春宵一刻値千金。
残生であと幾度の春を迎えられるかわからないが、一年で最も美しいこの時期をどう過ごすのが最良だろうか。
こう言う事は古人先達に学ぶのが良い。
何よりも先ずこの短冊を飾らなくては。
(直筆短冊 与謝野晶子 与謝野晶子歌集 初版 李朝台皿 志野茶碗)
「清水へ祇園をよぎる花月夜 今宵会ふ人みな美しき」与謝野晶子
この名作中の名作の短冊に茶菓を御供えして、共に春色の夢幻楽土に浸ろう。
美しき街、美しき人々、美しき詩歌。
疫病禍の自粛令で不要不急の芸術文化面は沈みきってしまった日本には、もうこの歌のような時代は来ないのかも知れない。
隠者もこんな美しい心境で花の宵を味わいたい物だ。
この歌は初出の「乱れ髪」では桜月夜だった部分を、昭和13年刊の自選集「与謝野晶子歌集」で花月夜に改訂し韻律を整えている。
写真の直筆短冊は改訂後の物だ。
次は当稿お馴染みの吉井勇の歌だ。
(直筆色紙 吉井勇 緑釉双耳瓶 清朝時代)
「桜ありき桜のごとき人ありき 酔へばよく見る春のまぼろし」吉井勇。
供物は古代朱の花弁形漆器にずんだ餅。
隠者は例の呪いで酒類厳禁なのだが、その代わり酔わなくても夢幻界に移転出来る術がある。
まあ例え酔ってもこのような美しい幻が見える人は少ないだろう。
この歌の真髄は意味よりも調子の良さにあり、春の浮き立つようなリズムが伝わってくる。
鎌倉も観光客は多けれども、花衣とか花人(はなびと、華道の人では無い)と呼ぶにふさわしい装いや立居振舞いの人は残念ながら滅多にいない。
最後は花の女神に御降臨いただこう。
(木花咲耶姫絵姿 葛飾北斎 江戸時代)
富士浅間神社の御神体、木花咲耶姫の軸だ。
浅間神社の氏子や富士講向けに大量に刷られた物なのでさして珍しい物でも無く安価だったが、19世紀の一流絵師による美しき女神像が打捨てられていくような現代社会は悲しい。
若い頃の春に富士山の取材旅行で、静岡県から山梨県までひと月ほど掛けて巡り歩いたのが懐かしい。
ーーー神山に侍る幾つの花の里ーーー
日本の春はその気になって探せば、至る所に夢幻界のような景が見出せる。
そんな楽土の春の全てを、古の花人達のようにしみじみと慈しみたい。
©️甲士三郎