小寄道

日々生あるもの、魂が孕むものにまなざしをそそぐ。凡愚なれど、ここに一服の憩をとどけんかなと想う。

吉村昭の死

2006年09月16日 | エッセイ・コラム

7月31日に吉村昭が死亡した。
自死だった。
尊厳死であるか、ないかは私の関心ではない。
癌の闘病中に自ら点滴をはずしカテーテルをむしり取ったという行為は自死以外の何ものでもない。
最期の言葉は「死ぬよ」の一言だったとか・・。
「戦艦武蔵」で作家としてブレークする前、吉村は「死」をテーマにした作品ばかり書いた。
「死体」「青い骨」「鉄橋」「墓地の賑わい」「透明標本」などなど。
彼自身が20代前半で結核の手術で肋骨を5本も切断して辛うじて生きのびたという経験があり、作品は「死」を身近な素材として扱っている。
その筆致は淡々として簡潔ながら、その文学空間は一言でいえば骨太く、人間を鋭く見つめたものだ。
「戦艦武蔵」以降、徹底した取材、丹念な史料の読み込みで歴史・記録小説の大家になったが、初期作品とは打って変わって「生きる」ことに対する恐ろしいまでの執念をテーマにしたものが多くなる。「破獄」では何度でも脱獄をくり返す超人的な殺人犯の実話をもとにした小説だが、主人公の執念にはいつのまにか読者も敬意を抱いてしまうだろう。
彼の作品の多くは、題材が異なっていても「死」と「生」の境界を扱ったものであり、それをとりまく人間関係が主題だった。その意味で作品の雰囲気は暗く重い。しかし、私は読む本がなくなると吉村昭を読んだ。期待を裏切られることはなかった。比較されることはないが司馬遼太郎とは別の角度から日本を書いてきたと言えよう。江戸から明治へ、日本が近代化を成し遂げ、そして戦争・戦後の社会まで、大きな「物語」を紡いできたわけで、それはポストモダンなどという柔な思想を撥ね退ける強靭さがある。吉村は名文家ではない。さらに司馬のような史観、批評性を開陳することもない。愚直に精緻に作品を書き続けただけだ。その姿勢が私の親父世代の寡黙で頑固な男らしさを感じた。
彼の自死は、生を全うした自死であり、病と全身で闘って遂に気力まで振り絞って倒れた結果だと、私は思う。ご冥福をお祈りいたします。


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