ーーー古絵皿のあちこち釉の剥げ落ちて 花鳥浄土の通ひ路途切れーーー
これまで何度か述べて来た古人達の理想郷のイメージを探すために、古い陶磁器に描かれた楽園の断片を集めてみた。
時代の趣好がより理解し易いのは、希少な書物よりも量産品の日常雑器に描かれた絵柄の方だ。
絵は文字の読めない層でも理解できるので、当時の多くの人々が同じイメージを共有していたと推察できる。
俗世を離れた清澄な深山幽谷や景勝地の草庵に隠棲し、詩書画などに興ずるのが古の教養人達の理想だった。

(古伊万里染錦皿 江戸時代)
この絵柄の元は中国洞庭湖の神仙境を描いた明時代の文物だ。
右下に見える小舟がこの聖域と俗世間との僅かな繋がりを象徴している。
日本でも明治大正頃まではこの楽園のイメージは継承されていたが、第二次世界大戦後それを捨て去り鉄筋コンクリートに夢を託した訳だ。
また古人達の楽園は花咲き乱れ、瑞鳥達が遊ぶ浄土でもある。
この類いの花鳥浄土図はただの観賞用ではなく、自分も画中に入り込んでそこで暮すための小世界である。

(古伊万里色絵壺 幕末〜明治時代)
天霊地気を表す瑞雲と太湖石の回りには四季の花々が絶えず咲き乱れ、鳥達の歌は生命感に溢れている。
一枚目の写真の草庵の庭も、このような花鳥の楽園となっているはずだ。
我が荒庭にもこれと同じ様式で岩と花木の築山を造って楽しんでいる。
また時折りは遠来の友と芸術論を交わし、あるいは諸賢集いて風雅の宴を催す図なども多くある。

(九谷色絵大皿 大正〜昭和初期)
いずれの絵にも共通するのは脱俗、自然、簡素、と言った暮しの中での精神美だ。
このような精神性の高い生活の理想形を喪失してしまった事が、現代日本人がいかに物質的に繁栄しても満たされない原因だろう。
旧世界の夢の断片を集めて、我が身辺に古の楽園を再現するのは楽しい。
古人達の想い描いた理想郷の暮しの高い精神性と美意識に想いを馳せれば、現代人が失ってしまった日本の気候風土に適した楽園のビジョンを取り戻せるだろう。
©️甲士三郎