちょっと変わっていて、男にしたらどういうタイプになるかを一つの判断基準にしている。顔が美形か、そうでないかは全く関係ない。
私の好みは、気骨があり話が面白いこと。そういう意味で彼女とはまともな話ができる気がするのだが、ホーチミン廟にまったく関心がなかった私としてはちょっと反抗したい。
「それは有意義なのか、見るべきなのか」と聞くと、「もちろん」とまなじりを決した顔つきだ。
妻もどことなく浮かない感じだが、せっかく勧めてくれるのだから、ということでやや渋々と車に乗り込む。
15分ほどで着く。皇居前の広場のようなだだっ広い場所に、堅牢な博物館のような建物。
その周りに多くの人々がぐるりと列をなして並んでいる。撮影も荷物の持込みも禁止らしい。
ガイドさんにすべてを預け、外国人旅行者の特権を生かし、中途から列に入り込む。午前9時を少し過ぎたばかりなのに、多数の人が緊張の面持ちで少しずつ前に進む。
要所要所に銃を持った若い兵隊が立っている。銃剣がひかっていて、不気味だ。
2,30分かけてやっと建物の中に入ることができた。
地下に降りるように進んでいく。中は暗く、冷房がきつく寒いくらいだ。
兵隊が5メートル間隔ぐらいで立っていて人々をせかすのだが、必ず私のひじをつかみ早く進めと促す。
ベトナムの人々は淡々というか敬虔な感じで歩いているが、どうも私のそれは物見遊山的というか、不謹慎な顔つきでだらだら歩いているという風に見られているに違いない。
それは当たっている。しかと見るべき人がみたら、私の心まで見透かされてしまうのである。

地下4階ぐらいまで降りて、部屋に入るとそこにホーチミンが眠っていた。
ガラス張りの棺のなかでそれこそ眠っている感じで横たわっていた。
「ほーっ」と感嘆の声をあげそうになるが押し殺す。棺の周りに微動だにしない四人の兵隊が棺を守っている。真っ暗な部屋の中でホーチミンにだけ照明があたっている。肌は艶々していて、頬は赤みがさしている。ベトナムの人々は、ホーチミンが生きていてただ眠っているだけと感じているのだろうか。
それはまるで蝋人形のようだと思うのは不謹慎か・・。
後で聞くと剥製をつくる技術を生かしているとのこと。レーニンや毛沢東と同じだ。たしか金日成もそうではないか。
神格化を否定する社会主義国だけが、このように英雄を葬らず人々の目に晒すということはイデオロギーによるものだと思う。カストロもそうなるのだろうか。
かつてベトナム戦争の真っ只中のとき、村の中で子供たちに慕われているホーチミンの姿をニュース番組でみた。いかにも「ホーおじさん」と呼ばれているような好々爺であり、ベトナム解放軍を指揮するような人には見えなかった。日本の大半の人がホーチミンに親しみを感じたのではないか。パリ調停を後ろで操り、国際世論を味方につけ、アメリカを敗退させたのはホーチミンがいたからに他ならない。

ベトナムは社会主義国家であるが、人々は中国のように資本主義を志向している。
それが円滑に進むとは思われないが、少なくとも社会主義的イデオロギーは希釈されていくであろう。
そうしたなか国家の政治中枢はある時点で資本の論理に対して、何らかの痛みを伴うストップをかける筈である。
そのときどっちに揺れるかで「廟」の存続はきまる。霊よりも実体としての死体を祀る社会主義国家の「廟」は、つまりは呪術的な世界をつくった証となるのだ。100年ほど前のウェーバーの脱呪術化論理という知見さえも生かされない、閉じられた社会であったことが証明されることになる。
大衆は無知であるがそれは選択的に、あるいは戦略的に無知を装っているだけだ。
歴史という大河を考えてみても、ベトナムの人々だけでなく私たちはできるだけ自由に楽しく生きていくように志向していくはずである。(続く)


最新の画像もっと見る